伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

真の神懸りは気が付か無い

2007-08-08 18:48:41 | Weblog
読者の方より :
先祖に対する感謝供養はずっと遡れば根源神につながっていて、
根源神に感謝することは根源神の分霊である私の中の内在神に
感謝することであって、結果、内在神を大きくすることができる・・・
だから、「生かして頂いてありがとうございます」なんですね。

返答 :
素晴らしいですね。今日の8月8日の岩戸開きと縁がある日
に、この境涯を感じられたのは、意味深いですね。
これは、6月18日の記事 「先祖供養は根源神へ通じる」 とも
関連しますね。
感謝の意義を、見せ掛けの感謝だとか、本心では無い強制
の感謝は害悪だとか、主張する人がいます。
これは、感謝供養を実践もせずに、言葉の定義だけに囚われ
た人の言う事です。感謝の入り口にも立て無い人です。
難しい事を考えずに、実践すれば良いのです。各人の色で、
見えてくる景色が有ります。最初の景色は、人によりバラバラ
でしょう。でも、続けて行くと段々と、見える景色が重なって行
き、最後は同じような境涯を得るでしょう。
入り口の景色が、他人と違うからと、躊躇したり自己嫌悪する
人が居ますが、景色が違う事は正しい事で有り、それで良い
のです。
社会の中で、感謝をキーにした自己想起をしながら、真面目
に生きて行きますと、神霊との観応が知らないうちに自然と
起こっております。気を付かせない観応こそ、真の神懸りの
カンナガラ状態です。
残念なことに、霊能者ほどカンナガラとは、ほど遠い人が
多いです。例えば、職業霊能者で、寄り代となる巫女などを
用いて、問答して除霊や悪霊の退治をしていると、得意げに
主張する若い?霊能者?が今でも居るようです。これは、
私には信じられないような時代錯誤な主張です。 大体、
寄り代に生きた人間を使う点と、問答、すなわち会話した上
での判断とは、自身に霊視能力が無いことを告白しています
今の幽界消滅が終盤に来ている時に、本当の能力が有る
ならば、恥ずかしくて言えない内容です。これは、本人が
霊脳ゴッコの世界の住人なんです。
小学生のコックリさんと同じです。このような、低級な世界で
身内同士だけの観応で遊んでいると、行き先の末路は、哀れ
です。霊脳を商売の糧にすると、特異な事を言ったり、演技を
して、他人を引き付ける必要が有るのでしょう。
このような霊能者?は、感謝による 先祖供養や神霊参拝
を、非難したく成るようです。
幸いにも、ここの読者の人々は、霊脳ゴッコの先生を、とっくに
見限っている方が、多いので安心です。
自己の内在神を共に、育てて行きましょう。

生かして頂いて ありがとうございます

  
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コメント (47)
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