おだにゃら記

地元小田原市中心のゆるゆるフィールドワーク備忘録。
歴史、神社関連、あとはいろいろ。

最明寺史跡公園 まだ咲いてないけど隠れた桜名所

2024年03月26日 01時26分00秒 | 

松田町松田庶子にある最明寺史跡公園は

鎌倉時代にあった西明寺(昔はこの字だった)の跡地です。


石碑やわずかに石像仏がある程度で寺の遺構らしきものはないので今まであまり心惹かれてなかったのですが

最近ネットの動画で桜の隠れた名所だと知り

行ってみたい気持ちが沸々と。

 


 
でもかなりの山奥。
松田山山頂のチェックメイトカントリークラブのさらに先です。
 
おまけにGoogleのクチコミでは公園までの道路はすれ違いできないほど狭いとか。

登山する方達にはちょうど良い休憩地点なのでしょうけど、車で行くのはちと大変そう。
 
それでも気持ちは沸々してますので、本格桜シーズン前なら人も少ないだろうと、
下界で春めき桜を満喫した後に登ってみました松田の山。
 
 

公園入り口
この先に5台ほどの駐車スペースあり。


チェックメイトカントリーまでは普通の山道でしたが
山頂過ぎて公園までの残り500メートルほどがクチコミ通りかなりの狭さ。

山道の運転大好きな夫でも(私は滅多に運転しません・・)
対向車が来ないことを祈るしかないと焦りながらなんとか到着。


池を中心としたこじんまりとした公園です



情報が古すぎる案内板 笑
 
 

松田町公式に掲載されてるこのマップが現在の姿
 
 

ヤマビルに名前がついとるー

山野ヒルくんですよろしく



寄の方では令和4年にもクマ情報出てますし、
松田山北には普通にクマいます。
気をつけましょう。


管理事務所に貼られていた写真

4月上旬にはこのようになるんですね。
素敵です。












この時見られたのは散りかけの河津桜と早咲きの白い桜(?)くらい。

下山中の登山者が数組通っただけで人はおらず。
しんと沁み渡る静けさです。






階段の上の護摩堂跡

この盛り上がりに石積みが残されてるらしいのですが気づきませんでした。





護摩堂跡の石碑と石造物

不動明王や聖観音ですが年代はわかりません



最明寺の開山源延はこの由来碑では加藤実長となってますが、実長という人物は加藤家系図には見られないので加藤景長の誤りだとされています。
そして源延は景長本人ではなくその叔父です。

加藤氏は源頼朝挙兵に初期から参加しており、源延の兄である景廉が山木兼隆を討ち取るなど大きく貢献して鎌倉幕府の重臣となってます。


執権北条氏の保護を受け栄えた西明寺でしたが、
鎌倉幕府滅亡後は関東争乱の中で荒廃。
1469年(文明元)に大井町金子に引っ越して最明寺と字を変更して再興されます。


やはりこんな山奥より平地のほうが何かと楽ですよね…






ピクニックできる広場



公園入り口すぐにある
からさわ古窯跡群の のぼり窯

なんと奈良時代の窯です。



昭和40〜50年代に東名高速道路拡張工事で発見され道路のため壊されることになったので、
のぼり窯一基だけ最明寺史跡公園に移築されました。



実際の窯の場所は東名高速沿いで
ここで焼かれた瓦が酒匂川を舟で下り千代廃寺に使われました。



のぼり窯と一緒に横穴墓も発見されていて、
瓦職人集団との関連性が窺えます。
このあたりに瓦職人が大勢住んでいたんですね。



移築とはいえ奈良時代のこんなに状態のよい窯跡を見たのは初めてだと思います。

なかなかの驚き。









なお、
4月に入ったら桜を見にもう一度行きたいのですが
夫があの道はもう走りたくないと言ってるので

たぶん行けません。



参考文献
「伊豆山源延とその浄土教」三田全信
「相模国分寺の研究」國平健三


天狗の台所ロケ地と唯念寺

2023年11月28日 23時23分00秒 | 
現在BS-TBS木曜ドラマ23で放送中の「天狗の台所」
天狗の末裔である兄弟の長閑な田舎暮らしを描くドラマです。

私は民放はほとんど観ないのですが(サブスクとNHKとYouTubeだけなんですよぉ)
天狗の台所は原作マンガが可愛らしく(読んでないけど)黄昏系で癒されそうだし
なによりロケ地が小山町なので毎週観てます。(U-NEXTで)


ロケ地となってるのは小山町上野。

兄弟の家以外は余計な建造物はほとんど映らないので本当に何もない山村で暮らしてるように感じます。

草原や小川が夢のように美しくて
上手く撮影するものだと毎週感心しきりです。



浅間神社前の道路

弟のオンくんがスーツケース引いて歩いたのはこの1つ向こうの道です。



ドラマでは一面青田でしたが今の季節は寂しいですね



浅間神社






夕方近かったので西日がものすごいことに


今のところドラマ内で浅間神社でシーンはないと思うのですが
見かけたことあるような場所がたくさん。

ドラマで兄弟が住む古民家は神社からすぐ近くにある山口邸が使われています。
普段は住んでる方がいらっしゃるので眺めるだけで撮影は控えました。




唯念寺

ドラマには出てきませんが上野まで行ったので寄りました。

駿河や相模地方に念仏講を広め多くの名号塔が遺されてる唯念上人の寺です。


唯念の名号塔とはなんぞやと申しますと
これは小山町竹之下、足柄古道栗木沢にある唯念名号塔。
高さ3.8メートルあり唯念名号塔では最大のものです。

この独特な書体の名号塔、神奈川西部から静岡東部にたくさんあります。見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。



唯念の本来の修行場はここから2キロほど山奥にあり、
地域の協力で奥乃沢善光庵というお堂が建てられてます。

唯念没後、関東大震災でお堂は壊滅し
昭和になって現在のこの場所に唯念寺として再建されました。



(勝間田二郎著「続御殿場・小山の伝説」より)

奥乃沢には開山堂が再建され百体ほどの石仏と唯念の墓が掘り出されて祀られてますが、車は通れないので山道を歩かねばなりません。40分くらいですって。

私は膝痛持ちですし(最近は都合よく使う言い訳)
熊や猪が怖いので絶対に行けません。
実際に行かれた方の写真など見て満足しています。









お堂とわずかな石仏と庫裡だけというシンプルな境内。

唯念らしい清廉さを感じました。






寄神社と福昌院 

2023年08月08日 22時08分00秒 | 
松田町寄に行ってました。

寄はたまにドライブしてますが
寄神社には2年ぶりの参拝となります。




相変わらず見事な大杉










石段を登り切ったところに


物置と社務所を兼ねたような門が




長屋門みたいなものだと思えばいいのかな。

ちょっと道具を置いたり座って休憩したりお茶したり
なかなか便利なのかもしれません。



平成に台風で倒木してしまった大銀杏は元気に復活中のようです。




かつてはここには弥勒寺があり村の名は弥勒寺村といいました。
明治時代に近隣7村が合併して寄村に。
弥勒寺は神仏分離により弥勒神社、さらに寄神社と変わりましたが現在でも弥勒寺という字は残っています。






源頼朝が政子の安産祈願のため神馬を奉納した27の寺社に弥勒寺も入ってるのですが
こんな山深い地の寺がよくぞ選ばれたものだと不思議に思ってしまいます。



寄神社から北へ3キロほどのやどりき橋。
現在一般車両が入れるのはここまで。

キャンプやドッグランや蝋梅や蛍や、
いろんなことで知名度が上がってる寄ですが
深い山間にあることは大昔から変わりなく。

私は寄に来ると雄大すぎる自然にいつも息が詰まりそうになります。良い意味で。


この先にハイキングコースがあるのでいつか行ってみたいです。




弥勒寺集落に戻ります。
以前からずっと気になってたこの参道をやっと歩けました。
曹洞宗の福昌院です。



福昌院の参道入り口には
ゆっくり散策なさってください
と書かれた札がありました。

寺は神社ほど気軽に立ち入れないので
こういう気遣いはとてもありがたいです。



苔の石段
うっとり

苔が傷つきそうなので、登らずに右手の車道を通りました。



本堂側から見た山門


門の中にベンチ。
雨が降っても大丈夫ね。

寄神社の門といい、弥勒寺村では門の中で休憩するのがポピュラーなのかも。



本堂

少林山。強くなれそうな山号。




大きな聖観音像





奥に秋葉神社



タマアジサイ

境内にはアジサイや蓮の鉢が多く
タイミング悪く花はあまり見れなかったのですが
丹念に育てられてる花達と寄の自然満ち満ちの木々が心地よかったです。


すごく変わった鳴き声の鳥にずっと怒られてたような気がするんだけどなんて名前の子かな?




帰りは墓地側の階段から。
こちらの階段も美しい。






鎌倉の入り口 龍口寺と龍ノ口刑場

2023年05月13日 09時44分00秒 | 
藤沢市片瀬の龍口寺へ。

134号線で境川を越えてすぐ左の道の突き当たりす正面に建つインパクト大の寺。

ギリギリ藤沢市にあり、境内を東に出ると鎌倉市になります。
源義経が腰越状を書いた満福寺までは数百メートルの距離。
今も昔も鎌倉の入り口。



江ノ電が山門の真ん前を通るので撮り鉄さん達にも人気あるらしい。
(この画像は龍口寺 | 鎌倉タイムより)





仁王門の左手
龍ノ口刑場跡の石碑


龍ノ口は鎌倉幕府の刑場で
元朝の使いである杜世忠や中先代の乱で捕えられた北条時行らが処刑されています。

はっきりとした場所はわかっておらず
片瀬川(境川)の河口あたりなのでだいたいこの辺かなということらしい。

1271年(文永8年)
幕府に迫害されていた日蓮が龍ノ口で処刑される寸前に奇跡のようなあれこれが起きて助かった出来事(龍ノ口法難)があり

鎌倉幕府滅亡後の1337年(延元2年)
龍ノ口刑場跡に弟子の日法がお堂を建てたのが龍口寺のはじまり。



仁王門

山門


本堂



日蓮が一晩幽閉されたと伝わる土牢。
元々やぐらだったのか、最初から牢として作ったのかは不明。

日蓮以外の人も処刑前にはここにいれられたんでしょうか?



上にも牢みたいなのがあります


こちらの新しそうなやぐらにはかっこいい観音様


日蓮聖人像



江ノ電ちょっと撮れた


五重塔


仏舎利塔
お花が綺麗

五重塔から仏舎利塔までぐるっと散策できるようになってます。

途中休憩したりお弁当食べたり寛いでる方もいました。



龍口寺から海に出るとすぐ江ノ島


これは神奈川あるある というか西湘あるある かもしれませんが

湘南地区のことを湘南とはまず言わず、
「江ノ島」と言います。
「江ノ島」とは一つの島ではなくもっと広い地域を指すのです。

私の感覚では茅ヶ崎から稲村ヶ崎あたりまで「江ノ島」

昔、地元のある友人は「西湘バイパス降りてから逗子マリーナまでが江ノ島」と豪語していました。


でかいな江ノ島。











地獄の隣の極楽寺

2023年04月15日 22時28分00秒 | 

清左衛門地獄から徒歩10分ほどのご近所さんには極楽があります

 
 

上関山極楽寺
 
開山は今川2代当主今川基氏の子、大喜法忻(仏満禅師)
開基はその弟で駿河今川家の初代今川範国。
今川氏と関係の深い臨済宗の寺です。
 
 
こんなに近い距離に地獄と極楽という名が並んでるなんて面白い
 
 





散る桜が美しい参道

極楽ですね
 


極楽寺には中興開基である松田憲秀の供養塔があります。
 
この南足柄市による説明板は、清左衛門地獄のものもそうですがかなり古く、
小さい子どもに聞かせる昔話のような内容なので そろそろ新しくしてほしいところ。
 
 



立派な彫刻な施された鐘楼
 




 

裏山にあるという松田憲秀の供養塔を探します。
 
案内板などはないので
(あとで寺のサイトに境内の案内図があることに気づきました)

墓地を抜けて適当に坂道を登り
古い無縫塔や宝篋印塔の並びをさらに奥へ進むと
 


ありました。
一番右が松田憲秀の供養塔です。
 
 

読めない部分が多いですが
寛永10年に松田憲秀25回忌追福のために建てられたようです。
 
松田憲秀が切腹したのは小田原城開城直後の1590年、
寛永10年は1634年なので25回忌というのはおかしいですね。
 
憲秀の没年は明確になってないので、もしかしたら1600年以降も生きていたのかもしれません。
それとも25回忌の供養塔を10年以上後に作ったとか。
 
そもそも松田憲秀の本当の墓はどこにあるのか?
というか松田家の菩提寺ってどこなんでしょう?
 
 


左から二番目は開山大喜法忻の供養塔(開祖寂照塔)
 
一番上の空輪を丸くして文字を刻んでる珍しい五輪塔。
 
入定という文字に慄いてしまい後で調べたところ
大喜法忻は応安元年(1368年)、鎌倉円覚寺の続燈庵にある岩窟で入定したそうです。
 
入定の意味はいろいろあるようですが
一般的には僧が岩窟などに籠りそのまま亡くなることですよね。中には即身仏になられる方もいる。
 
 
わかってはいるけど
複雑な思いが駆け巡ってしまいます。
 
あ、でも大丈夫。
高僧が開かれたこの寺は極楽。
 
 


墓地の隣のこんな穏やかな景色に癒されながら
極楽から現世へと帰りました。