おだにゃら記

地元小田原市中心のゆるゆるフィールドワーク備忘録。
歴史、神社関連、あとはいろいろ。

巴御前と二宮金次郎と北条氏康夫人

2022年05月28日 22時19分00秒 | 
「鎌倉殿の13人」では源義仲討死後、和田義盛の妾となって鎌倉で暮らしている巴御前。
巴御前は吾妻鏡には登場せず、源平盛衰記など軍記物に描かれた人なので存在自体があやふやだけどそれはそれで置いといて。


彼女が和田義盛との間にもうけた男子は怪力伝説で有名な朝比奈義秀となる。
最近は大河では出番のない巴だけど、子供と義盛との穏やかな日常が少しでも見れたら嬉しいな。

やがて和田合戦が起こり義盛は戦死。一族は滅亡。
勇猛果敢に戦った義秀は阿波へ脱出。その後行方不明。
巴は親戚筋の石黒氏の庇護を受け越中に移り、その地で91歳の生涯を終えたという。

戦いで夫を二度も失い、息子とも生き別れとなった巴の胸中は察するに余りある。
巴の生年は不明だがザッと計算したころ、
和田義盛は源義仲より6歳ほど年上、義仲と巴はほぼ同じ年齢~巴が少し下。
なので義盛が67歳で亡くなった時、巴は60歳前後ということになる。
二度目の夫を失ってのち30年も越中で暮らしたのだ。

巴の91年の人生は、生まれてから30年は義仲と一緒、次の30年は義盛と一緒、最後の30年は2人の菩提を弔う日々。
綺麗に三等分というか、スッパリ分類されてたのだな とおかしな感慨に耽ってしまった。


小田原に巴御前が創建したとされる寺がある。


栢山にある善栄寺


建保3年(1215)和田合戦の2年後
巴御前が木曽義仲、和田義盛の菩提のために創建。

和田一族が滅んだ後の巴の処遇はどうだったのかわからないが、
寺を建てる余裕はあったようでちょっと安心。




山門の前には綺麗な用水が流れていて落ち着く。
栢山は水が豊富な地。


本堂前に並ぶ木曾義仲と巴御前の墓。

誰もが思うだろうが、和田義盛の墓はないの?


巴御前が奉納したという天目茶碗と三具足(香炉、燭台、花瓶)

香炉と燭台、これ何?牛?龍?足ピンッ すごく可愛い。本物見てみたい。



善栄寺は二宮金次郎の一族の菩提寺でもある。
金次郎の生家と尊徳記念館はここからすぐ近く。





真ん中の石塔が二宮金次郎の墓。



寺の中興開基である北条氏康夫人の墓
この宝篋印塔は市の指定文化財

善栄寺は巴御前が創建した時は律宗で、その後荒れてしまったようで
南北朝の頃に臨済宗に改宗して再建。
でも酒匂川の氾濫などで再び荒廃してしまって、
戦国時代になり北条家3代目氏康の正室瑞渓院
(母は寿桂尼浅岡ルリ子、兄弟は今川義元春風亭昇太 ←おんな城主直虎
が曹洞宗の寺院として再興。

なお、この時の開山である悦叟宗忻は南足柄の沼田城主の息子。9歳で長泉院で仏門に入ったという。
沼田氏については史料が少なく大森氏の台頭以降は動静がまったくわからないので、ここで息子の消息が知れて嬉しかった。
氏康夫妻に信頼されていたのね。よかったよかった。



よく見えないけど瑞渓院のことが書かれてる碑



寺紋は三つ巴と三つ鱗

三つ鱗がどこにあるかわかるかな?


とてもすいていた頃の鎌倉

2022年05月21日 03時56分00秒 | お出かけ
2ヶ月前の鎌倉行きを書こう書こうと思いながらズルズルと今日まで。

その頃の鎌倉はコロナ禍の影響で
びっくりするほど空いていたのだ。




平日とはいえ、大仏の前にほとんど人がいなかった。




駐車場はどこもガラガラで安いところ選び放題。
客待ちの方に申し訳なく感じたくらい。

今は少しずつ以前の混雑を取り戻してるようで、まぁなんというか、
県民としては嬉しいような、もう行けない!
ような。



感染予防のため大仏の胎内は拝観中止していた。




鎌倉歴史文化交流館。
この日の目的は大仏様とここだった。

世界的に著名な建築家ノーマン・フォスター氏が設計した建物を美術館にリノベーション。
鎌倉駅から古我邸方面にのんびり歩いて10分ほどの距離。

2017年開館と日が浅い上に日曜祝日が休館日のせいかまだ認知度が低く、いつでも空いているようだ。

2ヶ月前のこの時は
広い館内に私たち含め3〜4組の客しかいなかった。
とても贅沢。
でもちょっと淋しい。



2ヶ月前の展示。
現在は北条氏展vol.2を開催中。




写真撮影は基本自由。
趣向を凝らしたクールな空間。
美術館というよりは、お金もちの邸宅に招かれてアートを鑑賞している気分。








ここには大正時代に岩崎弥太郎氏の別荘が建っており、
庭に鎌倉時代のやぐらと大正時代のやぐらが混在している。



お庭。お掃除中だった。



3つ並んだやぐら。
なぜ岩崎氏はわざわざやぐらを掘ったのかしら。





交流館のある地はかつて安達盛長を祖とする安達一族の館や菩提寺があったところで、
発掘された池の遺構が交流館横の遊歩道に移設保存されている。


「鎌倉殿の13人」で常に頼朝を支える癒し系従者、好感度バッチリの安達盛長。
有力御家人が次々と排除される中、彼の子孫は幕府内で確固たる地位を築き上げていく。

だが頼朝の死からおよそ90年後の弘安8年(1285)
御内人筆頭の平頼綱によりついに安達一族も滅ぼされてしまう。
霜月騒動と呼ばれるこの出来事は、幕府内で御家人が粛清された最後の事件であり、
大河ドラマ「太平記」ではこの事件から物語が始まった。



山中城とおたまじゃくしと武将たちと

2022年05月20日 14時45分00秒 | お出かけ
山中バイパスができてから寄る機会の少なくなってしまった山中城。
もう5年くらい訪れていなかった。

ふと山中城のおたまじゃくしのことを思い出し、
またゾワゾワしたくなりGW最後の日曜に出かけた。





台風19号による被害は聞いてたけど、昨年も崩落があったなんて。
でも遺構には影響ないようで良かった。



こことか

ここなどに被害が。







ツツジにはちょっと遅かったかな?と思ってたら
逆に早かったようで。
(ガイドさんがいて話が聞けた)
今年は5月中旬ころがちょうど良かったみたい。



藤はほぼ満開だった。


それで、
おたまじゃくしのことなんだけど。
ここ田尻の池にこの季節に来ますとね、



おたまじゃくしの大群がこのように集塊化してまして。

グロいのでこの程度の写真にしておくけど、向こう岸なんて真っ黒な帯みたいになってウネウネゾワゾワ。

10何年か前に初めて見て衝撃を受け、怖いもの見たさで山中城はこの時期に訪れることにしていた。



久しぶりに宗閑寺に参拝。



小田原の歴史が大きく変わってしまった天正18年(1590)

その3月29日に
山中城で討死した武将達の墓が宗閑寺にある。



立ち並ぶ墓に眠るのは
城主松田康長、北条家筆頭家老の家柄。
援将間宮康敏、小田原二十将衆。函南の間宮出身。
箕輪城主多米長定、北条氏の御由緒六家。
「新九郎、奔る!」(ゆうきまさみ著)では多米権兵衛は横井家の家人としてカッコよく登場し新九郎をピンチから救う。

そして敵方、豊臣秀吉子飼いの大将一柳直末。

山中城の戦いはあっけなく落城、なんて言われるけど、
豊臣軍7万を迎え撃った北条軍はたった4千。
圧倒的な兵力の差がありながら敵方にも多くの死者を出し、特に先鋒の一柳隊は大将が討死するほどの壊滅状態に。
この戦いの、どこがあっけなかったのか?

と、私は宗閑寺に詣でるたびに思うのだ。




帰り際に、昨年整備復元された箱根旧街道の腰巻地区をちょっとだけ歩いた。



山中城の売店から数メートル離れるだけでこの静けさ。



いつかは旧街道制覇と夢見てはいるんだけど、
やっぱ無理かな。
膝痛いし。
この日も疲れちゃって岱崎出丸には行かなかったし。





矢佐芝のビオトープと二宮金次郎腰かけ石

2022年05月17日 13時41分00秒 | 小田原のいろいろ
この間も書いたけど、最近ビオトープをはじめた。


すごく適当な鉢なのだけど、メダカさん達は元気に育ってくれてるようだ。



鉢の水が大好きな猫。
メダカは絶対に獲れないと学習済み。


それで以前にも増して川や池や湿地が気になるようになり、
なんとなく近隣の水辺をマップで調べてたら
矢佐芝ビオトープ
なるものを発見した。

はて?矢佐芝にそんなものあっただろうか?

さっそく確かめに行ってしまった。


矢佐芝は南足柄市塚原のグリーンヒルをさらに登ったところにある集落。

グリーンヒルの道をずっと行くと


なにやら見えてきた。




池がある。水車もある。




これより矢佐芝 の石碑。
奥には二宮金次郎さんがいる。

どうやらこの石碑と池周辺が矢佐芝ビオトープのようだ。2つの道路に挟まれた路肩みたいなところ。
おそらくグリーンヒルや矢佐芝の地域の方達が作られたのだろう。 

決して大きくはないけど、手作り感溢れる可愛いビオトープ。
我が家も庭が広かったらこんなの作ってみたい。



湧水があるのかな

アメンボなどの虫はいたけど魚類は見えなかった。
もっと気温が上がったら違う景色になるかも。




矢佐芝ビオトープからさらに奥に進むとこんな石碑群があって向こうに矢佐芝橋。

この一帯が矢佐芝石丁場だった。



道沿いに転がる矢穴のあいた石。




栢山の村人達がここまで芝刈りに来ていた。二宮金次郎さんも。
この三ツ又小楢の樹齢はわからないけど、その頃から立ってたのだろう。



二宮金次郎の腰かけ石。
三ツ又小楢の前の高台にある。




あれ?
どの石がこしかけ石なんだっけ?





金次郎さんの背後の林には矢穴石が残されている。
できればこちらにも説明板立ててほしいところ。



ミニ金次郎さんもいる。




忍野 富士湧水の里水族館

2022年05月12日 23時22分00秒 | お出かけ
3年ぶりの通常GWのとある日。
少し足を伸ばして山梨県忍野村へ。

目的は忍野八海ではなく「おさかな公園」内の
富士湧水の里水族館。

忍野八海のほうは駐車場に永遠とも思える行列ができてたけど
おさかな公園はほんの1〜2分の順番待ちですぐにとめれた。



途中、御殿場からの富士山


おさかな公園到着





水族園入口でコロナに関するアンケートを書かねばならない。
そのせいか入場口はすごく混んでた。



館内ももちろん混雑してしたし、撮影OKかどうかも不明だったのでこちらから写真を拝借。


富士の湧水を利用した淡水魚水族館。
町の博物館くらいの決して広くはない館内で工夫を凝らした展示がされておりとても見応えがあった。

最近自宅でビオトープを始めたこともあり、水草水槽や屋上や外の池の様子に興味津々。



2階から外の池で泳ぐ鯉やチョウザメが見れる。



チョウザメと鯉って一緒に泳げるのね。









澄んだ湧水がキラキラしてるさかな公園







森の学習館は富士山の麓で見られる植物や動物について学べる。
意識高いナチュラル系ショップのような展示。
木の実や葉っぱに触れるのでお子様には好評のようだった。


それにしても忍野周辺の混雑はすごくて、食事するにもどこも行列で入らず、
15時過ぎにやっと富士吉田のラーメン屋にたどり着いてぐったり。
久しぶりの遠出は(と言うほど遠くはないんだが)疲れたけど
賑わいを取り戻した観光地を見るのはなんだか微笑ましいというか懐かしいというかホッとしたというか。

でももうGWに忍野に来るのは絶対にやめようと思ったけど。



帰り道、乙女峠からの富士の夕焼け。