やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

小笠原にいて考えた硫黄島

2020-11-29 14:25:06 | 山旅(国内)
みなさんこんにちはわたしは26日の木曜日に帰ってきたよ~。
今回もみなさんとっても喜んでくださっていい旅だった。(小笠原6日間)
小笠原ツアーは1月にあと2本、2月も1本、決まっていて
これからもっともっと深くいろんなことを知っていけると思う。

今日はすーさんと朝に散歩していると、
荒川の土手から日光方面の山々が見えたの。ここから見えるとは
東京に引っ越してきてもうすぐ10年になるけど初めて知った
男体山と白い日光白根!↓↓


もちろん富士山は時々見えるけど(そしてもちろん反対方向)
今日はよほど空気が澄んでいたのね。
お出かけしたいけど、わたしは12月もめちゃ忙しくて
出かけられないんだ~。
でも、5日土曜日は、80代のお客様のための山トレを企画してみたので
楽しみにしている。時間あるよ、山歩きたいっ、というご興味のある方はご連絡くださいね。
年齢問いません。笑(もちろん参加費無料)

*

小笠原の父島と母島にいて、美しい風景がたくさんなんだけど、
戦争の爪痕も感じる。防空壕が残っていたり、軍のレーダーだとか
軍が使っていた建物がそのまま残っていたり
戦死者の方の慰霊碑があったり。

それからガイドさんたちと硫黄島の話にもなった。
わたしが映画の影響で「いおうじま」というと、「いおうとう」と何度もなおされた「硫黄島」。
今は自衛隊関係と遺族の関係者と選ばれた人しか
硫黄島に上陸することはできない。

硫黄島は父島からさらに280kmの南で、戦時中は日本にとっても
本土を守るための重要な地、アメリカにとっても攻めるための重要な地だった。
その激戦ぶりは悲しくて、
硫黄島に送られた兵隊さんたちの96%が亡くなられたのだそう。
(210000人中、生きれたのが800人くらいだった)
その話のあとに、
もっとこの小笠原諸島の戦争のことも勉強しようと思っていろいろ読んだ。

金曜日の夜だったかなあ、みんなが寝て、家事も終わったあとに
アマゾンプライムで「硫黄島からの手紙」(映画)があったので
ひとりでam3時まで見たんだけど。暗闇の中で怖すぎて
映画の途中におトイレに四回くらいいった。なんか怖くて寒くて、震えてたの。

火山の水のない小さな島の、小さな山の中に壕とトンネルを掘って籠城状態。
食料も水も武器も尽きていく・・・・援護を頼みたいけどないの。
本土からもないし、海軍の艦隊も壊滅してしまっていて。
つい先日のわたしの九州の旅で天草に行ったとき、みんなで話した、
原城に籠城した天草四郎たちの最後のことを思い出した。

クリントイーストウッド監督って、素晴らしい名作を作るよね。いつも。どれも。

わたしは広島出身なので平和教育たくさん受けてきた。
沖縄のことも知っているし、日本だけでなく、紛争とか
内戦とか、どれも無駄に悲しい、無駄で悲しくて苦しい。といつも思う。

この硫黄島で絶望的な状況の中、兵士たちの
家族たちとただ一緒にいたい、暮らしたい、帰りたい
という、ささやかな願いは、当時は望むことも許されず。
彼らのその叶うことのなかった想いは、
今のわたしたち日本人には当たり前すぎて、その大切さを忘れている。

*



デジカメで撮影した父島・母島の山と海。ricoh wg50。














アオウミガメが泳いでた




またおいおい、植物のこととかもご紹介するね~

環境のこととかもたくさん考えさせられるの。固有種の絶滅危機とか目の当たりにするとね・・・

人間と動植物が自然の中で共存できる環境
てのをふと考えさせられ、
あ、この言葉、信越トレイルの加藤則芳さんの言葉じゃん・・・と思う。