【miyoshiya record】上村 吉弥 ブログ【kamimura kichiya】

美吉屋・歌舞伎俳優・上村吉弥(かみむら きちや)出演予定・記録

産経新聞【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(4)

2012-10-30 | その他★
■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

________(4)

【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(4)弟子には「役の性根を大切に」

--吉弥さんの女形のお役は幅広いですよね。
薄幸の遊女から小悪党の息子を盲愛する老母まで

●吉弥 「すし屋」のお米のような老いた母親のお役は
今のうちに何度か経験しておきたいと思っているんですよ。

--「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・六段目」のおかや、
「引窓」のお幸(こう)もそうですね。
義太夫狂言の脇のこういうお役って実はとても大切です

●吉弥 主役はもちろんそれぞれいるのですが、
ある意味ずっと家族の中心にいて、悲劇の象徴ともなっています。
急所をぐっと締める役とでもいうのでしょうか。
いま上方では、先輩の(坂東)竹三郎さんが
一手に引き受けていらっしゃいますが、
私も将来、竹三郎さんの方向に進みたいと思っているんです。
ですから今からたくさんお手本を見せていただいて、お勉強していきたいですね。

--吉弥さんは昨年の京都・南座の顔見世では
「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」のヒロイン、大磯の虎も勤められました。
華やかな傾城(けいせい)で立女形(たておやま)の役どころ。
こんなことを言うと失礼かもしれませんが、
一般家庭のご出身の歌舞伎俳優さんが、
顔見世という格式のある公演で立女形の役どころを勤めている。
そのことに感動したのを覚えています

●吉弥 上方だからこそ勤めさせていただけるのかもしれません。
ありがたいことだと思っています。

--女形の役どころはどなたに教えていただくことが多かったのですか

●吉弥 一番最初の基本は亡くなられた(中村)桜彩(おうさい)さんです。
女形のいろんな役々は(片岡)秀太郎さんに教えていただくことも多かったですね。
それから(坂東)玉三郎さん。
玉三郎さんが主演された泉鏡花の「天守物語」に、
奥女中・薄(すすき)で出演させていただいたときは、
一つの言葉の中にいろんな意味があること。
せりふのない『…』の中にも意味があることを学ばせていただきました。
あの経験は、歌舞伎に帰ったとき、自分の役を作っていく上で大変役に立ちました。

--薄の存在感は素晴らしかったですね。
周辺に妖しい気配が立ちこめていて、鏡花の世界の住人になっていらっしゃった

●吉弥 玉三郎さんのお陰です。
「鳴神(なるかみ)」の雲の絶間(たえま)姫を初めて勤めた時は、
歌舞伎十八番の大きさを出すのに苦労していたんです。
玉三郎さんに「手の動きは最小限にしなさい」と教えていただきました。
他にも着物の裾(すそ)の引き方、鬘の合わせ方、
どうしたらその役らしく見えるかなど、教えていただくことばかりです。

--そんな吉弥さんは一方で後輩に教える立場でもあります。
お弟子さんの上村純弥(じゅんや)さんは、
松竹が上方の歌舞伎俳優を養成するため
平成9年に開塾した「上方歌舞伎塾」の2期生ですよね。
もう一人、お友達のお孫さんの上村吉太朗くんが
3年前に師匠の片岡我當(がとう)さんに入門されました。
ただいま11歳。子役として大活躍中です


●吉弥 下ができたことで次代に繋いでいく責任を感じています。
私が先輩方から教えていただいたことを、
今度は私が彼らにしっかり伝えていかねばならない。
歌舞伎はそうして400年続いてきたのですから。
ただ、私が教えられることは気持ちの問題ですね。
役の性根を大切に、ということ。これに尽きます。

(聞き手 亀岡典子)

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■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
___________________

(産経新聞より転載)




   
   

管理人より…

ご観劇の皆さまから驚きの声が多かった
今年(2012)正月の新春浅草歌舞伎「廓文章 吉田屋」が
来月11/7にWOWOWで再放送されます。

お見逃しなく!

吉太朗くんの「吉田屋の太鼓持豊作」

   
   
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産経新聞【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(3)

2012-10-30 | その他★
■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

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【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも

--若い頃から吉弥さんの女形は「きれい」と評判でした。
憂いを含んだ美貌に品があって、ちょっと古風で。
女性としては嫉妬してしまうほどです

●吉弥 お化粧をするときは、自分の顔の欠点を知らないといけないんです。
私の場合、目が割と細いので、大きく見せる化粧を工夫しました。
私ね、お化粧、早いんですよ。
だいたいどんなお役でも20分でやってしまいます。

--美貌もですけど、実力もおありでした。
いまの名跡を襲名する前の「片岡千次郎」時代に出演していた若手の勉強会でも、
よくヒロインを勤めていました。それが上方歌舞伎の貴重な名跡である
「上村吉弥」の六代目襲名につながったのでしょうね

●吉弥 そもそもは、東京の女形の役者さんの先輩である中村歌江さんに、
自主公演の相手役で呼んでいただいたことがきっかけなんです。
歌江さんが女形ですので、そのときは立役だったんですけど。
松竹の(故)永山武臣会長がその舞台をご覧になっていて、
「あれは誰だ」と私のことを聞かれたそうです。
「いい名前があったら継がせてあげたらいいね」と
おっしゃって下さったと、後で人づてにうかがいました。

--目立っていたんですね

●吉弥 しばらくして、上方歌舞伎のベテランの女形さんでいらした
先代の上村吉弥さんが亡くなられ、奥さまが、
「名前が忘れられないうちに誰かに継いでもらいたい」と思われたそうなんです。
いろんなタイミングが重なって私が継がせていただけることになったんです。

--襲名披露は平成5年の京都の顔見世でした。
「草摺引(くさずりびき)」の舞鶴(まいづる)。
師匠の(片岡)我當(がとう)さんとの共演で、本当に華やかで晴れやかでした。
ただ、幹部俳優の名跡を継がれたので、それまでとは立場が変わったんじゃないですか

●吉弥 責任のあるお役が増えましたね。
もちろんそれまでも一つ一つのお役を大事に考えていましたけど、
たとえば、入門して最初の頃は、たまに抜擢(ばってき)していただくと、
「よう出来た」と褒めていただける。
10年以上経って名題(なだい)昇進試験に合格して“名題”という身分になると、
幹部俳優さんとからむことが増えます。
この立場だとうまく出来て「普通」です。ところが幹部俳優になると、
幹部俳優としてのセリフの言い方、芝居の仕方があることに気づかされるんです。
最初はうまく出来ませんでした。どうやっていいか、わからないんです。
先輩方に「それらしい芝居をしなさい」とアドバイスしていただきましたけど、
襲名するまでは幹部俳優さんの後ろで控えているような役が多かったでしょう。
急に意識改革できませんでしたね。

--最初から御曹司として歌舞伎の世界で育った俳優さんは
当たり前のようにそういう演技ができる

●吉弥 つくづく思うのは、歌舞伎には家柄とか門閥が必要だということなんです。
御曹司でないと出来ないお役ってあるんですよ。
たとえば、「勧進帳(かんじんちょう)」の義経とか、
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の直義(ただよし)のように
身分が高くて、品格や大きさが必要なお役は、
御曹司でないとそういう匂いが出ないような気がします。
不思議なものです、歌舞伎という芸は。

(聞き手 亀岡典子)

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■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
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(産経新聞より転載)
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産経新聞【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(2)

2012-10-30 | その他★
■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

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【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(2)「師匠の誘い受け役者に」

--吉弥少年が、初めて会った歌舞伎俳優さんが
師匠の片岡我當(がとう)さん。劇的ですね

●吉弥 楽屋には弟さんの(片岡)秀太郎さんもいました。
「歌舞伎が好きなんて変わった子」と思われたんじゃないでしょうか。
師匠からブロマイドをいただいたのを覚えています。
「翌月の舞台稽古も見にいらっしゃい」と言ってくださいましたが、
恥ずかしくて行けませんでしたね。
そうそう、私を楽屋に連れていってくれた上品な女性は、
主人(師匠=我當)のお母様で
十三代目(片岡仁左衛門)の奥様だったんです。

--そこからどうして歌舞伎の世界へ

●吉弥 舞台稽古には行けなかったのですが、
歌舞伎はずっと見続けていました。
そのうち、大向うの人たちと知り合いになって、
秀太郎さんが付き人を募集しているとうかがったので
「やってみたい」と即答しました。
楽屋に連れていっていただいたら、
また主人と秀太郎さんがいらっしゃったんです。
私を見るなり、「あの時の、あんたか」って。

--すごいご縁

●吉弥 師匠の楽屋の用事とかするようになって、
礼儀作法も教えていただきました。
憧れていた歌舞伎の世界を裏から見ることが出来て
とても楽しかったんです。
それが「熊谷陣屋(くまがいじんや)」が上演された際、
主人に「この中やったらどの役が好きだ?」と聞かれて
女形では二番手の役の「藤の方」と答えました。
品があっていいなって思ってたんです。
おもしろい子と思われたのか、「役者になれ」と。

--驚かれたでしょう

●吉弥 ずっと歌舞伎に接することが出来る。
その喜びが大きかったですね。

--歌舞伎は御曹司じゃないとなかなか大きな役がつかない世界。
そういうことは考えませんでしたか

●吉弥 深く考えていなかったような気がします。舞台って生(なま)でしょ。
実際に歌舞伎の舞台に立ってお客様の反応を直接感じると、
ここでずっといたいと思ったんです。
ただただ、歌舞伎の世界にいたい。それだけでした。

--でも、歌舞伎俳優になるための訓練は受けていないですよね。
化粧の仕方、衣装の着方など、どのようにして学んだのですか

●吉弥 まずは、足袋のコハゼの留め方、黒衣(くろご)の紐の結び方、
すべて(片岡)當十郎さんをはじめ兄弟子が教えてくれるんです。
そうそう、トンボ(宙返り)の練習もしましたよ。
だって、私、初舞台は「新吾十番勝負」の寛永寺の僧。
立役(男役)だったんですから。

--いまの、たおやかな女形の吉弥さんから想像できません

●吉弥 結局、トンボはできなかったんですけどね。
それから歩く練習もしました。
上手(かみて)から下手(しもて)までただ歩くだけ。
でもね、歌舞伎って、娘、大名、町人など、身分や年齢、
職業によって歩き方が全部違う。
その人物に合った歩き方が出来ないと人間を表現できないし、
舞台全体を壊してしまう。ただ歩くだけだけど、大変難しいものなのですよ。

--それから女形になられたのですね

●吉弥 関西は伝統的に立役も女形も修業するんです。
両方やっているうちに、女形は歌舞伎の華ですから、
次第に興味がわいてきました。

(聞き手 亀岡典子)

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■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
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(産経新聞より転載)
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産経新聞【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(1)

2012-10-30 | その他★
■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

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【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん
(1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」

近年、再興の機運にある上方歌舞伎。
若いファンも増え、盛り上がりを見せている。
そんな舞台に欠かせないのが美貌の女形、上村吉弥さん。
ときに華やかな傾城(けいせい)(遊女)に、
ときに人情味あふれる女房に、
ときに息子を思う老母となって、舞台を豊かにする。
上方の貴重な名跡(みょうせき)を襲名し、
上方の女を演じ続ける吉弥さんの“女らしさ”の秘密とは。

(聞き手 亀岡典子)

--先日、京都の師走の風物詩、南座の顔見世興行の演目が発表されました

●吉弥 私が勤めさせていただくのは上方の代表的なお芝居「吉田屋」の女房おきさ。
江戸時代の大坂の花街の匂いを感じさせる大切なお役なんです。

--おきさのような花街の女将の役どころを「花車方(かしゃがた)」と言いますが、
出て来ただけで、そういう風情を自然に滲(にじ)ませなければなりません。
難しいお役ですね

●吉弥 「吉田屋」は大坂・新町きっての大店ですから品や大きさも必要。
主役の伊左衛門は山城屋さん(坂田藤十郎)ですし、
顔見世という歴史ある公演で勤めさせていただけることは本当にうれしい。

--吉弥さんは生まれたときから歌舞伎の世界にいたような古風さと匂いがあります。
でも、歌舞伎とは無縁の一般家庭の出身

●吉弥 和歌山県の高野口町という田舎で生まれ、
家族も知り合いもまったく歌舞伎には縁がありませんでした。
でも、私自身は、子供の頃から人前で何かすることが好きでした。
小学校の学芸会で扮装して演じたり、人形劇のシナリオを書いて上演したり。
人に喜んでもらうのが好きだったんですね。

--初めて歌舞伎を見たのは

●吉弥 本屋さんでね、「演劇界」という
歌舞伎の専門誌を見つけてずっと買っていたんです。
舞台の色彩がきれいやなあって、
毎晩、枕元に山積みにしてお布団の中で読みふけっていました。
そのうち、本物の歌舞伎が見たくなり、
中学生の頃、いまはなき道頓堀の朝日座に、
お弁当を新聞紙に包んで、一人で見に行きました。

 --吉弥少年の姿が目に浮かびます

●吉弥 確か、「鳴神(なるかみ)」とか、
「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」を上演していました。
いまのうちの主人(師匠の片岡我當(がとう))をはじめ、
いまの片岡仁左衛門さん、片岡秀太郎さんの松嶋屋三兄弟が出演していました。

--そのときの印象は

●吉弥 世の中にこんな世界があるのかって、びっくりしました。
当時は、歌舞伎俳優になれるなんて思いもしなかったですし、女形にも引かれませんでした。
裏方の方に興味があって、舞台装置家になりたかったんです。
それで、舞台全体を写したくて、客席からカメラで勝手に撮らせていただいていました。

--それって、当時でも禁止ですよね

●吉弥 子供だからそんなことも知らないでしょ。そうしたら上品なご婦人が近づいて来て、
「あなた、そんなに(歌舞伎が)好きなの」って、楽屋に連れて行ってくれたんです。
そこにいたのがいまの主人(我當)でした。

--そこで劇的な出会いがあったのですね。早く聞きたくてワクワクします

【プロフィル】上村吉弥(かみむら・きちや)
昭和30年4月27日、和歌山県生まれ。
48年8月、片岡我當(がとう)さんに入門し、
同年10月、大阪・新歌舞伎座で
「新吾十番勝負」の寛永寺の僧ほかで片岡千次郎を名乗って初舞台。
62年、名題昇進。
平成5年11月、京都・南座「草摺引(くさずりびき)」の舞鶴(まいづる)ほかで、
六代目上村吉弥を襲名した。
弟子に上方歌舞伎塾出身の上村純弥。
南座の「歌舞伎鑑賞教室」には平成5年の第1回から連続出演、
関西の歌舞伎ファンの裾野を広げている。

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■産経新聞 2012/09/24~27
【新・関西笑談】歌舞伎俳優・上村吉弥さん(聞き手:亀岡典子)
2012/09/24 (1)「歌舞伎とは無縁の田舎育ち」
2012/09/25 (2)「師匠の誘い受け役者に」
2012/09/26 (3)上方歌舞伎の名跡を襲名…戸惑いも
2012/09/27 (4)弟子には「役の性根を大切に」

聞き手:亀岡典子 プロフィール
産経新聞文化部編集委員。
芸能担当として長らく、歌舞伎、文楽、能など日本の古典芸能を担当。
舞台と役者をこよなく愛し、休みの日も刺激的な舞台を求めて劇場通いをしている。
紙面では劇評、俳優のインタビューなどを掲載。
本年1月から朝刊文化面(大阪本社発行版、第3金曜日)で、
当コラムと連動させた花形役者インタビュー「花の顔(かんばせ)」を連載。
___________________

(産経新聞より転載)
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