モウズイカの裏庭2

秋田在・リタイア老人の花と山歩きの記録です。

ミルハスでコンサートはいかが。(2023年11月27日)

2023年12月03日 | 街並みと建物

11月27日は秋田市の中心部にあるあきた芸術劇場ミルハスに行ってまいりました。
ここは昨年秋、本格オープンしたばかりの頃、ハス(蓮)ではなく、建物をミルだけのために行っております
こちら参照)
が、今回は音楽?コンサートをミルために行きました。
11月27日、開催されたのは吉幾三のコンサートでした。
私自身は特別ファンというわけではないのですが、
意外にも家内が熱烈なファンでして、私は運転手兼お相伴役でした。
コンサートの内容やその良し悪しはさておき、自身と同年代なのに吉氏の声量、歌唱力には圧倒されました。
また観衆の平均年齢はたぶん私と同年代以上ばかりだったのに驚きました。
音楽コンサートに行くのは、10年近く前の平原綾香以来ですが、
こんなに平均年齢が高かったコンサートは初めて・・・。いや自分が年取ったせいなのか。










ミルハスの詳細はこうです。⇒ あきた芸術劇場ミルハスのホームページ
コンサート会場になった2007席の大ホールはみごとでした。


吉幾三のコンサートポスター


コンサート・ホール内は撮影禁止だったので、ポスターでどうかご勘弁を。

・・・とfacebook上に投稿したところ、友人達から幾つかのコメントが寄せられました。
中でも、群馬県在住の西○△◆子さんのコメントはとても興味深い内容でした。
勿体ないので、西○さんの了解も得たうえで本ブログにも転載させて頂きます。
以下、西○さんと私とのやり取りです。


西○△◆子さん:
ここには、昔、秋田市のシンボルとして永く県民に親しまれ、
千秋公園の森を背景に瀟洒な姿をみせていた県記念館がありました。

古い記憶に、幼い頃、祖母に連れられて、バレェなど、鑑賞した記憶があります。
でも、昭和35年(私が小6の頃)老朽化を理由に解体され、跡地には県立図書館ならびに県民会館が出来て、
高校生の私は図書館で勉強したり、県民会館での高校演劇コンクール参加が思い出となってます。
今は、ミルハスになってるのですね!
ちなみに、昔の県記念館は、あの辰野慎吾氏なども設計に関与したという瀟洒なものでした。

(画像は県記念館)



西○△◆子さん:
実はこの記念館の前に、秋田県公会堂という建物があったようです。
明治40年の絵葉書にその様子が伺われます。
東宮(皇太子時代の大正天皇)御成婚記念事業として、
明治37年に落成した「秋田県公会堂」は大正7年4月、惜しくも焼失。

実はその頃、記念館が公会堂に増設されていて、この公会堂が消失したあと、記念館が残った訳です。
画像は明治時代の絵葉書に描かれた公会堂です。
この公会堂に使われた煉瓦が、県民会館取り壊し時(ミルハス建設時)に、
地下から発見されたとの新聞記事を見ました。




モウズイカ:

西○さん、貴重な情報ありがとうございました。
この場所には古くから特別な建物があったんですね。

もしかしたら江戸時代、佐竹家の時代も特別な場所だったかもしれませんね。

西○△◆子さん:
ここは久保田藩家老・渋江内膳などの渋江宗家の屋敷跡です。
江戸時代を通じて久保田城三ノ丸下中城の西側高台(現在のミルハス・元秋田県民会館所在地)にありました。
本丸が火災に遭った時は藩主の仮御殿として使われたり、
明治維新後も屋敷跡に、伝習学校や秋田県公会堂が建設されました。

モウズイカ:
西○さん、やはりそうでしたか。教えて頂きありがとうございました。

西○△◆子さん:
私の幼い頃、そこに記念館が建てられてましたが、
その周り(お掘に沿って)は久保田藩の重臣の屋敷がまだ残ってました。

当時の秋田カトリック教会は、そういう重臣の屋敷を使用してました。
畳の大広間に聖壇を置き、ドイツ人の神父さまがおミサを。
私はこの大きな屋敷の一室での教会学校に通ってましたが、畳の部屋に椅子テーブルで勉強しました。
渋江家は重臣中の重臣なので、この教会に使われた御屋敷よりも、大きかったんでしょうね。
実はミルハス建築前の記念館やその前の県公会堂など、
明治時代の秋田は、
イザベル・バードも述べていたように、
久保田は先進的な土地柄で、素敵な西洋建築が立ち並んでいたようです。

公会堂は焼けたのでしょうがないですが、
記念館は壊すのではなく、保存していたら、どれほど価値が有ったかと。

残っている画像を見ても、辰野金吾が関わっていたという情報を聞くに連れ、残念でなりません。


以上。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2023年11月、鳥海山と他の山々 | トップ | コーヒーの木に実が。(2023... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クリン)
2023-12-03 09:43:15
そうなんですよね!🐻
クリンたちも秋田県庁を描いた昔の絵を以前見たことがありまして👀秋田県ってどっしりした洋風建築がけっこう造られていたんだなあと知りました💡
県記念館や公会堂もすばらしいものですね💎
近いところに「移築」して保存しておくのが歴史を伝えるということだと思います🍀✨
角館ばかりがんばっても仕方ないと思います!!
(それとは無関係ですがクリンたち40代ですが子どものころから吉幾三さんが好きです💛「新日本ハウス」のCMソングが特に好きで、いっしょに歌っていました~🎶)
クリンさんへ。 (モウズイカ)
2023-12-03 10:54:03
コメントありがとうございます。
秋田市に住むようになって早や45年を超えました。
当初は県庁所在地とは言いながらも、たいした街ではないとばかり思っておりましたが、
10年前頃、イザベラバードの紀行文を読み、明治時代の県都がとても素晴らしく描かれていたことを知り、驚きました。
西○さんのコメントでそのことを思い出したので、引用させて頂きました。
角館と言えば、現在の県知事は角館の佐竹支藩の殿様の末裔です。
失言が多く、何かと物議をかもすお人ですが、残りの任期頑張って欲しいものです。
話がそれちゃってすみません。
Unknown (ミルク)
2023-12-03 15:53:12
私も吉幾三さん好きで、見たかったです。
多分当日券もあったと思われますが、用事ありまして残念ながら・・・
ミルハス開館後2度目ですね。

記念館・公会堂とも 素敵な建物ですね。
本当。もったいなかったですね。
記念館は、かすかに記憶があるような・ないような?
上の記事、とても参考になりました。
ミルクさんへ。 (モウズイカ)
2023-12-03 16:21:56
コメントありがとうございます。
私は生まれが横手(十文字)です。秋田市には確か小学五年生の遠足で初めて来ています。
当時は秋田駅から市電に乗って木内デパートまで行き、さすが都会だなと感心したように記憶してます。
その後、高校時代にまた一度来てますが、
当時は電車も無くなり、テクテク歩いて木内まで行きました。
私の知ってる昔の秋田市と言えば、この程度の記憶しかありません。
今回は西○さんのおかげで秋田市の立派だった側面を知りました。

コメントを投稿

街並みと建物」カテゴリの最新記事