植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

篆刻家を目指そう 今からでも遅くはない

2021年05月31日 | 篆刻
 昨日は晩御飯の前に自治会の会長を集めた会議があり、夕食の後は自治会で必要になった新たな人選と、部会に関わるトラブルで近隣の関係者宅を回り、なんとか暗くなるころには一件落着しました。連日自治会の用事に生活を乱されているのです。

 家に戻ると先日光電話を解約した影響でWi-Fiが飛ばなくなり、スマホは会話以外はほとんど通信不能、ゲームもlineもヤフオクも操作不能、ニュースも読めません。
 ワタシの自宅が相模川の川沿いにあり、電波を仲介する「基地局」からの通信範囲の円の縁にあるようです。家の中では、唯一西側の離れの壁際がその境界線にあたっていて、必要に応じてその壁のそばへ行くことになります。そこには書道の練習に使っているスチール机を置いているので、夜になると筆ペンによる実用書道の練習しながらスマホをいじるという有様であります。

 近日中にプロバイダーからIDやPWが届く予定なので、ルーターに設定変更すると復活すると説明がありましたが、いささか不安であります。

 今朝は、すでに草取りゴミ出しを終え、ようやく仕事場に入り、これでブログ更新したら、カナちゃんの花屋さんにメダカを届けます。そのあとはマッサージの予約があり、午後からは、今計画中の篆刻販売用デモ・チラシ作りに頼んだ商業デザインの専門家に来てもらい、写真撮影など打ち合わせが入っております。

 2年前からみると生活が様変わりなのです。それまでほとんど日中誰とも会うこともなく、日がなガーデニングと書道、メダカ飼育に没頭していればいいという浮世離れした生活だったのです。ワタシの隠れ家は、コンビニの2階、裏手がマイガーデン、しかもいつでもコンビニで飲み食いが出来るという夢のようなスローライフだったのですね。当然コロナとも無縁、誰とも会わないので感染しようも無いのです。

 それが、ブログを日課として毎朝1時間はこれに割かれるようになりました。また、メダカは増えすぎたのをきっかけに花屋さんで安く売ってもらうようになりました。篆刻はその魅力の虜になり、毎日彫っています。ヤフオクで安く印材などを集めたりするので、毎日のように宅配便も届くようになりました。しまいに、趣味が高じて売り物にしたいという欲求に駆られているのです。

 小金を稼ぐ必要はありません。年金も貰っているし副収入もわずかですが毎月定額を貰っております。月に数万円を苦労して得るくらいなら、そのお金を倹約し使わない方がはるかにマシで楽なのです。理由は「向上心」(笑)と友人・知人への援助なのです。

 篆刻は、彫るほどに腕が上がるのは明らかですが、暇つぶしで彫っているのと、人様からお金を貰ってガチンコで身を入れて彫るのでは格段に違いが生じます。腕を上げ多様な篆刻手法を習得するのには近道だと思うのです。更に、来年は篆刻作品展に応募しようと思います。専門家の目で客観的に自作を評価される、というのは結果に関わらず大きなモチベーションになります。
 知り合いが経営するいろいろな業種の店舗(3,4店舗)に篆刻制作のチラシやサンプルを置き、取り次いでもらうわけです。ワタシの懐に入るのはわずかでいいのでその分値段は安くし、彼らに取次ぎ手数料が入れば喜ばれるでしょう。

 篆刻という、かなりマニアックな世界に踏み入ったワタシは、それに打ち込むに従って、これが自分の性分や才に合った天職ではなかろうか!と一人合点しております。生まれ変わったら篆刻家になるのだ、と心底思いますね。50年数年来の友人が「生まれ変わらなくてもなれる」と励まして(けしかけて笑)くれました。残りの自分の推定生存年数を指折って諦めたら、何も始まらず、何もなしえないのです。

 残された時間が短いほど、為すべきことやり残したことにとりかからねばならぬ、ああ、それなのに自治会などの雑事・雑用がワタシの行く手に立ちはだかるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新米自治会長のボヤキ

2021年05月30日 | 雑感
この4月からくじ引きみたいなもので引き受ける羽目になった自治会長のワタシ。それまで自治会とは全く無縁、地元のイベントはすべて無視してきたことへの報い(祟り)でしょうか。全く興味も実際のかかわりもない、さらに言えば地元の人間にほとんど知り合いのいない言わばよそ者なんです。

引き受けざるを得なかったのは、高齢化で自治会の理事の3割が80歳前後の高齢者、仕事を持ち現役で働く人が4割、残りも重い病気持ちや介護家族があるパート社員などで、人の世話を焼いたり自治会町内会活動をするどころではない人がほとんどだったからであります。
 
つぶさに見れば、連れ合いの方が無職で自由が利くとか、仕事は嘱託なのでその気になれば時間は取れる、という人もいたのでしょうが、そういう断る理由を用意している以上は更に詮索も出来ません。

 その点ワタシは、客観的にみれば妻も含め「健康」「家に病人も要介護もいない」「生活に窮していない」「自由業」と辞退する理由が見つからないのです。一応会社経営者、早朝からゴミ拾いや草むしり、ブログに書道、篆刻、メダカ、ガーデニングなど山ほどやることがあるので休日もなく夕方まで大忙しではありますが、自由がきいて体の制約は全くないのです。つまり自治会の仕事があってもどうにでもなる、というありがたい(笑)身分でもあるのです。

 しぶしぶ引き受けました。長い人生の中で地域への貢献が、いつか必要だと考えていたのも事実です。隠居した70歳過ぎの爺さんでも務まるのですから、ワタシのような60歳代でPCや書類作成、交渉事などにも抵抗のない人間ならどうということもなかろう、というのが観念した理由でもあります。

 前任者は、やはりあまり自治会には熱心でなく元はよそから引っ越してきて数年で、引き受けさせられて気の毒であったようです。様子がわからない中で2年自治会長、後半の一年はコロナでほとんど活動休止となっていたようです。理事会も1年全部中止、これならある意味楽が出来たのです。

 引き継いで困ったのが、過去二年間の資料が無い、ということでした。どういうものか会長引継ぎで貰ったのがノートパソコン1台、スマートメモリー、ハンコ、町内の独居老人など災害時介助対象者リスト、そして配布すべき印刷物の山でした。全く過去二年間の活動を示す文書や資料が無いのです。PCに保存してある文書は理事会通知文ですが、実際に理事会が行われていないので項目しかわかりません。おそらく機能不全に陥っていたのでしょう。

 それで、新旧交代のあいさつも無し、予算決算を伴う総会は公民館の屋外実施、新任理事はほったらかしで、旧役員間で口論が始まりました。「要望や懸案事項が何も解決できていない。」と辛口のおばさま役員たちが会長などの執行部に文句をつけ始めたのです。新任役員(理事)たちは何のことかわからず傍観するだけ。やむなく「問題がわかったけれどここで議論しても埒が明かないので、先に進めましょう。」と助け舟を出したのがワタシの新会長の初仕事(笑)でありました。

 去年の台風で壊れた児童館(自治会の集会場)屋根の修理が行われていない、もとから調子が悪かったコピー機が年初に完全に壊れたのに修理買い替えをしていない、というような問題を先送りしていたようです。会長引継ぎでも何も言及していませんでしたな。

 結局新旧理事同士の簡単な引継ぎ以外には、お互いの顔合わせもあいさつの機会もなく、いまだに新メンバーの名前と顔がわからないのであります。年寄りばかりでスマホ使用者は少数、ガラケーを持っていても普段使ってないとか、競輪の警備の仕事で不在が多く携帯も出られない、などまともな連絡網も作れません。

 すでにして、就任後2か月経過し、市や各団体では自治会に関わる活動は進行しているので、配布物(回覧板)、各団体の総会招集、会合、小イベントなどあちこちから電話と郵便が毎日舞い込んでおります。どれも初体験、様子がわかりませんし、相談相手は家内だけであります。

 引き受けた以上、意地でも責任をもって2年間自治会の仕事を完遂せねば、その一念で、あちこち調べ聞きまわり状況の確認し、最低限やるべき事柄をなんとかこなしております。

 コピー機も家内と一緒にヤマダ電機で適当な機種を見つけ購入いたしました。初期セッティングも理事への操作説明もこちらが行いこれは落着しました。屋根の修理は、前任会長が放置していた理由がうっすらわかりました。昨年の台風で児童館の屋根の30%くらいが剥がれたのだそうです。近所の工務店のおやじ(町内会の古参)が緊急補修(屋根に上ってめくれた屋根材を仮止め)していました。スレート瓦ではなく屋根用の分厚い樹脂でできたシートで出来ていて、その下の板材がすでに腐って留め具がきかない状態で、板を全面張替えしないとならないのです。幸い火災保険に入っていたので、保険金申請をしてあり入金も確認しました。

 ではなぜ着工できなかったか。おそらく保険金(約40万円)と工事見積額66万円の差額の支出を決めることが出来なかったのでしょう。これは、工務店側が、ついでに傷んだ側壁の塗装工事(40万円ほど)をやるべきだと主張したことに起因する様です。100万円以上におよぶ補修費用を自治会の理事会で決定できなかったのは、会長が理事会を開かず、会の中止書面にも載せず、副会長などとも相談していなかったからなのですね。

 そろそろ台風の季節が近づくというのに、台木の板が腐ったのに釘で仮止めした屋根を放置するわけにはまいりません。工務店との折衝や過去の資料をいろいろ探し、物知りの人にも聞いて、ともかく児童館が設置してある公園の管理者(市の公園課)に行ってきました。建設時からの申請書類や補修に関わる制度をヒアリングいたしました。更に、こうしたケースは補助金がでるらしい、とい情報も持っていたので、その取扱い部署にもうかがいました。

 昨年の災害なので、新年度の予算対象にはならない、コロナで事業予算が削られている、前年度の申請が無いので予算措置されていない、さりとて来年度予算に組み込むことは制度上不可能、とにべもない回答でありました。実は、そこはワタシのもっとも得意分野なんです。金融機関勤務時代、10年ほど自治体や官公庁の担当として交渉事に携わり役所の会計には精通しております。更に、どこに役人の弱点があるかもよく知っておるのです。

 市の補助金は、補修設備工事費の半額が上限であります。屋根の補修は66万円ですが、この「半額を補助せい」というのは保険金があるのでさすがに無理筋です。それを差し引くと26万円、せめてその半分を出してくれと粘ったわけです。(これ以外の交渉術はあえて明かしませんが)

 翌日申請書類が届きました。ぐずぐずと渋る市の係が内諾したのです。書類はワタシが作成します。来月の理事会にかけて承認されれば、すぐに工務店に着工してもらいます。新米会長として13万円ほどの出費を減らすことが出来たわけんですね。

 はぁ、こんなことばかりが当分続きそうなんです。毎日のように自治会の雑務などに時間をとられるので、メダカ、日記、ツムツム、書道など、どれかにしわ寄せが出てきました。あと22か月、長いなぁ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NTTはどんだけー

2021年05月29日 | 雑感
インターネット契約の続編であります。だいぶ前(NTTもNEXTBBも戦さだ)に書きました。

 NEXTBBは、ネットビジネスを手掛ける代理店で、インターネット契約(フレッツ光)を事業者変更という手法でただ乗りして、結果、契約者から大枚の金をせしめるというブラックな会社であります。これに限らず、類似した代理店と称するコバンザメのような会社が多数あり、みなさんの固定電話にしつこくセールス電話を仕掛けてきます。

 これにまんまと騙されて契約したのが3年前でした、あれこれ名目をつけて代金を増額してきたり、仲間の業者とおもわれる会社から、再度乗り換えませんかと電話が来たりで、不愉快この上ないので解約しようとしたら、今度は3万5千円の違約金がかかりますと言ってきました。ちゃんと請求額を支払っておりますから約束なんぞ違えちゃいません。3年契約で、自動更新になるので3年経った時点だけは違約金の対象にならないのと説明されていますが、その時でもやはり3万円以上の解約手数料がかかるというのです。通常は多くて一万円、だいたい大手で5千円の手数料がかかるようですから、まぁ質の悪いぼったくりでありますな。NTTもこれを黙認しているので似たようなものです。

 とにかくNEXTBBと手を切り、NTTとの契約に戻すことが最大目標なので、辛抱して手続きに入ったわけです。電話を介して自宅と会社で2契約、しかも自宅の電話は2回線あり、NTTにはずいぶんもうけさせています。

 最初に、NTT東日本にフレッツ光に手続きしようと電話をすると、なんだか知らない会社が出てきました。また、代理店であります。インターネットでの申し込みサイトは、こうした代理店が本体を装ってHPを持っています。検索しても優先的にそっちに飛ばされ、代理店の名前は米粒位に小さい!。

 もう代理店は懲り懲りなので、そっちは避けてやっとNTT東のフリーダイヤル(通称116電話)に掛けましたら、「NEXTBBから事業者変更番号を貰って」とのことでした。そちらに連絡すると上記の違約金の説明が事務的にありました。おそらく日常的なんだろうと思います。発行手数料が5千円かな、当日は出来ない、ともったいをつけ翌日メールにてその番号が来ましたので、再度NTTに事業者変更手続きを無事終えることが出来ました。

 さて、次はプロバイダー契約であります。これはNEXTBBが回線利用とプロバイダー契約を兼ねていたので、別途新規に契約する必要があるのです。こちらも以前から利用していたNTT系のOCNに電話をして契約が終了し後日会員証のような書類が郵送されました。

 ふー 一苦労であった。
そして昨日、再度NTT116へ電話しました。簡単につながったかと思いきや、とんでもない、今まで毎日のように連絡を試み、約20日間コールセンターに繋がらなかったのです。今日こそはと、9時の開始を待って電話をしたので、かろうじてつながったようです。用件は一度NTTに相談済みですが、自宅の電話回線の2本(AとB)のうち一方を解約したいと思っていたのです。片方の電話Aにやたらとセールス電話やらワン切り、無言電話が多発していたので、怒った家内はすでにケーブルを抜いておりました。使用しない電話に料金を払い続けてきたのです。

 もう一本の電話Bは、亡義母の名義で契約していて親戚やらなんやらの連絡番号にしています。これまで、これがダイヤル回線のままだったので、Aの電話を解約して、光ファイバー契約の変更後、デジタル回線・フレッツ光の契約回線(光電話)の登録をBに変更しようと思いました。それで電話をしたのです。

 ここからが面倒で大変でありました。変更予定の電話回線Bの契約者は義母、今回のフレッツ光の契約者はワタシですが、当初インターネット契約をしたのが長男、料金の支払い名義は家内という現状でした。NTTによれば回線の名義人の同意が確認できないと変更には応じられない、との返事です。相続手続した時の書類を用意し、相続人がワタシであるとの疎明資料を差し出せと。
他方登録上のインターネットの契約者が息子名義なので本人が「了解」する意思の確認も必要があるというのです。

 なにを今更、固定電話の持ち主が亡くなったら「そうだ電話の名義変更だ」などと思いつく人はまれでしょう。相続手続き自体も不要の家庭も多いと聞きます。そんな契約がNTTにとってはおいしいビジネス、だまって電話料を貰えるので名義なんてどうでもいいはずなんです。これは解約されないためのバリケードではありますまいか。

 約2時間の押し問答や折り返しや息子への電話などの結果、変更は諦め、先日登録したばかりのインターネット契約に登録したAの電話を解約することにしました。すると光電話として使えないだけでなく、インターネットの設定もやり直しとなるのですが、仕方ありません。Bは名義も何もかも変更できず今まで通りです。これで終わりでは無かったのです。新たにOCNのプロバイダー契約をやり直さなければなりませんでした。以下はもう疲れたので省略しますが、丸一日を、ネット契約と電話契約の手続きと交渉に費やすことになりました。

 NTTは旧電電公社(親方日の丸)で、ワタシ達はインフラ整備(電話線の敷設)の名のもとに祖父の代から10万円以上の電電債を買わされました。若くて結婚したばかりのワタシもお金がないのに切り詰めて捻出しました。売り買いが出来るので「資産」価値があると納得したのです。それがNTT民営化に伴っていつのまにかチャラとなりました。電話加入者に対して負っていたはずの、返還義務を記さない債権という「負債」がうやむやにされたのです。これで財務内容を大幅に改善し、株式公開で高値になったので政府は大もうけをいたしました。

 更に、あれだけテレフォンカードを売っていたのに、携帯電話の普及に伴いどんどん公衆電話も撤収、テレカの買取には応じないため、多くのカードが引き出しの底に眠っています。ワタシ達は電話が公共料金だと勘違いして盲目的に払ってきたのです。今やその大半が携帯電話に切り替わったので、NTT(ドコモ)やソフトバンクなどにシフトし、そちらに毎月多額の料金を支払わされる羽目になっています。「庶民の生き血をすするけしからん集団」とも言えるのです。

 インターネットや携帯電話のおかげで、膨大な情報を瞬時に得ることが出来るようになり、ビジネスから個人の趣味まで幅広く可能性を広げました。今までなら入手できなかったような品物も簡単に取り寄せることが出来ます。
 そうした恩恵と、毎月支払う多額の使用料、PC・スマホなどの購入代金・ネットで必要以上に品物やサービスを受けるコストも膨大となっております。更に、インターネットを通じた詐欺や犯罪、個人情報の流出などさまざまなリスクにさらされるようになったのも明白です。

 その損得が実際どうなっているのかはわかりませんが、もしかしたらとんでもない代償を支払わされているのではないかと危惧しております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健さんの映画を堪能する

2021年05月28日 | 雑感
高倉健さんの生誕90年なんだそうです。日本を代表する国際的な俳優で、国内外の映画人からも尊敬される大スターでありました。長身で足が長く、筋肉質な細身、眉が太く大きな目、彫りの深い顔立ちは日本人のあこがれでもありました。モテたでしょうね。

 BS、WOWWOW、CS放送などでも盛んに高倉健主演映画を流しております。ワタシが生まれた時分に映画俳優デビューして、ながらく東映やくざ映画の大看板でありました。おそらく初期の映画から順番に放映されていたので、数か月前放送されていたのは緋牡丹博徒や網走番外地などの任侠映画 が多かったのです。カッコよかったなぁ。黒い着流しで一升瓶を下げ、背中の帯には「匕首」を挟み込み、単身敵役の親分の屋敷に乗り込む姿はしびれます。それから、やくざ路線からだんだん離れて、1973年の「ゴルゴ13」あたりから、文芸路線に転換しました。

 それでも晩年にいたるまで、訳アリの過去、前科者や殺人歴という設定が多かったのですね。寡黙にして無骨な役柄を演じれば、誰もまねが出来ない存在感があり、ワタシ達が想像する以上にストイックで努力家であった由。また、対人関係でも優しい気配りのある私生活であったようです。一方で、晩年以外の役どころに共通するやくざ気質、「犯罪的な過去・暴力性」という設定は、高倉健さんのどこかにそうしたものを想起させるような性質や素行があったのではないかとも思います。

 やくざを手始めに、軍人・居酒屋の主人・刑務官・警察官・鉄道員とどちらかといえば、公務員や庶民的ブルーカラー的な配役が圧倒的に多いのです。例えば、学者や教育者、医者、芸術家や企業家など社会的地位が高い知的な役柄が少ないのも、任侠路線の印象が余りにも強すぎるとか、なにか因果関係があるのかもしれません。案外(失礼)少年期から勉強家で英語も堪能、明治大学商学部に進学しているのです。

 見るとはなしに「幸福の黄色いハンカチ」 「遥かなる山の呼び声」など10本以上を鑑賞しましたな。こちらも数十年ぶりに見た映画が多く、筋立てなどは忘れており初めて見る映画のような感覚になりました。時折印象的な場面になって、そういえばこんなシーンがあったな、と思い出します。あの小さな手提げバッグを片手に、というのが流浪する健さんに、ついて回る姿でありました。
 
 幸福の黄色いハンカチ では、刑務所を出所するところから始まりますが、食堂でいかにもおいしそうにビールを飲み、かつ丼を平らげるシーンがあります。出所したての前科者が娑婆で食べるものがいかに美味しいか、それを表現した見事な演技だなぁ、と思っていましたが、健さんはそのために二日間飯抜きで撮影に臨んだそうです。
 出所後、舎弟が用意した横浜の山手(いまも実在する)マンションの部屋に入るのが映画の冒頭になる「冬の華」でも、パンにジャムを塗って牛乳と一緒にほおばるシーンも同様でした。一生懸命に役作りに取り組んでいるからこそ、降旗さんや黒澤明、山田洋二さんなどの名監督に一目置かれ、引く手あまたの名俳優だったのです。

 しかし、それにしてはずいぶんひどい映画にも出ているのです。二流映画・低予算・暴力や残酷シーンを前面に出したチープで安直な映画です。その代表が「ゴルゴ13」や「野生の証明」であります。これだけメジャーな映画にもかかわらず、ストーリー展開が不自然で陳腐、やたらと人が死にます。ゴルゴでは中東が舞台なのに、外人も含め全員が日本語を話す(笑)リアリティーの無さに驚きます。健さんの演技も原作とは全くイメージが違い、違和感だらけでした。(それでも千葉真一主演のゴルゴよりははるかにマシでしたが)

 角川映画で鳴り物入りだった「野生の証明」では、登場人物のほとんどが死に、健さんも薬師丸ひろ子もエンディングで死んでしまうという無茶な脚本でしたが、なんと健さんが何度も「なた」で人間の頭をカチ割るシーンが出てきます。特殊撮影もチープでバキュンドキュンという効果音も現実味がないお粗末な映画だったのに、当時はこんなものがもてはやされたのでしょうか。

 いくらいい役者を揃えても、配給会社と監督次第では、駄作になる典型的な映画でした。健さんも内心嫌だったのではないかと思います。

 晩年になると、「鉄道員(ポッポヤ)」、「単騎千里を走る」、などと落ち着いてしみじみ見れる映画が続き、2012年「あなたへ」が最後の主演作となりました。

 田中裕子さんが、亡くなった奥様役、その郷里の長崎の漁村に奥さんの散骨をするというのが映画のクライマックスでした。奥さんの生家の写真館に飾られた古い彼女の少女期の写真を見るシーンが印象的でした。健さんは、この時すでに80歳を超え、明らかに老人の足取りや身のこなしでした。活舌も悪く、張りがないカスレがかった声が誤魔化し様の無い老いをみせつけました。おそらくこの後健さんは映画には出ない、演技は無理だと悟ったのではないかと想像します。この二年後に他界しています。

 これを数日前に見たのでこれでおしまいと思ったら、オマケがありました、「健さん」というドキュメンタリー映画まで作られていたんですね。

 特に多くは山田洋二さんの映画に出演されていて、非常に好感が持てる作品ばかりなのですが、寅さん(渥美清)、倍賞千恵子さん、吉岡秀隆 さんなど寅さんファミリーとの共演作が多くて、なんとなく健さん映画とフーテンの寅さんとオーバーラップするような錯覚に陥ります。寅さんは「てきや」健さんは「侠客」似たようなものではありますが。

 古い映画をみるといつも感じるのは、あらかたの俳優さんはすでにこの世にいないということです。かつてスクリーンで輝きを放っていたスターもいずれ鬼籍に入ります。そんなことをしみじみ感じる歳まわりになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年こそは ぶどうをまじめに作る

2021年05月26日 | 植物
先日ようやくブドウの「ジベレリン処理」一回目を終えました。ブドウの無核化(種なしにする)大事な作業です。生産農家ならこれを手抜きすると種なしブドウの出荷対象とならないので規格外の安値で出荷する羽目になります。タイミングを外さないために、冬の選定作業から第何節で全部切りそろえるようにします。一斉に新梢が伸び同時期に花蕾をつけるための手間なのです。


 ワタシは、種があっても気にしない方なのですが、シャインマスカットなどは噛むと種が苦くて食べるのに邪魔なので、一応整粒した花をジベレリンの水溶液のカップに漬けます。引き上げてパパッと滴を振るうようにします。水滴が溜まるとそこから茎が撥ねてねじ曲がったりするので、なるべく均等にするのがコツなんですが、まぁそこは適当に。

 この後2週間以内にもう一度ジベレリンを使います。二度目はホルモン剤としての効果を出すためで粒の肥大化を促進いたします。フルメットという薬剤も同様の効能があるのでそちらを使ってもかまいません。実はすでに甲斐路の一部は花が咲き終わり膨らみ始めているのです。こっちもジベレリン処理しましたが、一回目をとばして2回目「接種」、種有りになるでしょうね。いずれにせよ種なしと果房の肥大化両方に使え、薬害もないという魔法の薬で、この恩恵は農家さんだけでなく、消費者も種のない大粒のブドウを食べられるようになりました。

 ともあれ、今年はビニール屋根でブドウ棚を覆うという念願がかない、全体の約7割が直接雨に当たらない環境になりました。欧州三兄弟(シャイン・ロザリオビアンコ・甲斐路)は葉っぱやブドウの実まで雨に弱く、病気を起こすのですが、今年からはそれが大幅に軽減されるのではないか、と期待に打ち震えております。

 黒糖病に罹ると、葉っぱは赤く枯れ茎も真っ黒に変色して腐ってきます。ブドウは袋掛けした中で黒い斑点が表面に点々とでてきます。すると皮が固くなり肥大出来なくなります。食味も甘さも落ちてくるのです。現実的には、何年も雨ざらしなので、すでにブドウ棚のメッシュ筋を含めてブドウの木全体にまんべんなくウィルスや病原菌が回っているのは間違いありません。これから数回、屋根の下で消毒液を浴びながら散布いたします。根絶できなくても殺菌剤を噴霧しただけ被害は軽減するはず、しかも、雨降りにさらされなければ、病原菌の繁殖を促進・媒介する水分が葉や茎につかないので病気も広がらないはず、なんです。

 シャインマスカットの棚は幹を中心に一辺約3mのビニール屋根がありそこから四方に1m前後ツルが伸びはみ出しております。これは適宜剪定したり屋根の下に誘引します。周囲が濡れて病気になっても仕方ない、ブドウも生らせないようにします。そこからつるを伝って全体に水が回りさえしなければ大丈夫ではないかと素人園芸家は考えているのです。

 これで安心は出来ません。昨日ついに憎いあいつを発見いたしました。
コガネムシ」であります。葉っぱをぼろぼろに食い尽くすコガネムシの大好物はブドウの葉っぱやバラの花です。桜やスモモ、あじさい、ゴーヤの葉にも集まります。大挙してやってきてほおっておけば半日居座ります。コガネムシの黒い粘液上の糞は病気の温床になるだけでなく、その臭いが仲間を呼び寄せます。葉っぱを失えばブドウは光合成出来なくなります。

 更に、コガネムシたちは腹を満たせばすぐに交尾いたします。メスは卵を地面に産み付けるとそのまま息が絶えるのです。20個以上の卵から孵った幼虫たちは、今度は土中を動き回り腐葉土など有機物を食べ漁るのです。当然地中を移動し、あたりかまわず齧るので根を荒らし、最後は根を食べつくします。早い話が、親子でとんでもない植物荒らしなのです。

 対抗策は1農薬 2ネットで防護 3ハウス栽培 4毎日手足で駆除となりますが。ワタシは当然4の人力駆除です。毎朝ブドウの棚をゆすってパラパラ落ちてきたコガネムシを踏み潰すか手で捻る、をむこう3か月続けるのです。
 1の農薬は自分が無農薬のものを食べたいので極力避けています。ネオニコチノイド系の農薬ならば浸透移行性(葉や根から吸収し植物全体に成分がいきわたる)があり、持続(残効) 性(1か月くらいか)も長いので農家さんは挙ってこれを使いたがるのですが、やはり劇薬指定の農薬ですから人体への影響もないとは言い切れません。また、世界的なミツバチの減少の原因ともいわれているので、使用をためらっています。

 ネットで葉を守ろうとすれば上下をすっぽりと覆わなければ意味が無いのですが、これはワタシの知恵と力の及ぶところではありません。ましてやブドウ用ハウスを構築することは、金がかかりすぎて非現実的なんですね。

 今朝は雨、いつもなら雨降りはコガネムシ退治は出来ません。が、しかし。今はビニール屋根が出来ているので、ぶどうの棚をゆすっても、びしょぬれにならずに済みます。毎年、ブドウは病気になり房も粒も小さい出来損ないでありました。今年こそちゃんとしたブドウを作りたいのです。さてあいつらと一戦交えるとしましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする