小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

叔父の感想

2014-02-07 21:16:32 | Weblog
叔父が、親に送った手紙を親が送ってきた。私は、親とも叔父とも何年も話していない。

「これは、2003年に浩二くんが送ってくれた、自作の短編集です。ほのぼのとしたとても温かい人間味を感じさせる、それでいて何となく秘められた作者の感性のようなものも伝わってくる、そんな文章に惹きつけられませんか?もし、まだ書くことを続けているようなら、最近作も読ませて欲しくなるような良い作品だと思います。読まれたことがない?ようなので、もう10年以上も経つことでもあり、本人の承諾を得ないでもいいだろうと勝手に解釈して同封します。平成26年01月06日」

親が2003年に鎌倉の家を売り飛ばすため、私も自分の荷物を整理しに家に行った。泣く思いで医学書を処分した。叔父が家に来て(母親が私をキチガイ扱いしていたからなのだが)、叔父が、その前に私に電話をかけてきて、私が小説を書いていると言ったら、読ませてくれ、と言ったので、数編、選んで渡した。たしか、

「忍とボッコ」、「シケンカントク」、「パソコン物語」、「地獄変」、「カチカチ山」、「砂浜の足跡」、「小児科医」、「岡本君とサチ子」、「ある歌手の一生」、「東松山の健康診断」、「外科医オーベン」、の11作を渡した。

「女生徒、カチカチ山と十六の短編」を出版した頃だった。他にも、作品は、あったが、私の小説は、エロティックなものが多いので、見せられない。叔父に渡した、これらの作品は、エロテックではないので、叔父に見せられた。

その後も、小説は書き続けて100作を越しているが、私の小説はエロティックなものが多いので、私にとって、創作の精神衛生上、良くないので、見せていない。

まあ、小説のタイトルをネットで検索すれば、すぐバレてしまうのだが、そこまではしていないのだろう。

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本田宗一郎の教育観2

2014-02-06 03:05:23 | 考察文
本田宗一郎は、もう一つ、「覚える」ことの無意味さを主張している。

「覚える」とか「知識」なんてものは、辞書やコンピューターに書いてあることだから、辞書を引くなり、コンピューターで調べるなりすればいい、ことだ、と言っている。そして、「考える」ことに価値がある、と主張している。

確かに、人間が、どんなに一生懸命、覚えても、コンピューターや辞書の知識の正確さには、かなわない。し、人間は、物事を覚えても、忘れていく。

しかし、だからと言って、覚えることが無意味という主張は、全く間違っている。

その理由の一つには。辞書ほど正確で豊富な知識でなくても、考えるためには、知識が必要であり(知識は考えるための道具である)、覚えることを放棄して、いちいち辞書を引いていたのでは、あまりにも効率が悪い。からである。常に辞書かコンピューターを持ち歩いていなければ、ならなくなってしまう。

もう一つは。インスピレーションの問題である。人間が必死にウンウンと頭を酷使して、アイデアを生み出せるのは、頭の中に、考えるための道具である知識があるからである。知識が豊富な人ほど、インスピレーションも起こせるのである。

そして、もう一つ。私も記憶力は、良い方では決してない。本田宗一郎も覚えることは苦手だった。膨大な量の知識を、どうやったら、覚えられるか。それには、頭を酷使して、あの手この手を、使って、どうやったら覚えられるかの方法を自分の頭で工夫しなくてはならない。これは、まさに考える行為である。

そして、もう一つ。辞書に書かれてあることは、無機的な、単なる事実の羅列に過ぎない。たとえば、

「織田信長は、子供の頃、うつけ者(バカ)だった」

と辞書、というか、本には書いてある。しかし、なぜ、頭の非常に良い織田信長が、子供の頃、遊んでいるだけの、うつけ者だったのか、という理由は本には書いてない。歴史学者ですら、その理由を、あれこれと推測しているが、正確な理由はわからない。いくつもの説があるが、全て、仮説である。

そして、それを推測する手段は、信長に関する膨大な事実の資料から、想像するしか方法がないのである。

あるいは、織田信長が、なぜ明智光秀をいじめたか、という理由も、わかっていない。

それらの理由を知るためには、織田信長に関する知識、は、もちろんのこと、人間に関する、あらゆる知識が生きてくるのである。

そして人間には、「考える」、「想像する」、「類推する」、能力があるから、一を聞いて十を知る、ということも、頻繁に起こり得るのである。

超ウルトライントロドン、とか、クイズ番組では、正解を知っていなくても、頭の中にある、知識を総動員することによって、正解にたどりつけることも、頻繁にあるではないか。

森鴎外は軍医総監としての仕事が忙しかったが、それでも膨大な量の歴史小説を資料を集めずに、書いている。しかし森鴎外の歴史小説は、歴史学者が見ても、時代考証が正確なのである。森鴎外は、幼少の頃から四書五経を覚えさせられ、歴史書を読みまくって、頭の中に歴史の知識が膨大に詰まっていたから、そういう芸当が出来たのである。

そもそも「考える」ことに価値があって、「覚える」ことには価値がない、という発想は、私が中学生の時に一時期、思っていた見方である。

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教育

2014-02-05 20:46:01 | Weblog
私が勉強に目覚めたのは、小学五年生の時である。それまでは、成績は、全科目、普通であった。ただ図工だけは良かった。

私は小学二年の一学期から、小学三年の終わりまで、二ノ宮の喘息の施設で過ごした。最初の先生は、誰だったか忘れた。次にカタブツの女の先生が来た。先生は、ピアノが弾けて、音楽が好きで、毎日、音楽を歌わされた。

ある時の国語の授業のことが、印象に残っている。私は国語が好きなわけではなかったが、ある時、教科書に載っている、「力太郎」(だったと思う)の話を読んだ。話自体は、さほど面白いとは、思わなかった。ように記憶している。しかし、それを読んだ後、先生が、問題を出したのである。

それは、カタブツの先生らしくない、力太郎の話の続きを書きなさい、という作文の問題だった。宿題ではなく、授業中に書きなさい、ということだった。

なので、書き出した。すると、だんだん、どう話を書きすすめようか、ということが面白くなってきて、書きながら心の中で、笑ってしまった。ふざけてはいなく、それでいて、面白い、つづき話が書けたことに、非常に喜びを感じた。授業の終わりに作文は回収された。

次の国語の時間に、先生が、どんな評価、コメントをするか、が非常に待ち遠しい楽しみとなった。

しかし、いつまで経っても、そして結局、作文は返却されなかった。ガッカリだった。

別に、褒められなくても構わないから、先生がどんな、コメントをするか、を、ぜひ知りたかった。

先生は、自分の得意な音楽が好きで、他の科目には、あまり興味を持っていなかったのだろう。

もし、先生のコメントのある私が書いた作文が返却されたなら、私の人生は変わっていたかもしれない。これは、決して大げさではない。

小学二年生だから、運動とか、将棋などの遊びとか、他のことに関心が行って、作文の問題も、その後は一度も出されなかった。

教育では、決められた学科の勉強以外にも、色々なことを生徒に体験させてやる、ことが大切だと思う。

たった一回の何かの体験で、人生が、変わってしまうということは、いくらでもあるのである。

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本田宗一郎の教育観

2014-02-05 19:06:18 | 考察文
本田宗一郎は、義務教育として、英、数、国、理、社、の学科を全て覚えさせる教育に対して批判的である。何か一つ、これだけは、オレは誰にも負けない、という分野があれば、それを伸ばせばいい、と言っている。

確かに、氏の言うことももっともだ、と思う。人間は、社会に出て、働くことになると、何か一つの専門を仕事にするのだから。

優れた作曲家には、数学など、全くわからなくても、いい。

技術者には、音楽の能力など、なくてもいい。

だから本田の言うことは、かなり正論だと思う。

正論だからこそ、私は、あえて別の見解を述べたいと思う。

本田の考えは、自分の得意な分野の能力を伸ばす、ことが大切だ、という考えである。確かに、人生は、自分の得意分野で勝負する、というのが、幸せな人生を送ることを可能に出来る可能性が高い。

しかしである。自分の好きな(得意な)分野は、出来るが、他の分野のことは、知らない、出来ない、というのは、はたして、どうか。

理系人間は文系科目が苦手であり、文系人間は理系科目が苦手である。

歴史学者に数学の能力など不要である。

しかしである。そうやって、自分の好きな(得意な)ことだけ、やっていればいい、という教育にしたら、はたして、どうなるか。

人間が、生きていく上では、必ず、困難な難問にぶつかる。(必ず、とは言えないが)

嫌い(苦手)な科目というのは、まさに困難な障壁である。困難な障壁を、どうやって、乗り越えるか、つまり、その科目を理解し覚えるか、には、創意工夫の能力が必要とされる。のである。そして、中学や高校程度の勉強は、全ての科目において、努力すれば、身につけられる程度のものなのである。

本田宗一郎も、技術者としては、非常に有能であったが、商売の方法を知らなかったから、本田の会社は、一時、潰れそうになった。その時、たまたま、藤沢武夫という経営の能力の優れた人間と出会えたから、本田技研は、潰れず、日本のトップメーカーになれたのであり、もし、藤沢武夫との出会いがなかったら、本田技研は潰れてしまったかもしれない。

嫌いな科目の勉強の克服は、人生の将来の障壁を乗り越える、能力を磨く機会、問題解決能力の訓練だと、とらえれば、それは、決して無駄な勉強ではない。と私は思う。

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スパルタクスの反乱

2014-02-05 03:20:06 | Weblog
古代のローマでは共和制であった時期があった。しかし奴隷制度があって、コロシアムで奴隷同士を死ぬまで戦わせていた。それは、ローマ市民の最大の娯楽だった。

それは(私以外の)人間の本性であり、それは現代でも、変わることなく続いている。

言わずともわかるであろう。現代では、プロ野球、プロボクシング、などが一番の娯楽であり、大入り満員である。選手が怪我をしようが、再起不能になろうが、そんなこと、知ったこっちゃない、である。金を払って見てるんだから、ブーイングしたり、野次を飛ばすのは、当然という感覚である。

てめえは、スポーツなどやらず、体を鍛えることもせず、醜く突き出た出っ腹で、弱っちろいクセに、プロスポーツ選手の死闘を安楽椅子に座って、観賞してるのは、昔のローマ市民と全く同じである。

私は、このブログで何度も書いているが、そういうのが大嫌いだから、見たいとも思わず、プロスポーツなどというものは、無くすべきだとも、書いているし、本当にそう思っている。

しかし、世の阿呆どもは、他人の死闘を見たくて見たくて、しようがないから、プロスポーツが立派な職業となるのである。

契約金、数十億、年俸、五億、などという金の出所も、世の人間の、死闘見たさからである。

世の阿呆どもは、他にやることが無いからだろう。

スポーツとは、所詮、人間の闘争本能を、様々な形に変化させてルールを決めた、遊び、である。

遊びを熱心に努力して、記録をつくった人間(つまり、遊びの達人)が何で、国民栄誉賞なのか、私にはさっぱり、わからない。

学者で一心不乱に研究し、発明、発見をして人類に莫大な貢献をした人に、国民栄誉賞を与える、というのなら、わかるのだが。

世の人間も、政府も、ともにバカである。

プロ野球なら、二十歳から始めて、四十で引退だろう。しかし、それが、出来るのは、幸運な少数派である。

そして、それを、とったら、他には何も出来ない、何も残らない人間というのも、情けない。

学問、芸術、事業、将棋や碁などの頭を使う高等な遊び、などは、四十から、始めて、死ぬまで、出来る。

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ヒトラー2

2014-02-04 23:02:15 | Weblog
ヒトラーが、独裁者である、とか、ユダヤ人をホロコーストで500万人も殺した、という事実だけをもって、ヒトラーを悪魔のように言う人は、歴史から何一つをも学んでいない人である。

もちろん私はヒトラーを肯定する者ではない。

第一次世界大戦が起こったのは、1914年であるから、今から、ちょうど百年前である。

世界史を見ればわかるが、ポルトガル→スペイン→イギリスと、ヨーロッパがアジアを植民地にすることは、ヨーロッパにとって当然のことだった。

日本にせよ、ペリーの黒船による開国の要求、日米修好通商条約、三国干渉、ABCD包囲網、など、全て武力による恫喝であり、暴力である。

第一次世界大戦で負けたドイツに、連合国がつきつけたベルサイユ条約など、ひどいものである。これも戦勝国の一方的な暴力である。

ドイツでは、失業者が数100万人出て、高く積み上げた札束が紙クズ同然となるほどのインフレが起こった。この状態から、どうやって経済を立て直すことが出来るというのだ。他国はブロック経済で経済を乗り越えようとしたが、ドイツは植民地もとられて、それも出来なかった。

ヒトラーは公共事業によってドイツの失業者を激減させた。軍需産業も失業者に職を与えた。敗戦国ドイツが経済的に立ち直るのに、戦争による方法以外、どんな方法があった、というのだろう。

日本もドイツと似ている。

ただ、有利な戦況の時に、有利な条件で停戦していれば、よかったのだが。ちようど豊臣秀吉のように、あるいは、チンギス・ハンのように、なりあがりから天下までとってしまうと、自分は、特別な人間だ、天才だ、負けるはずはない、オレなら世界を征服できる、と思い上がってしまう心理が働いてしまうのである。そして、結局、その思い上がりによって、滅ぼされてしまう。

世界史の歴史は、ほとんど全て、そうである。

戦争を無条件に悪い、と言う人も極めて頭が悪いと思う。第二次世界大戦後の平和ボケした人だろう。世界史を見てみたまえ。平和をかかげる国、他国を侵略しない方針の国、に他国は干渉しなかっただろうか。その正反対である。何もしない国は、他国の侵略の格好の餌食であり、実際、他国は中立国を武力で制圧し、略奪、虐殺、征服、支配、の限りを尽くしてきた。

こうなると韓非子の人間、性悪説が正しいというより、仕方がない。

というよりも、世界史は、権力志向の人間、国家(権力者)の記述がほとんどだから、人間が悪く見えてしまうのだが、大多数の一般国民、科学者、芸術家、などは権力欲が無いから、あながち人間の性が悪であるとも言えない。

現代でも、武力による戦争は、おさまっているが、外交は実質的に、というか、武器を使わない戦争である。

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侏儒の言葉

2014-02-04 22:07:40 | Weblog
私は、芥川龍之介の「侏儒の言葉」を、よく引用しているが。それは、芥川の「侏儒の言葉」に影響されたわけではない。否、私は、いかなる思想にも影響されていない。

私は無名であり、私には、文学者とか思想家とかの権威がないから、私の発言の正否を裏づけるために、芥川龍之介の「侏儒の言葉」をつけたしているのに過ぎない。

逆に権威のある人の発言は、愚民は無条件にそれを受け入れてしまうのである。三島由紀夫には文学者としての権威があるから、氏の発言や思想は、そのいい例である。しかし、氏の思想は、論理的というより、氏の好み、男の意地、など感情的で非論理的なものの方が多いのである。だから、私は、三島由紀夫の発言は引用しないのである。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」は、おそらく、芥川が、子供の頃、愛読したニーチェの「ツァラトストラはかく語りき」をヒントにして書いたものだろう。が、これは正鵠を得ていて、引用するのに非常に便利なのである。

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ヒトラー

2014-02-03 22:42:00 | Weblog
ヒトラーがなぜ、ユダヤ人を嫌っていたのか。これの正確な理由はわからない。ゲルマン人でも、少しでもユダヤ人の血が入っている者は殺した、という事実からすると、あまり深遠な政治的理由からとは思えない。

ユダヤ人の商才、結束力をおそれ、共産党とユダヤ人が手を結ぶことによって、ヒトラーの構想した第三帝国の設立の妨害になると考えた、そんな政治的理由もあるだろう。

しかしドイツ国籍のユダヤ人はヒトラーを嫌っていなかった。むしろ、ドイツ国籍のユダヤ人は、ヒトラーをドイツの救世主として慕っていた人も多い。むしろ、その方が多い。

ヒトラーは、戦争中に、ユダヤ人狩りなんかしてるよりも、むしろ、ドイツの戦争に協力したら、勝ったあかつきにはユダヤ人の国家を作ってやる、といように、ユダヤ人を利用した方が、良かったのではないか。

そうしたら世界の歴史は変わっていたかもしれない。ドイツでも、原子爆弾の研究は、かなり進んでいた。アインシュタインのような天才をアメリカに、のがしてしまったことは、ドイツにとって、大きな損失である。

第二次世界大戦は、原子爆弾を最初に作った国が勝つ戦争だった、とも言える。

ヒトラーは、若い頃、芸術家志望の青年であり、実際、芸術家的な素質もあり、彼は、政治家、軍人としては、必ずしも有能ではなかった、とも言える。

ホロコーストはヒトラーの性格的な潔癖症からだろう。しかし戦争中に、自分の、やりたいことをやる、なんてのは、バカである。戦争に勝つためには、自分の好悪の感情など、抑えて、利用できるものは、何でも利用しようという精神がなければダメである。

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インド料理

2014-02-01 23:56:51 | Weblog
駅の近くにインド料理屋がある。今までは、見向きもしなかったが、試しに入って、インド料理を食べてみた。美味い。からい。のがいい。

私はグルメではないが、日本の同じ物ばかり食べていると、やはり潜在的に飽きが出来る。たまには、異国の料理を食べるのもいい。日本のカレーも美味いが、インドのカレーと比べて、どっちが上か。

さて、ここで経営の問題がある。店はインド人がやってる、完全なインド料理である。店の主人にすれば、インド料理をそのまま、作って出せばいいのであるから楽である。本場のインド料理とは、どんな物か、興味本位で食べてみる客もいるだろう。しかし、その場合は、興味本位が目的なので、一回でおわりである。

同じ客が、何回も来るようにするには、日本人の食感覚を研究して、日本人の口に合うように、アレンジしないとダメである。

しかし、あまり、日本風にアレンジしてしまったのでは、本場のインド料理を食べてみたいと思っている人が来なくなる。

なので、ここのさじ加減が難しい所である。

本場インド料理と銘打って、客にわからないように、少し日本風の味付けにする、という手もある。

あるいは、インド料理を二種類に分け、完全な本場インド料理と、多少、味付けを日本風にアレンジしたインド料理の両方をメニューにするか、である。

ともかく、何度、食べても飽きのこない食感の料理にしないと客の入りが悪くなる。

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