植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

シャインマスカット ジベレリン処理が始まる

2020年05月31日 | 植物
 曲がりなりにも第一回のジベレリン処理を終えました。ブドウづくりで最も重要で、出来上がりの成否を決します。その目的は1.甘く美味しいこと 2.粒がそろっていて大粒 3.種なしで、黒い点や病気がないことであります。

 おおよそ開花した40房分の花をジベレリン液に浸けました。念のため数日後もう一度やります。蕾の段階で処理しても無駄になりますし、処理もれもあるので。
 2,3週間待って、更にジベレリン2回目を行います。これは、果実の肥大化を目的とします。ホルモン剤「フルメット」も一緒に使います。

 これで、状態が良く、揃って生長している房だけを残して他のものは摘果いたします。20房以内に抑えようと思います。昨年は「数撃ちゃ当たる作戦」でしたが、あえなく失敗、出来が悪く味もばらばら、小粒でした。今年は「少数精鋭」で参ります。これを消毒したら袋掛けします。

 更に、伸びていくツルの先端も半分はカットします。これで養分を吸い取られるのです。ここは、先日まで知りませんでした。コガネムシの食害と黒糖病で失う葉っぱを補うことばかり考えてました。要はバランスが大事だろうと思います。光合成が植物の基本ですから。

これはいけません。
しかもこの奥にはりんご「シナノゴールド」が数個の実を付けながら、ほとんど日陰になっております。ブドウツルの伸長を抑えて、ブドウの肥大化をはかり、リンゴの葉の日照を確保する、という一石二鳥を狙う訳です。

 一石二鳥といえばフェイジョア「アポロ」。
 

 ようやく株が大きくなって充実してきました。沢山の花蕾がつき、3週間ほど前から開花してきました。これに遅れること約10日で、もう一つの授粉樹「クーリッジ」も咲き始めました。フェイジョアは、花に蜜がないのでミツバチを呼ばず、自家結実性が低いものが多いのです。
 
 昨年は、クーリッジの開花が遅くぎりぎりだったので「アポロ」の咲き終わりの花の花粉を採取したものを自家受粉しました。収穫できたのは3個、アポロは結局果実なしに終わりました。今年は双方の木が大きくなって、順番に咲く花がたくさんあり、重なってきたのです。
 片方の花を一つ摘んで、柔らでふっくらとした薄ピンクの花弁を切り取ります。これはペパーミントのような風味と甘さがあるので美味しくいただきます。そして、花を一方のフェイジョアの花にちょんちょんとくっつけていきます。さらに、それを捨てずに、元の木の花にまたちょんちょんと擦り付けるのです。相手からの花粉もたっぷり貰うので元の木にも別品種の花粉がつけられるわけです。なーんて賢いのだ。

 今朝、すいかも雌花が数個つきました。これは早朝に雄花をとってめしべにこすりつけます。自家受粉・自然受粉もしますが、近年ミツバチなどの虫媒による受粉が難しくなっているので、人工でやるのが確実です。また、小玉スイカは、そもそも雄花に花粉が無かったりしますので、大玉と混植して人工受粉させるのが確実です。
 
 梅雨に入って長雨になると花が濡れスイカは授粉しないので、この時期はとにかく受粉を優先させることが大事なのです。沢山結実したら、その時に摘果して。数を2.3個に抑えれば大きく甘い西瓜がとれるのであります。ワタシは欲深でズボラ農法なので、摘果はいたしませんが。
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戒名料と筆の値段は似たようなもの

2020年05月30日 | 書道
 今どきのお葬式は、「家族葬」でというケースが増えているようです。理由は簡単、お金も手間もかからないからであります。昔とは状況が違います。例えば以前は現役の社会人の方の親御さんが亡くなると、会社から弔電や花輪が届き、社内にはメールやFAXで訃報が開示されました。関係先や会社の仲間が大勢通夜に参列しました。ご近所さんや親せきも大勢駆け付け大きな葬式を出すのが一つのステータスでもありました。
 ところが、高齢化が進んでくると、だいたいは会社を退職しているので、本人の訃報すら流れなくなります。やれ個人情報がどうしたとか面倒になってますし。
 親せきも少なくなり友人関係もお互いに疎遠になったころ親が亡くなったら盛大な葬儀は不要でありますな。

 で、会葬者がほとんどいないのですから、もう家族葬にしようという話になるのでしょうね。
 すると、お坊さんの実入りも減ります。以前大きな式なら数人のお坊さんがお経をあげました。初七日・四十九日と出番も多いのでしたね。バブルの頃は東京のお坊さんは、一人お葬式があるとベンツが買える、とか言われてました。しかし、世間体もなにも考えなくなると、いろいろと省略するようになるのです。
 
 戒名もまた簡略化されます。普通は、葬式や通夜に来る会葬者は戒名を見ます。その位牌の立派さや戒名の文字数(戒名の文字が多くなると戒名料はどんどん高くなります)で葬式のお金のかけ方や故人の経済力やらなにやらを推し量るのですね。
 
 一番下に来る「位号」が男性ならば信士・ 居士・ 院信士・ 院居士などとランク付けされます。お寺さん側が、そのお宅の先祖代々の貢献度によって決めますから、お金を積んでも位号は買えないのです。戒名全体では最低3文字から、十数文字まであるようです。その字数と位号などによって戒名料は数万円から数百万円になるのでありますな。

 それで、書道筆の定価であります。これが、筆に刻印も毛の種類も書かれていないものは、無縁仏みたいなもので戒名もなし、ほとんどただに近いような安物になります。それから、鼬筆とか羊毛という筆の毛の表示があると、千円程度にはなりましょうか。さらに羊毛筆は高級・希少な毛になるに従って表記や文字数が変わります。これがおおむね価格に反映されるのです。軸やだるま(穂の留め口)他のパーツにも差をつけるので、それも当然なのです。

 羊毛と表記されても実際は羊ではなく、山羊の毛であります。その部位によって、  細嫩頂光鋒(さいどんちょうこうほう) 細嫩光鋒  細微光鋒    細光鋒 などに分かれております 。山羊の首の下や胸に生える上質の毛がいいとされ、最高級なのは飴色のような半透明で、墨の含みがいいとか柔らかいとかの理由と、希少性によって非常に高価なのだそうです。      

 筆作りの職人さんは、そうした希少価値のある毛を更に選別し、長さを揃え、毛先を同じ長さにして平らにするという昭和年代に考案された長鋒筆(軸が細く、筆の穂が長い)を作ります。斑竹軸、水牛の角の「だるま」などの高級な材料を使い、仕上げは戒名ならぬ「命名」、毛の種類・筆の銘名、制作した職人名・筆舗など刻むのです。こだわりが細部にまで施されます。

 例えばかなり古い筆で、中筆「 細嫩頂光鋒 白富士  幽玄斎作」というものが手元にありますが定価5万円のラベルが付いております。(どうやら伝説的な筆の様ですが)。勿論数十年前の筆ですから、現在市販されていません。   毛の量も少なく、穂の長さも5㎝ちょっとの小ぶりな筆にしては破格の値段ですね。 もしこれが、毛の長さが10㎝を超えるような長鋒・大筆であれば  数十万円したでしょう。   
 
    これは、先日投稿した写真でありますが。一番下の筆(未使用の記念筆)も「特品 細嫩頂光鋒」と刻まれ、作者の名前もありました。筆の名が無く桐箱に「お礼」と書かれていましたから、贈答用に特注したと思われますが、恐らく5万円は下らないでしょうか。

 わが師である藤原先生「筆は値段ではないのよ」とのお言葉ではありますが、それでも名だたる書家さんが使うような高級筆(勿論中古)にあやかって、いくらかでもいい書をかきたい、と思うのはまさにワタシの俗人たる所以であります。

 少しでも文字を多く立派な戒名を付けて欲しいという、「見栄」でもありましょうか。




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最後には中国だけが残るか、さもなくば中国以外が残るか

2020年05月27日 | 時事
相変わらず大国らしからぬ所業でありますな。
まるでハエや蚊を叩き落すがごとく、人命を軽視し、政権にあだなすような知識人・医療関係者・法学者・ジャーナリストを逮捕し行方不明にしております。
一 方で、国外からちょっと批判されようものなら直ちに文句を言い返し、脅かすという子供じみた政府であります。

 ワタシは、高校生の頃「世界史」を学んでおりましたが、残念ながら入試の時期までには教科書も近代史の半分くらいは残していました。現代社会や国家の関係は、勿論長い歴史や変遷の末に形作られたものであります。しかし、とりわけその影響が強いのは、第二次世界大戦前後からの近代の歴史であろうと考えているものであります。
 例えば「社会主義」は実際には19世紀になって国家支配の理念として定着し、ソビエト中国を中心に世界地図を二分し、特に第二次世界大戦以後の軍事的な緊張関係や深刻な対立を引き起こしたのです。戦後米ソの核開発や宇宙開発などでの覇権争いは長らく続き、「東西対立・冷戦」構造であったのが、ゴルバチョフさんの時代から一気にソ連の大変革が起き、国家共同体を経て民族的な小国家の独立となりました。力関係が変わり、いまやロシアはプーチンさんの独裁による元ソ連構成国の一つとなり、東西ドイツの壁も壊されて、西も東も関係なくなりました。

 純然たる社会主義国は、中国はじめ北朝鮮・ベトナム・キューバなど数えるほどになりました。こういう現存している国を含め、社会主義や共産主義を掲げた国の多くに見られる特徴が「独裁」であります。

 資本主義下での労働者の搾取を無くすため階級差のない平等な社会を目指すという考え方は、もっともな部分でもあるのですが、為政者がその理念を利用して、民主主義を抑制し人権を抑圧します。
 更に、国家的な財産・経済、さらに主義主張・情報までも国家が統制するというプロセスから、独裁政治が生まれます。社会主義がその隠れ蓑になります。独裁のゆりかごになるのです。かつてのソ連・ルーマニアがそうでありましたが、今でもキューバ・北朝鮮・そして中国を見れば明らかですね。
 社会主義的な経済・農業・産業政策が著しく生産性に劣ることが明らかになって、ソ連も中国もこれを放棄し、いまや世界に冠たる資本主義的な産業構造に成長しました。

 今や、世界の工場と言われるほど工業生産力は工場し、世界の国々の企業が生産拠点を中国に移し、安価な中国製製品を輸入しております。また、AIやハイテク部分では世界トップクラスのノウハウや開発力を有しております。これは、国家的に産業をコントロールし、政財が一体化して、あらゆる経営資源・巨額な投資資金・産業情報を集めつぎ込むからです。
 政府が金を出すだけでなく、先頭をきって諸外国の政財界に売り込み、買収し、賄賂で人心を取り込むのです。「一帯一路」政策がその象徴であります。北はシルクロードのように、ロシアイタリアまで、交通・物流と人と金の大動脈を築きます。海路では、エチオピア・ケニアなどのアフリカにじゃぶじゃぶとお金と人をつぎ込んで、中国の勢力圏を広げております。
 あのテドロス事務局長が、中国政府の支援で就任し、本国は中国マネーによって国家運営が支えられているのも、イタリアで極端なパンデミックになったのも、そうした政策の一現象にすぎません。

 世界で2番目の経済大国・軍事大国ではありますが、すでに衛星を利用した軍事システムは、アメリカを完全に凌駕したそうです。身近には、空飛ぶドローンも、ほぼすべてが中国製です。
 次世代通信システム(5G)に至っては、アメリカ・日本他、数か国を除いて中国製(ファーウエー)のシステム導入が確実視されています。この技術の一つは、端的に言えば監視カメラやスーパーコンピューター・衛星などとインターネットで、地球上の人間のすべての動きが、瞬時にかつ克明に把握・解析出来るということです。どこにいて何を行い、誰と話をし、どんなメールを送りPCで何をしたか、どれだけの財産金融資産があるかさえも。丸裸になるのですよ。
 そして中国の法律では、そうした企業が持つ情報は政府の権限で開示させられることと明記されています。

 どういうことか。このままいくと、近い将来「HUAWEI ・ファーウエー」という中国企業が、世界のあらゆる情報ネットワークを手中にし、個人情報から国家的な機密情報までも一手に集め、解析し、データベースを持ち「いつでも中国政府がそれを閲覧・活用できる」という世界が来る、ことを意味します。
 
 これだけのシステム開発・テクノロジー・産業情報などがなぜ中国に備わったのか。それは、独裁国家で、いかなる不正操作も許され、手段を問わず世界の産業情報を盗み出す国家的体制があるからです。

「他国の特許は中国のもの、中国の特許は習さんのもの」

 各国のあらゆる産業・工場が中国内にひしめいており、中国人がその中で働けば、すべての情報は筒抜けになりますね。
 以前書きましたが、サイバーテロの9割以上は中国のサーバー発であります。産業情報を盗み出すハッキングの為に日本の組織のHP、データベースなどいとも簡単に侵入しているのです。産業スパイのみならず、他国の技術研究者を引き抜き、中国人研究者を各国の研究機関に送り込むなどお手の物。脇の甘いスケベ自衛官が「ハニートラップ」に引っかかったのもそう。日本の新幹線が中国で採用されて喜んだら、その車両から運行システムすべてが解体解析されて、あっさりコピーされました。長年培ってきた叡智と究極の最先端技術を、わずかな金と引き換えに中国に譲り渡したのです。

 この国は、モラルも他国に対する敬意も何もない、自国の利益のみしか考えない利己主義の塊です。その頂点に立つ人は、自分の政治生命と絶対的な権力を保持することのみしか考えていません。

 いずれ、自壊的(国民蜂起・指導者の死亡)またはその領土的野心と独善主義を恐れた国々が、中国を軍事的・政治的な力で解体させるか、あるいは、静かで一切の軍事行動無き第三次世界大戦が始まっていて、まもなく中国が全世界を支配するかのいずれかでなかろうか、と妄想しているのですが・・・・
 
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シャインマスカットを自前で作る 5年目

2020年05月27日 | 植物
 数日前から仇敵「コガネムシ」が飛来しております。桃やスモモには相変わらずアブラムシのコロニーがあちこちにできています。庭に野生化しているイチゴを狙っているナメクジは、だいぶ前に大量に殺虫粒を振りまきましたから、食害が少なくなりました。ヨトウムシは、ホウレンソウとエンドウ、キャベツに何度も産卵孵化しています。これも殺虫剤を潅注・散布しました。

 これから、秋まではずっとこんな調子で、毎日無数の(有益な)殺生をいたします。特にコガネムシは、ワタシの大事な薔薇の花を荒らします。果樹園の主役「シャインマスカット」の青々とした葉っぱを貪り、最後は多くの植物を瀕死に追い込む幼虫を地中に残します。にっくき不倶戴天の敵・親の仇なのです。

 ブドウの葉っぱは、それ自体がマスカットの香りを漂わせるような瑞々しいものでして、それはそれは、奴らの大好物です。早朝に団体でやってきては、油断すると日がな食べては休み、糞をしては眠るというような状態です。さしずめ、フカフカのベッド付きの高級レストランに住んでいるようなものでしょうか。ほおっておくと、葉脈だけを残して葉を全部食べつくします。ピークでは一日数十匹も襲ってくるのですよ。黒い糞がべったりと葉や茎にくっつくと、この匂いが更に仲間を呼び寄せるのです。

 効き目が強い農薬もありますが、撒いても結局何日か経つとまたやってきます。口に入れるものなので、農薬は極力避けていきたいのです。全体にネットをかぶせることを検討しました。しかし、ネットを被せたとして、上下に伸びていくツルとはっぱを清潔に保ち、風通し良く全部カバーしつつ、日照を確保し、袋掛けし、病気対策の殺菌剤の散布などの管理が出来る、ということを実現させる自信はありません。極めて難題なのです。
これだもの、やっぱり無理。

 結局は、例年のように毎朝棚の枠を強くゆすって、コガネムシがパラパラ落ちてくるのを捕殺する、というのが面倒でも効果的で「タダ」であります。それなので、棚の下には植物は植えず、遮蔽物が無いようにしてあります。

 さて、シャインマスカットは、花蕾の剪定は8割がた終わりました。先っぽ4㎝内外を残して(整粒)余分な蕾も摘み取りました。昨日あたりからぽつぽつと開花しています。
 
この状態を勿体ない様でもどんどんカットします。

こっちは整粒したものです。これがほぼ全体に開花する頃を見計らって「ジベレリン」水溶液に浸して無種化を行います。ジベレリンは、植物に「受粉した」と勘違いさせる成分を含む安全性が高い薬です。授粉していないのに、植物が栄養を送って大きく育つようになります。これで種も無くなるのです。果樹農家さんは、これをいろいろとブドウ以外にも使っています。ホルモン剤としての効果も高く、ブドウ粒などの肥大化にも役立ちます。
 今年は4月に低温の日が続き日照不足もあって、開花が遅れておりますが、あと1週間くらい先になろうかと思います。

 同時に、これから梅雨を迎えて「黒糖病」との戦いも過酷になります。すでに3回殺菌剤を散布していますが、雨のたびに、あるいは10日おき位に散布を繰り返します。露地で雨だたきのぶどう栽培は仕方ありません。最も雨を嫌がる(病気にかかりやすい)品種ですから、そうしてもやはり病気には罹ります。被害を最小限に抑えることしか出来ません。

 そうだ、アブラムシ駆除せねばなりません
 この先は また後日
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コロナのどさくさというより 火事場泥棒と言える

2020年05月26日 | 時事
以前は、「五十の手習い」と覚えていました。今は、日本人の寿命が延びたせいで六十の手習いと呼ぶのが一般的になりました。織田信長が、「人間(じんかん)五十年、」 と敦盛を唄った時代は、平均寿命が50歳だったのでしょう。
1960年頃は、男子65歳女性70歳位なのだそうです。子供の頃、まわりの60歳台の人たちがえらく年寄りに見えてました。今は男女平均で80歳越え、政府によると人生100年時代になったのだそうです。
 100歳まで生きて幸せなのは、元気で、お金があって周りに世話をしてくれる親族がいることです。そんなに長生きしてもいいことは少ないように見えて仕方がありません。

 余生を楽しもうという年代が、段々繰り上がってきているので、そのうち70の手習いが一般的な表現になるかもしれませんね。
 ワタシは、55歳にして園芸を始め、60歳定年を過ぎて基本からお習字を学んでおります。園芸は、薔薇と家庭菜園から徐々にフィールドを広げ、最近では「ハオルシア」をメインにした多肉・観葉植物に手を染めてしまいました。多肉は、場所をとらず、世話が簡単で、生長もゆっくり、室内でもきれいに扱えるのでお手軽という所がよろしいですよ。
 お習字(書道)はすっかり日課として4年半、よほどのことが無い限り、一日1,2時間かけて稽古をいたしております。コロナで2か月教室はお休み、これまでも自分が上達したかは先生の評価にかかるのですが、うちの藤原先生は特に何もそこはおっしゃらないので、よくわかりません。
 更に、最近は絵画も再開しました。ちょっとしたきっかけで水彩画を描くことにいたしました。絵筆をとったのは15年ぶりかなぁ。

 それで、定年の話に戻ります。政府があの検察庁法の改正にひっくるめて上げていた公務員の定年延長法案であります。そして年金制度改革法案もあります。働き方改革だの、一億総活躍社会だの、自民党と亡国官僚の目くらまし政策に、ワタシ達は躍らされておりますが、真の狙いのひとつがこれであります。
 
 元はと言えば、理論的にも実際も破綻するのが目に見えている年金制度の失政を糊塗するために編み出した、国民に対する「死ぬまで働け」政策です。現役世代が老人を支える(これが制度の一番の欠陥)のが不可能になったのは紛れもない事実、非正規雇用が増え少子高齢化により、年金財源確保が難しく現行水準の年金支給は不可能になって来ました。
 そこで、財源不足を補うために、元本保証を原則としていたはずの年金資産運用をいつの間にか株式ほかのリスクがある投資につぎ込んでいくようになりました。さらに、企業に定年延長を強いて、年金支給年齢を遅らせようというとしました。100年安心プランが破綻し自己資金2000万円が無いと生活できないという報告書が明るみに出ましたね。

 そして、何年も成立を画策していた公務員の定年延長です。こんなもの100%不要です。それは、民間の何倍もの退職金と、公務員夫婦両方で受給できるような優遇された手厚い年金(旧公務員共済年金)があるからです。50歳以降何回でも関連団体や民間天下りが出来る御身分なので、すでに実質定年など無きに等しいのです。役人で忙しいのは20~30歳台にすぎず50歳過ぎたら、午後出勤、日がな新聞や雑誌に目を通し、書類にハンコをおすだけの軽作業ばかりになるのです。若手の役人は、そういう先輩を見て、年取ったら今度は自分が楽出来るというので、雑務に追いまくられるのを我慢するとも聞きます。
 隣の人がどんなに忙しくても知らん顔、自分の仕事が多いとパート・派遣に丸投げします。そういうところが役所です。ワタシは10年ほど役所の御用聞きをやりましたからよく存じております。
 今度の延長で、ろくに働きもしないくせに、60歳過ぎたら現役の70%の収入を保証するそうですよ。
 ワタシの知る限る、民間の60歳以降の準正規雇用者の給料は現役時代の1/3から1/4というところ、せいぜい月20万円ですよ。で、こうした給与所得者には、年金を支給しないのです。年金だすのが惜しくて国民に働かせるということです。
 
 現在、地方公務員含め330万人います。これに関連団体(公社公団、なんとか機構・協会などなど)が右に倣えとなります。団体職員と言われるこれらの人は数百万人はいますね。これらの人が、定年後大体6百万円の年収が約束されることになります。試算によれば、公務員定年延長にともなう人件費増は数兆円に達するとされます。消費税増税分の使い道はここだったんですね~怖いですねー。
 
 連合や公務員の労組などを政治基盤とする野党は、これに賛成していました。だから、少数野党から抜け出せないのですよ。仮に労働者組合が本当に支持基盤であったなら、僅か1~2%しか支持されないわけがないのです。野党は、国民全体の願いや幸福をこそ真摯に追求すべきなのです。津津浦浦に支持組織を築き、利権と創価学会の組織票に守られた自民党に立ち向かうには、いつまでも狭小な料簡で、特定の団体の利得や、絵にかいたような政治理念にとらわれていては駄目なことに気づくべきなのですが。

 更に年金制度の改正で、受給年齢を遅らせると「計算上」は現行よりたくさん貰えるという仕組みに変えると言います。嘘ばっかり。頼みもしないで法律が改正されるとき、それは100%行政・政府にとって有利(納税者には不利)になるのは自明であります。国が損するようなことをやるような馬鹿はいません。間違っても受給を遅らせることはしませんよ。

 このコロナのあおりを受けて、世界的な不況・株安がおきました。案の定、年金運用資産も甚大な損失が発生し、一説には10数兆円も「溶かした」そうであります。失政や行政(社会保険庁)の不手際、制度の欠陥を糊塗し、国民を欺くために、高リスク運用に手を染めたのです。
 稼ぎの無いバカオヤジが、なけなしの生活費を奥さんからむしり取って、「倍にして返す」と言いながら馬券買いに(パチンコ店)に飛び出すようなもんです。

 検察庁法・種苗法(近いうちに紹介します)・国家公務員定年延長・年金改正、どれもこのどさくさに紛れて、国会を通そうとしました。

「下天(化天)の内を比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」この人生は、夢幻のように儚く、あっというまに消えていくものでありましょう。

 残り少ない一般市民の人生を馬車馬の如く働かせるのではなく、安心して余生を過ごせる世の中にしよう、と思う政治家や公務員はいないのでしょうか。
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