サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 未だに見えない生活スタイル

2024-02-05 07:30:00 | 人生について
第二の人生を生きるという事が、未だにまだまだ全容が見えません。
学生を卒業して親元から離れて社会人となる時には、私には自分でお金を稼ぎ生活する手段は企業に就職するしかなく、他の選択肢はありませんでした。なので他に何の生き方も考えず就職し、ただ一生懸命に働き、恋をし結婚し子供を授かり、その後は家庭を守る事だけを考えて生活していました。

企業を退職し残りの人生をスタートした今、どんな第二の人生を送るのかを数年かけて試行錯誤してきました。実際、大学卒業し社会人になった時と違うのは今回は住む家もあり、年金という少額ながらも収入予定もあり、子供も社会人となり巣立った後なので、子育てに必要な収入も必要ありません。以前と比較しかなり自由の身となり「これからは本当に好きな事をして暮らす」と心に誓って既に数年、まだそのスタイルが見えていません。自分の寿命が尽きるまで漫然と生きるのはごめん被ると自分に誓った筈なのに。

何か他人の生き方が気になってもいます。あんなに人に指図されるのが嫌だった仕事でさえも、先輩が現役で働いていると聞くと羨ましく感じてしまったり、現役友人が会食や会社帰りのちょいと赤暖簾で一杯のインスタを眺めては、日々の生活の為に食費を切り詰めてる我が日常に嫌気もさしています。娘夫婦が共働きで孫の保育園等で迎えを助けて欲しいと言われたら最優先に駆け付けますが、その生活スタイルは消防士がいつ発生するか分からない緊急事態の為にスタンバイしている体制と同じ状態です。娘家族の助けになるなら孫の助けになるならと全く負担は感じませんし、世の私と同じ世代はみな似たような考えでいると思いますが、私は何かが違うような気がしてなりませんがそれが何かがわかりません。

自分の一番幸せな老後を想像すると、自分の生まれ育った場所に戻り小中学校の昔の友人たちと、釣れない魚釣りしたり、掛けない麻雀したり、お互いの家を行き来して馬鹿な事をしゃべったりしている自分の姿に憧れたりもしますが、実際地元に戻っても同級生もほとんどが地元を離れていますし、遠い故郷に戻ると私の子供達とは会えなくなってしまいますから、その選択はありません。もしも友人たちが故郷に居たとしても昔みたいな関係をこれからも継続できるのかも分かりませんし、戻る事が正しい選択かさえわかりません。

少なくとも今の私の目標は、まだ体が動けるうちに、心が加齢により枯れないうちに早く世界中の自然や歴史をこの目で見、感じ、触れ、食する事だと決めていますが、今は娘を補助する方が最優先なのでしばらくはこんな気持ちが続くのかもしれません。
昔、私のお祖母さんが生きていた頃「親は自分が歳を取って何歳になろうとも、子供が大人になろうとも、いつもわが子を案ずる(心配する)ものだよ」と言われたことを、今とても実感しています。