伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

心配するな、何とかなる

2008-10-14 18:19:12 | Weblog
老人ホームなどでは、動物を抱きかかえさせたり、動物の
毛並みに触れさせると、精神的に改善する兆候が有ると聞き
ます。室内で動物を飼っている人は、イライラする時に猫や犬
を抱っこしていると落ち着くと言います。
これは、人体に溜まるストレス磁気が、動物の毛に触れる事
により放電される面が有ると、私は思います。
ただ、私は残念ながら、個人的に室内で動物を飼う事に強い
抵抗感は有ります。

意外な事に高名な宗教家でも、動物の毛皮を座る時に使用
する事が有りました。 今では、動物愛護団体からひんしゅく
を買う事でしょう。
インド近辺の聖者とされる人の中にも、虎皮の敷物を愛用す
る人が結構いました。
一休禅師も、動物の毛皮を尻下に敷いていました。
彼の場合は、宗教家に対して民衆が持つ、聖なるイメージを
破壊する意味も有ったと思いますが、瞑想時に余計な霊的
磁気を消して集中する意味も有ったと、私は思います。
これと関係するのか、私は昔から動物との触合い療法とか
毛皮と聞くと、何故か一休の事を思い出します。

一休の興味深いエピソードは、沢山あります。
特に面白いのは、彼が本当に悟りを得たか否かを、最後まで
煙に巻いた事です。
これは、私が感じるには、彼の人間への「愛情」です。
つまり、彼の弟子を始めとして禅に打ち込む人々が、自分は
悟りが分からない、自分は駄目な人間だ・・・等々。 
中には修行半ばで絶望して、自殺する禅僧もいました。

彼の最後の臨終時の言葉は「死にたくない」でした。
悟りを得た高僧とは到底思えない、一休らしい言葉で人生を
終えています。
また、一休が他界する直前、
「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、
この手紙を開けなさい。ただし、本当に最後の絶体絶命だと
全員が思う時だけだ」と、厳しく釘を刺して、弟子達に1通の
手紙を残しました。
そして数年後、弟子達が今こそ師の知恵が必要だと思える
重大な局面が訪れました。
息を殺しながら固唾を呑んで開封して、弟子達の目に映った
手紙の言葉は、一言でした。
「大丈夫 心配するな 何とかなる」 でした。

これらの意味する事は、
「生きている間は、一生懸命に、ただ生きれば良い」
と言う事だと感じます。
「生きている間は、心配するな!
  死んでから心配すれば良い」 と、吉本新喜劇を超える
偉大な方便としても私に響きます。

彼は、間違い無く、根源存在に触れた経験があります。
真の愛情のカタマリに・・・。
人間の持つ悲しいサガを、正直に周りの人間に見せ付けな
がら、真の悟りの一面を世の中に残して去りました。
大いに人生を楽しまれた事でしょう。

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コメント (239)
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