伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

不自由な神様?

2007-08-21 19:51:05 | Weblog
古神道系の団体では、昔から神業(しんぎょう)と称して全国
の山や孤島へ行き、埋もれた神を世に出したとか、霊的な道
を付けたとか主張することが、未だに有ります。
有名なスポットでは、ウチの団体こそが開いたと、互いに主張
し合ってます。 えらく不自由な神も居るもんだと思います。
人間の介添えが必要な、神?を相手にする時代では、もう
ありません。やはり、信者が居ると定期的なイベントが必要な
のでしょう。 個人的なパフォーマンスに過ぎません。
真の神業は、一人でするものです。見届ける信者は、不要
です。逆に、見られると駄目なものです。

私は昔、京都亀岡の出雲大神宮へ定期的に通っていた時期
が有りました。そこで、初老の男性と知り合いに成りました。
何回か、参拝時に互いに見掛けていたので、向こうから話掛
けて来られました。私が若者だから、珍しかったのでしょう。
色々と神社について話していると、彼は古神道系の会に属し
ており、隠れた秘密の裏神業に携わっているとの事でした。
私が若いのに、神事に詳しかったので、思わず話してしまっ
たようでした。 一月後、また会いました。偶然と言うよりも、
待っておられた風でした。その時、彼は秘密の神業で、教祖
が海岸の岩場から、宝珠の玉石?を神力で見つけ出したもの
を、教祖から内々に頂いたそうです。その石を大事そうに
布袋から取り出し、見せてくれました。
人口的な丸さの、ゴルフボールぐらいの赤い石でした。
私の手に乗せてくれました。
すると、私の脳裏に或る光景が見えて来ました。
その教祖らしい人物が、一人で深夜の海岸の岩場を散策
する姿でした。大きめの岩の下に、丸い石を隠していました。
翌朝、15人程で神事を岩場で行い、神事後に全員で石を
探すが見つからず、教祖も隠した場所が?な様子でした。
そして、季節が変わった頃に、同じ事を繰り返し、目立つ大
きな岩の割れ目から丸い石を取り出し、歓喜する姿でした。
私は観えた全てを、その男性に話さず、2度目の神業で出た
石でしょ?と聞くと、とても驚いていました。
その男性は、小さな会社を経営しており、神業の旅行代の
大半を寄付してるとの事でした。
死んだ行者に憑依された教祖から、離れる縁が出来れば良
いなと、密かに願いました。

生かして頂いて ありがとうございます

  
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コメント (44)
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