輸入盤 最新新譜情報  【BUYER'S EYES】

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PRESTON/WHATEVER FOREVER

2009-07-21 | Rock&Pops
                     ※ジャケットではありません。
発売日:8月25日(国内盤10/7)

規格番号:WB-P0915.1

試聴:なし

ヒット要素&度数:英国では人気!

内容:
「新世代のポップ・スター誕生!!
「俺はポップ・スターになりたいんだ。しかも自分のやりたいように
やるのさ!」

●アルバム3枚をリリースして解散したUKロック・バンド、ジ・オーディナ
リー・ボーイズのフロントマン、プレストンのソロ・デビュー・アルバム。
全曲の作詞・作曲を手掛ける他、全インストゥル・メンタルもプレストンが
担当。

●超POPな1stシングル「Dressed To Kill」(ドレスド・トゥ・キル
)収録!
                
【プレストンのソロ・デビュー・アルバム『WHATEVER FOREVER』
(ワットエヴァー・フォーエヴァー)】

・オーディナリー・ボーイズ(=普通な連中)の1人だったプレストンが、
今度は非凡なソロ・アーティストとしてシーンに戻ってきた。ポップスター
が電話投票によって選ばれ、ロックバンドが次のアルバムよりもヘッジファ
ンドに投資した財産を心配するような時代においては、あえてリスクを冒す
者たち、つまり本物のエンターテイナーという類の人種は絶滅寸前である。
コピーだらけの個性や、似たようなポップ・アイドルの氾濫に我慢を強いら
れた時代を経て、プレストンがファースト・ソロ・アルバムを引っさげてシ
ーンに戻ってきた。この状況全てを変える為に。

・アルバム内で演奏される楽器はすべてプレストンの手によるものである。
彼はたった1曲の為に、ヴァイオリンを習ったほどである。そしてアルバム
には、ようやく自身のヴィジョンを実現することが出来た男のエネルギーが
みなぎっている。

・ファースト・シングルとなる「Dresssed To Kill」でプレストンは、ちら
ちらと瞬く信号音の拍動の上を甘く囁くように歌っている。「Hurt Me Now」
はダンスフロアーを割れんばかりに盛り上げ、ザクザクとしたビートは、
ウォール・オブ・サウンドを21世紀用に作り直したものである。
一方、「Same Sad Story」はプレストンがこれまでに築き上げた最高な部分、
一度聴いたら忘れられないような特徴を見せつつも、目も眩みそうな、癖に
なりそうなポップ・ソングへと変化していく。

「Coming Apart Again」は確かに彼よりも前衛的なアーティストたちになら
ったものであるが、生き生きと脈打つ魂を持っているが故に、偉大なるトー
チソング・シンガーの系統をもひいている。
また「Feel Like Running」は、所謂クラシックなポップ・ソングともいえる
、挑戦的な別れの歌である。某カーミット・ザ・フロッグによって有名とな
った「Rainbow Connection」の優しく感動的なカヴァーは、このアルバムが
どれ程シニズムから掛け離れたものであることを証明している。



【プレストンのバイオ】

・2004年6月、ザ・スミス、ザ・クラッシュ、ザ・キンクス、そしてザ・ジャ
ムから、ローゼズ、ブラーまで。王道ブリティッシュ・ロックのスピリッツを
継承した21世紀型モッズ・パンクというキャッチ・コピーのもと、アルバム
『オーヴァー・ザ・カウンター・カルチャー』にて、鮮烈デビューを果たした、
ジ・オーディナリー・ボーイズ。
イギリスはワーシング(モッズの聖地、ブライトンの隣の港町)出身の4人組。
2005年6月、セカンド・アルバム『ブラスバウンド』をリリース。
2度目のサマーソニックではメイン・ステージに出演するまでに急成長。


・2006年1月、ヴォーカルのプレストンが英国民の半数は見ているといわれる、
人気TV番組「ビッグ・ブラザーズ(セレブリティ)」に出演。
出演後、プレストンの人気は急上昇、オーディナリー・ボーイズの『ブラス
バウンド』もチャートに急浮上し、プレストン景気にひっぱられた、
オーディナリー・ボーイズのCDもたちまち品切れするほどの大騒ぎに。
その後発表されたUKツアーは軒並みソールド・アウト。
プレストン自身も数々のタブロイド紙の表紙を飾る国民的アイドルとなる。
2006年11月、サード・アルバム『テン・イージー・ステップス~欲しいもの
を手に入れるための10か条』をリリース。
数多のフォロワーを尻目に、新たな境地を切り開いた、会心のサード・アル
バムをリリース後、バンドは解散。
プレストンはアメリカでしばらくの充電期間を経た後、ソロとしてのキャリア
をスタートさせる。