伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

人格神に成れる人

2007-08-19 20:30:03 | Weblog

久しぶりの大阪です。
大恩人の初盆法要が無地終わりました。
亡くなられてから100日が経過しました。
普通の方なら、これぐらいの時期は、死亡後の戸惑い感から
一旦落ち着きを取り戻し、遣り残した事や、伝えたかった事を
思いだして、伝えたい時期なのですが、大恩人の場合は、
全く感じられず、それどころか法要中も御霊が寄られている
のか、最初は分かりませんでした。法要の後半に、御長男の
子供さん達の後ろに、微笑んで居られるのが分かりました。
何か伝えたいことは無いかと?と、私が意識を飛ばすと、
何も思い残した事は無いが、出来れば自分が毎日手を合わ
せていた神棚を大事にしてほしいとの事でした。
法要後に、恩人の神棚が気に成りましたので見せて頂きま
した。
天照太御神と荒神様の御札が祭られた神棚でした。
御長男夫婦が、綺麗な榊を供えて、ちゃんと御祭りして居ら
れたので、安心しました。
神棚から漂う気を、観じ取ろうとしました。
するとなんと、恩人の御霊は、神棚に鎮まっておられるのが
分かりました。 これは、稀なことだと感じました。
人格神へと昇華されて行くんだなと思いました。
恩人は生前、事件・災害・事故などのニュースを見ると、自分
身に起こった事のように、心配されてました。
常に、日本の行く末を案じておられました。
総ては一つの心境に、成られていたんだと思います。

恩人は生前、お墓の中の骨を置く所は、地面の土の状態が
良く、決してセメントで塞いでは駄目だと。また、骨壷から骨を出
して直接、土に置いて大地に帰す形象を取っているのが望ま
しいと、そうで無いと循環の理を絶つ形に成り、子孫が絶え
ると、私に仰っていた事を御長男に伝えておきました。
今思うと、恩人は他人に御馳走することが、本当に好きな人
でした。自分が若い頃、貧乏だった時に、御馳走をされると
本当に嬉しかったからだそうです。自分が他人に出来る立場
になったので、機会が有れば、振る舞っておられました。
これも、
循環の理かなと、今になれば思いました。

私は普段、森林に囲まれて暮らしているので、たまに都会に
行くのは面白いですが、生活するには辛いものを感じてしま
います。体に静電気?が溜まり、抜けない感じがします。
この静電気が、ストレスの元に成るのでしょう。
昨日、大阪に向かう途中、琵琶湖の湖岸に沿って走る国道
を通りました。琵琶湖の対岸に連なる、瓢箪のような山々を
見ましたが、とても幻想的で万葉集の世界に居るような気分
に成れました。

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コメント (32)
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