やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

信仰・歴史・神話、そして特別な中国山地の山

2021-05-22 14:33:49 | 山旅(国内)
4日間の山陰の旅が終わった。ご参加のみなさん
「すべてが良かった」と言ってくださった。わたしもです。

今回は三徳山投入堂から大山、蒜山、石見銀山に温泉津温泉、出雲大社。
優秀なガイドさんたちによって知識も深まり、
そして私にとっては大好きで懐かしい中国地方の山々。


いろんなことを
思い出し、懐かしみ、昔と今の感覚の違いとか
じっくり感じたりして、生きててよかった、って思った
やはり、いろんな経験をすること、知っていくこと、
何一つ、無駄はない。生きていれば。

蒜山にて
(はあ、懐かしい!この先の向こうは広島の山々だ~なんて言うと、ガイドさんが
ちょっと遠いけどそうだね、と笑うのだった)

特に今回は、梅雨の中、雨は降ったり曇っていたにも関わらず
神がかっているかのように、見るべき時、タイミングで
最高の景色が見られて、みなさんも「お天気に恵まれた」と言われていた。
雨が降ったのは少しだけ、下山のときとか、
大山では景色を満喫したあととか、移動中とか。


ちょっと涙ぐみたくなったような感じとか。

今回初めて「仕事で」出雲大社に行ったけど、こんなに深いところとは
知らなかった。
10代の頃から何度も行ってわたしの(恋の)縁を(都度、笑)結んでくれ、思い出深い、出雲大社。
私の中では百発百中の縁結びの神様という強いものを感じていたの。笑
仕事で久しぶりに行くので、古事記の神話の物語も読んでから行った。大国主命や
ざわざわするような彼の周辺の人間くさいような神話・・・面白すぎる。(それが出雲大社の神様)
ガイドさんが「出雲さんは縁を結ぶ」
のその言葉の、本当の意味を心から実感したの。

私にとって、年月を経て、こうして東京(関東)のお客さんたちと
出雲大社にお参りできたこと。(それがこの旅の締めくくりだった)


それこそが、最大の縁結びではないかと。

石見銀山も昔、世界遺産に登録されて直後に行ったけど
こんなにすごいところとは。

ガイドさんのいう「日本のマチュピチュ」はこっちじゃな。

知識は大事。深まり方が違う・・・

そうゆの、
書いていくね。(でもこのあとすぐに旅日記にとりかかるので
旅日記を作り終わると力尽きてしまいブログが手抜きになる傾向にある)

まずは三徳山(鳥取県)
日本一危険な国宝と言われている投入堂へ。

*

綾小路きみまろさんみたいなしゃべりの
楽しくて、信仰の知識も豊富なガイドさん。
と、頼もしい山岳ガイドさんたちがついてくれた。(大山プロガイド協会の方々です)




三徳山は山全体が聖域。この川は三途の川で
渡るとあの世。(あの世側から俗世を見てる図)


706年に開山され、山伏たちが厳しい修行で歩いた
修験の道。ガイドさんに習い、わたしたちも白い輪袈裟をかけ、
「さーんげ さんげ ろっこんしょうじょう」と大きな声で唱えながら歩いてみた。(懺悔 懺悔 六根清浄)



ずっと声を出しながら行くのはしんどくなるので
私たちは一部でやめたけど、当時は最初から最後まで唱えてたのだって。
「どっこいしょ」が「ろっこんしょうじょう」から来たという説に賛同。
段差を登りながら、「ろっこんしょーい」になる。


おひさしぶりの、えんのおづぬ



霧雨で濡れた垂直近い岩場や、木の根っこ、
大変だった。



ここは雨だと入山禁止。あと、お一人入山も禁止。
この日はガイドさんが住職さんにお願いしてくださり、3人のガイドさんも
ついていたので入れました




落ちたら最後 文殊堂より






この岩こそがご神体


岩の上に置いているだけ・・・・

この建築技術よ

修験者たちの足跡


初めて私も鐘をついた。

合掌 鐘ひとつき 合掌
うまくいい音で余韻をもちながら響いていたよ・・・

この重さ2トンの鐘をどうやってここまで運んできたのかも謎。





そして国宝の投入堂


ガイドさんが「まずは写真を撮らずに見て」
「感じて」
「周りの自然との調和を感じて」
とおっしゃって、静かにわたしたちは眺めることができた。



このときのこの空気感を
ぜひ。


何度見ても、不思議。
「よくまあ、こんなところに」と。
(平安時代後期(1086~1184)建立)


崖だし、下には谷が続いている。

神聖。そんな言葉がふさわしい。



わたしは、このとき、
日本の文化はこのあたり(山陰)から発展したのだろうと確信した。
中国から文化が渡ってきて、
それは宗教であったり、建築であったり。

なんだろ、人間の歴史、熱意。そういうものに
わたしの心が熱くなったわ。