“自信 ”とは、自らを信ずることです。そのためには、学問の世界であれば知識量、スポーツの世界であれば練習量などのように、自らを信ずることが出来るような裏付けが必要です。 自信は努力の量により形成されるといえます。 努力の量は、どれだけ集中し、継続して取組むかにより自信を持つことが出来るのです。
二年前、「十勝の開拓と鉄道の歴史」の演題で、講演をした知人がいる。その講演の最中に、聴講者の中に恐持ての人がいて何かを質問したが、講師の人は自信があったからであろう、何も動じなく答えたのである。 彼は東京に住んでいて「十勝観光大使」でもあるが、彼の差別に対する考え方は以下のとおりであるので、参考としてもらいたい。
『 差別とは、人に「差」をつけ、自分とは「別」の存在(グループ)として一種の排除をすることだと思います。人間には能力や外見など合理的あるいは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できません。
大切なことは、その事実を認めたうえで、その「差」によって人を排除しないことです。相手の立場に立てず、思いやる心を持てないことからから排除につながり、イジメるのだと思います。』
差別に関しては、残念ながら同じ日本人である “アイヌ系日本人”に対する差別が、まだ存在している。アイヌは縄文の伝統を色濃く残す民族で、本州で弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守り続け、弥生人に同化しなかった人々で、それが蝦夷(エミシ)ということになる。それがエゾになり、江戸時代のアイヌになったそうである。だから、エミシと呼ばれた人々は、北海道や東北だけでなく広く関東地方の以北に住んでいたのである。
また、司馬遼太郎氏の著書“街道をゆく(オホーツク街道)”を読むと、日本列島に住んでいたみんなが縄文人=蝦夷(エミシ)であり、そのDNAを持っているアイヌは、縄文人の文化を守り続けた人々の後裔であるとも書いている。
私は30年前に青森県に住んでいた。青森県にも、アイヌコタンの跡がたくさんあったのを覚えているが、アイヌの歴史を知らない人が多く差別を生む原因になっている。私に自信があるとしたら、全国各地を歩いて分かった日本の歴史のことで、特にアイヌのことである。
「十勝の活性化を考える会」会員T