植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ついにお宝にめぐりあえたかも その2  

2021年10月31日 | 篆刻
 待ちに待ったヤフオクで落札した印三本が届きました。呉 昌碩や徐三庚の名前が読み取れる大型の古印が、24千円の代物でありますから、模造品やバッタ物の可能性が高いとはいえ、時代物でありそれなりの石材と見えたので、満更、馬鹿にした物でもなかろうと思ったのです。

 届いたものは「高級美術品」と赤く大きなシールが貼られておりました。開けると、角が傷んで塗りも剥げかけた朱塗りの蒔絵箱に入っています。これはどう見ても古いだけの安物、普段使いの文箱であります。3個の印はいずれも幾重にも緩衝材や和紙に包まれて「貴重品」扱いです。この品物を出した出品者さんは、京都の古美術店専門店なので、ひどい粗悪品を商っているとは思えず、厳重な包装だけを見ると、それなりの品物として扱っているように見えました。

 そしてその全貌がワタシの目の前に明らかになりました。第一印象では、「これはすごい、本物ではないか」と胸が高鳴ったのであります。こうした印の最悪の偽物は「人造石」、あるいは古い高級な石に見せるために表面に塗料が塗られたり、染められたり、フィルムを張ったりするですが、手触りも石の風合いも自然石には間違いなく、中国お得意の模造石ではありませんでした。第一関門は突破したので一安心です。


 次なるハードルは、石の質と保存・使用状態であります。もし書の大家が200年以上も前に作ったとしたら、①歴史的価値のある美術品として扱われてきたはず ②古い時代に使用された石で、巨匠にふさわしい印材が用いられたか ③最長5㎝もある大型の印材が当時一般的だったか というようなことになります。
更に、印面に彫られた字の意味や表面の状態と側款の真贋であります。



 まずはこれ。4×5㎝の大きな印で、印材は古い時代の「青田石」と見ました。古材の特徴は、青みが少ない茶色がかった飴色になります。現代売らていれる普及品の青田石は、薄い緑か黄土色で、ガラス質など雑成分が多く含まれています。
 
 問題は天井部分に彫られた漢詩(漢文)であります。文末に「呉昌碩」の文字が彫られていますが、呉さんが彫ったとは書いておりません。詳しく読んでいませんが「酒に酔って帰って鏡を見たら顔が朱色だった」とかなんとか書いてるようです。呉さんが書いたものを見て真似して彫ったとも考えられますね。呉 昌碩さんは近代中国書道の始祖、超一級の書道家さんです。彼の作なら博物館レベル、最低でも数十万円致します。
 
更に側款には「友人為贈春蘭」と書かれ、4面共に蘭や竹、松などの植物の絵が刻まれているのです。その絵はさほどうまいとも言えず、彫りも荒っぽいのでした。肝心の印面は「松南書屋」と彫られていますが、「うーむ微妙だなぁ。」 これだけの大きい印に彫った割には意趣に乏しく迫力が無いのです。なにより、名人が印刀をふるったと思しき彫り跡が無く、時代相当の汚れや摩耗も見られません。早い話、側款の絵も、印面の字もワタシあたりでも彫れそうな印なのです。はい、これは割合新しい素人さんの作品で良かろうと思います。

 次に徐三庚の印であります。

 素材はこれも時代物の青田石で、「醤油青田」と言われるものか、あるいは凍石の一種のようです。均質で単色、夾雑物がほとんど見られない半透明の印材です。紐は下部をくりぬいた緩いカーブの屋根のようになっています。瓦紐と言われるののです。4.6×3.8㎝という半端なサイズは近年、大量に作られる角材の、きりのいい寸法とは違います。大きさや形から言えば、一級の希少な印材とは言えないかもしれませんが、飴色に磨かれた古色然とした美しい印であります。いくつも「アタリ」・かすれという傷があるのが大変残念なのです。

 側款には「上虞徐三庚作 癸酉仲月」とあり、「勞謙君子有終吉 」と刻字されています。労(ろう)しても謙譲の姿勢を保ち、君子として全うすれば終わりには吉となる、と言う意味でしょう。易経の一節です。印面は徐さんが得意とする陽刻(主文)で、篆書体をかなり装飾的に変え、他の文字との字画を繋げるという特徴も、徐さんに共通するものです。ただ、200年前のものにしては使用感や摩耗が少なく本物感が伝わってきません。早い話真贋不明です。

 最後の印が下のもの。作者名不明、「龍其」と作者名が入っていますが誰かはわかりません。
    これの印面と側面には「寶墨堂」と彫られているのです。雅号には使いづらい名なので、中国にある仏寺仏閣の一部の建物名か、あるいは書道に由来するお店の名前かもしれません。石はこれも時代物の寿山石と見ました。明るい黄土色をベースに部分的に赤みが入り、わずかにひびのような筋も見えます。これはかなり上質な古材でしょう。角印と違って楕円の印面、しかも紐に彫られた龍の造詣も背中の部分が盛り上がっているので、全体的に平たく長細い丸石を半分に割って、磨いた遊印用の自然石に相違ないのです。もっとも高価で珍重される寿山田黄石に近似(多分真正の田黄石とは違う)した良材だと思います。これは、割合出来のいい紐つきの古材として評価すべきものでしょう。

 さて、「果たして驚きの鑑定結果は???」お宝鑑定団ではここでCMとなりますが、ワタシはこれにて終了。24千円を投じたお宝の価格は「ザンネーーン」となるのかもしれません・・・・
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シアワセな日々 お金に代えられない思いが一杯

2021年10月30日 | 書道
今日は、昨日に続いて珍品の篆刻印発見、お宝入手かというお題のつもりでありましたが、この二日間でとても気分がいい事がありましたので、急遽差し替えといたします。

先日わが師「藤原ひさ子先生」の作品展を観に、熱海の起雲閣へ行った話を載せましたが、一昨日先生からすごい手紙が送られてきました。手漉きの和紙に書筆で書かれた礼状であります。ワタシは今まで、毛筆で書かれた手紙を頂戴したのは生まれて初めてです。しかもそれが、正真正銘の書道家直筆というのです。
冒頭に書かれた歌は
「折りとりて はらりと重き すすきかな」と判読できました。飯田蛇笏さんの、秋をうたった俳句です。先生のおかげで、カナ書き文もだいぶ読み取ることが出来るようになりました。多くの方が訪れ観覧し、中国の出版社から仕事のオファーがあったことなどが、流麗で張りつめた筆意の内に記され、先生にとって充実した三日間であった思いが溢れているようでした。

 また、コロナで書道塾がずっと休会になっていた間も、たまにLineでワタシの拙書などを送っては指導していただいています。「章法を勉強なさい」とコメントをいただきましたが、その極意を自ら手紙で示され叱咤されたとも感じて胸に響くものがあります。
 この書状は、まさにプライスレスの宝物であります。きちんとした体裁にして「家宝」として大事に保存いたしたいと思います。

 それから、昨日の出来事を書き留めておこうと思います。とても清々しく幸せな心もちになりましたし、登場する店も人も素敵なので、あえて実名を挙げようと思います。ワタシのへぼゴルフの帰路、「晴れパン」、という近在でも有名な美味しいパンのお店に寄ったのです。数年前から高級な純生食パンを製造販売し、最近ではデニッシュパンも 焼くようになりました。

 家内から「(いつもなにかと世話をやいてくれて総菜も届けてくれる善人の御夫婦)光永さんの分も買ってきて」と言われて二斤を買って店を出たとたん、30歳過ぎの若い男性がワタシに頭を下げ会釈するのです。マスクをしているせいで誰かは分かりませんが知らない人でした。彼は「自分の不注意で、お宅の車の側面に自分の車のドアをぶつけてしまった」と言うのです。助手席側に回ると縦に2本擦過傷がついていましたが、塗装が剥がれたりへこんでいるようには見えません。傷対策でポリカーボネート塗装を施しているので、そこが少し傷んでいるのかもしれません。

 偶然にもそこから50Mほどのところがワタシの車を買った「LEXUS」の店舗だったのです。彼が、自分の不注意で大切な車を傷つけて申し訳ない、弁償します、直しますと幾度も頭を下げるのです。ワタシは大事にしたくないので、取り合えず見てもらい、軽微な擦過傷ならば、何かワックスかなにかで目立たないようにしてもらおうと思ったのです。

 出てきたレクサスの三浦さんに説明をしていると、「修理の見積をしますか」と言うのでお断りしました。そうすると必ず数万円の負担が出ることは明らかだったからです。乗ってから7年経過し、すでにいくつかのスクラッチ傷がある車なので、そこだけきれいになってもどうと言うことはありません。レクサスの方で、目立たない様にしてくれればいい、と言ったら「わかりました、では自分がやってみます。勿論無料で結構です」と三浦さんが請け負いました。

 レクサスは、奥に豪華なラウンジがあって、お客やオーナーが行けばタダで飲み物をご馳走してくれます。コーヒーや紅茶類はスタバ並みのクオリティーで、しかも全国で有名な銘菓をお茶請けに添えてくれる嬉しいサービスがあるのです。ワタシはタダで愛車の故擦り傷をなおしてもらう間、気が動転し恐縮する相手の方に我が家のようにアイスコーヒーを振舞ったのです。彼が差し出した名刺は「箱根富士屋ホテル」総務課長でこちらも偶然名前が三浦さんでした。これは箱根の老舗旅館、さすがにその従業員も違うのだなぁ、と感じました。

 駐車場に止めた無人の車にドアが当たって擦り傷をつけた時、いったい何割の人が所有者の戻りを待って謝罪するだろうかと考えました。黙って立ち去る人が多かろうと。地元でも一流の良質で純粋な材料を使うパン屋さん、そのパンを求めに来た正直な若者、お客の意を汲んでサービス補修してくれたレクサスの社員、たまたま身の回りに優れて善良で一流の人がいたことが嬉しかったのです。一流の車屋さんで美味しいコーヒーと銘菓までいただいて。

 帰宅して家内にその話をしたら、「あたしは昔、神様と言われたことがある」と言い始めました。数十年も前に駅前のスーパーで買い物をしていた彼女のそばで、制服姿の中学生二人が相談しながら一番安い棒アイスを買おうとしていたそうです。その時、おばちゃんが奢ってあげる、と当時でも高級だったハーゲンダッツのアイスクリームを買ってあげたら、「神様だ」と言われたそうです。

 いいことは、人生でそうそうあるものではありません。人に良くすること、善意や好意で誰かに喜ばれること、それは些細なことでも自分を豊かにし、ずっと心に留まるものなのだとしみじみ感じました。
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ついにお宝に巡り合えたかも その1

2021年10月29日 | 篆刻
 ワタシは基本、中国が嫌いです。当然中国人も嫌い。例外的に好きなのはチャン・ツィイーさんくらいのものです。
 ワタシだけではありません。最新の調査によると、中国人は日本人に対して9割近い人が「嫌い」だそうです。一方で中国人を嫌いだと思う日本人も増加傾向でやはり90%程度の日本人がそう思っているのだからどっちもどっちです。

 日中国交正常化時初めてパンダが来た時から、ほぼ一貫して日中の国民感情は悪化の一途をたどりました。それは、中国人が露骨な領土拡充主義・世界覇権主義をとり、日本に対しても尖閣諸島問題で、日本の領有地を不法占拠しているせいもあるでしょう。東西冷戦下でお互い仮想敵国と考えてきたことも大きいです。日本人が中国観光したり、中国人観光客が大きな声で傍若無人にふるまうのを快く思わない日本人が沢山います。

 それでも、ワタシにとっては書道・篆刻というライフワークの起源が中国であり、書を習うべき文人書人の多くが中国人であるために、その種の方々は尊敬しております。篆刻で言えば「趙之謙・呉熙載 」の摸刻を続け、鄧石如 ・呉昌碩の書を臨書しています。

 もっと言えば、中国の篆刻の巨匠である呉昌碩さんの印が欲しい、印譜も欲しい、と思っていました。そんなものは博物館や美術館に収蔵されているレベルで、ヤフオクには滅多にお目にかかりません。真正のものなら安くても数十万円、そんな偉人の作などワタシの手に入るはずも無いのです。

 そしてそのヤフオクであります。先日例によってランダムに篆刻関連の出品物を物色しておりました。そこで発見したのが「中国美術 旧家蔵出し、印材三件」でありました。他には売り出し文句も説明もありません。付属品朱塗りの蒔絵箱に大型の古印三個が出品されていたのです。ワタシはこう見えて印材だけは千本以上所有しており、中にはそれなりの篆刻家作の印や、三宝といわれる高価な石質の石も少し持っております。何より1年近くヤフオクの篆刻印の出品物を毎日チェックしているので、素人ながら目が肥えています。

 その三個の印はおおぶりで、側款が施されておりました。よおく拡大してみると、一つの丸い屋根のような紐がある印には「上虞 徐三庚作 癸酉仲月」
」と彫られているのでした。これはもしかして、中国清朝末期の代表的な篆刻家の徐三庚(1826-1890)さんの名前ではないか。浙江上虞 の出身です。60年刻みの癸酉は1873年にあたります。非常に装飾的な篆書体7文字が陽刻で彫られていました。(字は調べて解読しないとわからない💦)

 更に、もう一つの角印(半透明の凍石)の天井部分には漢詩らしき文が刻まれ 最終行には「呉 昌碩 」と刻まれているではありませんか!?。呉 昌碩 (1844-1927)は中国書道の近代化に貢献した最も有名な書道家なのです。側款には書の代わりに4面とも、松・竹・春蘭など植物の絵が彫られています。まさか呉先生の篆刻印が紛れ込んだか?そんな馬鹿な。

 残りの一個は、古色然とした寿山石らしき古印で、ちょっと見たことのないような精緻な紐でありました。「寶墨堂」と印面に彫られ「龍其」の文字が読み取れました。これはちょっと調べてみないことには何ともわかりませんが、石材としても紐をとっても一級品に見えたのです。

 これが、意外なことに最終日になっても「ウオッチ」している人数が4、5人でありました。注目されないのは「大して価値が無い」かタグや検索ワードが乏しくてヒットしないかであります。謳い文句には前述の名前も無ければ田黄などの印材の表記もない簡素なものでしたから、大勢の人の目に触れなかった可能性があります。とはいえ、オークションは最後の10分が勝負、「評価ポイント」が千を越える猛者や専門の美術商、中国人、篆刻印愛好家などが鵜の目鷹の目でチェックして参戦するので、おそらくこんな見たこともないラインナップの3個ならば十万円越えになろう、指をくわえてみてるしかない、と諦めていたのです。

 夜10時前になっても1万円位の入札しか入らず、えいままよ、と思い切って3万円!!(ワタシのヤフオク入札はこれ以上は禁止)を入札したのでした。もう一人の方(評価4641)が何度かじわじわと値段を上げて2万円を超え、これで他の人が参戦してきて一気にガンと上がるかとおもっていたら、24千円で停止、なんとそのまま「終了」の表示が出ました。

 これまでも、1.2度ありました、せっかく落札した💛と思ったら、0円と表示され出品取り消しとなることがあります。出品者さんの皮算用(見込み金額)を大幅に下回ると取引を打ち切ることが出来るのです。

 しかし、そうはならず「おめでとうございます!あなたが落札しました。」と表示されたのです。バンザーーーイ

 以降は明日に続きます
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ゆめぴりかと再エネ

2021年10月28日 | 時事
 麻生副総理によると北海道のお米がおいしくなったのは、地球温暖化のおかげなんだそうです。寒い地域では美味しいお米が育たず美味しくないことで邪魔者扱いされていたのが、2度気温が上がったので美味しくなったという風に説明したそうです。それにしても、投票間近いこの時期に、農家さんの努力のせいでもなく農協のせいでもない、と言い切って、全国の農家を敵に回す度胸だけはすごい人ですね。そのためか、ネット上ではほとんどのこの「失言報道」はあらかた消されたようで、岸田さんがその発言を陳謝したとのニュースばかり出てきます。

 お米が単に暖かいとよく育つというのは誤りです。米作は沖縄のような猛烈な暑さには向かないので、だんだん美味しいお米を作付けする地域の分布が北に向かっているという意見はありますが。いずれにせよ生産農家にすれば、コメ・野菜、作物は、その品種改良を鍵としながら、土壌から肥料、農薬、水質、天候にいたるまで様々な要素によって収量や品質が左右されます。消費者の手に届いて一定の評価を受けるようになるには、数々の試行錯誤と失敗、工夫と品種改良によって長い歳月を費やすということを知るべきなのです。麻生さんのようなお殿様がそんなことも知らないと責めてはいけませんか(笑)。その百姓の努力など知ろうとしないのは当然なのかもしれません。

 北海道のゆめぴりかをコチピカリ と言い間違えるのはその真骨頂、麻生さんの発言はお笑い芸人の「ネタ」のようなもので、笑って誰もまともに受け止めない、と高をくくっているのかもしれませんね。百姓は二人いれば2百姓、野球なら200勝になれば名球界入り、などと持ち上げる方が何倍もマシなギャグだと思うのですが。

 さて、温暖化と言えば「CO2」削減に触れなければなりません。自称エコロジストのつもりであったワタシとしたことが、とんだ勘違いをしておりました。1997年京都議定書で地球温暖化対策について主導的な役割を果たしたと思っていましたが、以降現在まで20年以上実際はほとんど温室効果ガスの削減はなされていなかったということなのです。「脱炭素」「カーボンニュートラル」 を合言葉に世界の先進国とりわけ欧州の取り組みはきちんと成果を上げています。2020年のEUにおいて再生可能エネルギーによる発電量が初めて化石燃料を上回りました。 

 そこで、再生可能エネルギー(再エネ)です。地熱、太陽光、風力などの自然から電力を作り、CO2や燃焼による熱を出さないことが最良の対策であります。その、発電量に占める「水力発電」を含めたCO2を排出しない エネルギー源の割合が指標となっています。日本はそれが5年前で約16%、欧州の半分程度で、最低のアメリカと肩を並べています。最悪だと思っていた中国すら25%に達しています。日本は数値目標の達成はおろか、削減できないままほとんど横ばいで、時には後進国からCO2放出量の制限超過分を借りるなどの有様だったのです。

 例えば日本では、以前注目されたソーラー発電は、パネルの劣化で10年くらいしか持たない、電力各社が電気を買い取らない、せっかく発電できても蓄電設備が出来ないなどの理由で、敬遠されすっかり忘れ去られました。菅前総理は「2050年までに温室CO2を排出しない 効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と声明を出しましたが、今まで何をやっていたのでしょう?安倍さんはマイナス効果ばかりのアベノミクスの成功を喧伝していましたが、こうした不都合な真実には触れようともしませんでした。

 京都議定書で目標値を設定しても、そのための法律を作って毎年進捗状況をチェックしながら新たに政策や構造変化を促すことが置き去りになっていたがために、世界から取り残され周回遅れとなっています。「よーし、あと三周したら追い越すからな」と言うだけでなんの手立てもなくその機運も盛り上がりません。
これを「乞食の朝がゆ」=湯(ゆぅ)だけ。「田舎の髪結い」=ゆうだけ(言うだけ)ゆうよ、といいます。

 麻生さんの発言を引用するまでもなく、歴代の自民党政権が、脱炭素、CO2削減に本気で取り組んでこなかったのは明白です。彼らは「票にも金にもならないこと」には無関心なのです。自分たちはコシヒカリをたらふく食べているので世界の環境問題などどこ吹く風、国際的な貢献は専用機で乗り付けてお金をばら撒くことしか思いつかないのです。

 現在の温暖化による環境破壊・食料危機は危険な状況にあると警告があちこちから発せられています。地球温暖化の原因は、電気を過剰に消費したり化石燃料を燃やすことだけではありません。オゾン層の破壊、海洋汚染で二酸化炭素が取り込まれ亡くなる、アマゾンの焼き畑による熱帯雨林の消失、中国の砂漠化など森林や耕作地の減少、牛のゲップ(これは本当らしい)など様々です。

 ワタシあたりが屋上や緑地帯に植物を植え野菜を作り果樹を育てたくらいではどうにもなりませんが、世界のすべての人たちがこのことを知って、自分に出来ることをまずやることから始められるといいのですが。
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篆刻も 一から出直し

2021年10月27日 | 篆刻
 毎日のように雑事・予定・イベントがあって、この1.2週間落ち着きません。外出する用事や人と会うことが今月になってから急に増えてきたのです。やはりコロナの第5波が沈静化したことによるものでしょう。それまで、この1年半で電車に乗ることなどは半年に1回以下でした。ゴルフ以外で市外に出かけることなど皆無だったのです。それが、今月は先輩に、ちょっと会いたいからと呼びだされ、倅の結婚相手の親御さんに顔合わせで横浜中華街に出かけました。ゴルフコンペが3回、それに自治会のことで何人もの方と会っていますし、戦没者慰霊祭までありました。先日は書道の師の展示会で熱海まで参りました。10月は、ひと月足らずで過去1年分以上の行事・約束事がおきたのです。

 これが「緊急事態宣言」解除の効果なのでしょう。個々人は警戒を怠らずとも、確実に人流が増え、コロナの火種が見えない間に広がっているのではと思うのが杞憂に終わればいいのですが。


 更に、増えすぎた書道具・印材の整理に精力を注いだのもワタシにとっては大変な負担であったのです。そんなこともあって、書道と篆刻の時間が圧倒的に減りました。何もなければ早朝から印を彫り、昼前に習字臨書を行い、また午後には2本ほど篆刻印を作るという日常だったのです。それがこの1週間で筆をとったのが二日、印も数本しか彫れませんでした。

 最も問題なのは「篆刻」がスランプに陥ったということです。彫っていても失敗(刀が飛んで彫るべきでないものを削る)が頻発し、印磨きからやり直しすることが増えました。失敗したら一度サンドペーパーで磨り直しし、印稿を転記して彫ると言う作業が繰り返しになるのは無駄といえます。ある程度出来上がったのに出来栄えが格段に落ちました。

 ふた月以上名刻・古印の摸刻に取り組み、自分の技術の向上に手ごたえを感じていたのです。ところが、あれこれ雑事に邪魔されてじっくり印を彫れない状態に陥りました。割に簡単に彫れていた白文(文字の線を彫って文字が白くなる彫り、陰刻)が明らかに下手になりました。

 先が丸くとがった「目打ち」で下書きのように荒彫りしたのち印刀で、細部を広げたり「補刻」して徐々に思い通りに印の文字を作るというワタシ方式は、篆刻家の先生に「一刀のもとにガリガリと彫っていくのが大事、何度も補刻した線は死んでしまう」と指摘されました。何度も何度もチマチマ修正し削っていくと、迫力があるのびやかな印字が出せないというのは薄々感じてはいました。先生によれば、やってるうちに自然と印刀が一番彫りやすくなるとのことなんです。しかし、大胆に一気に印刀を使えば、刃が行き過ぎて余計な傷をつけ、線が真っすぐに彫れない(失敗する)、自分の指を深く傷つけるということを恐れていたのです。

 そこで、最近は目打ちを極力使わず、印刀一本で力を込めて彫り進めるように変えてみたのです。つまり、本来の篆刻の技法に近い作業に変えたのですが、せっかく上達した自己流の技術を捨てて、一番最初からやり直したに等しいのです。これでは、慣れない印刀なのでうまく彫れないのも当たり前です。一本彫るのに、印材を変え印面を潰しで何度もやり直すので一日にやっと1本出来る程度になりました。しかもコンマ何ミリという細い線の細工の精度が落ちたので、文字の線が太くなり過ぎたり曲がったり水平にならないなど、とうてい納得がいかないのです。

 半年以上印を学び、摸刻を繰り返すうちに、自分の目が肥えて良い悪いの尺度・基準が高くなったせいもあるかもしれません。実際、この1月から彫った初期の印を見返すと、稚拙で雑な印であることに愕然とします。こんなものを彫って得意になっていたのかと、情けないやらびっくりするやらです。

 今日も、数件の用事があってゆっくり書道・篆刻に没頭する時間がとれそうもありません。いっそのこと、またコロナが増加して緊急事態宣言が発令され「巣ごもり生活」を余儀なくされたら、と不謹慎な世迷い事を妄想しております。
 
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