私が中学校の頃の歌 喜びも悲しみも幾歳月
「灯台守」
現在では海上保安庁が管理する灯台
有人灯台は少なくなり、ほとんどが無人化のようですが
昔は 有人灯台がほとんどで 航行船舶の安全を守って夫婦で苦労した様子が
歌詞の中に刻まれていましたが こんな暮らしだったんですね・・
灯台退息所と灯台
台風シーズン 今頃の夜間の灯台守は大変だったでしょう・・・・・
四国村の後半です
私たちが小さい時 田舎の道沿いには こうしたお堂が建っていましたね
造りは多少違っていますが 今でも 時々目にする事がありますよ
爽やかな緑の竹薮を抜けると 又別の世界が開けていました
茅葺の屋根から本瓦の白壁が
旧丸亀藩の御用倉
さらに進むと
醤油蔵・麹室 この時はこの場所でテレピ撮影がおこなわれていました
旧前田家土蔵 この先に進むと
漁師の吉野家と出口の洋館建へと続きます
洋館の一階は喫茶室になっていまして 四国村を出てからはここで 一休みして ミルク金時を いただきました。
屋島寺 ドライブウエーの入り口に在る
四国村
民家を中心とした古建築をテーマにした屋外型の博物館ってところですね
入ってすぐの かずら橋
池に浸かりそうで チヨット怖かったかな
農村歌舞伎舞台
江戸から明治時代の民家を復元しているそうです
まさに、四国村は当時にタイムスリップした感じですね
砂糖しめ小屋 と 楮蒸小屋
昔は、この住宅で何人が生活し
どんな暮らしをしていたかを想像していたら 気が重くなりました・・・
次回に続く
今回の心の旅路 遍路道は 84番 屋島寺
壇ノ浦の古戦場としても有名な屋島にあるお寺です
家庭円満 縁結び 水商売の神様 簑山大明神と室町時代の再建とされる本堂
五剣山その中腹に建つ 85番 八栗寺へ
ケーブルカーで簡単に登る事がでかましたが・・
石仏 そして 大師堂の隣には朱の色も鮮やかな多宝塔が
八栗山 本堂
私たちはケーブルカーとドライブウエーで簡単に登りましたが
遍路さん達は冷夏とはいえ 真夏日のなか 山道を登っていましたね
やはり、心構えからして違っているんですね・・
瀬戸中央道海峡部のほぼ中央に位置する与島
流石にお盆の 第一駐車場(与島プラザ側)車が一杯
駐車スペースを探すような状態
第二駐車場(与島オアシス側) フィッシャーマンズ・ワークは
駐車のスペースも十分にありました
(第二駐車場からの撮影)
この日の瀬戸中央道は風も強く 運転がしずらかったな・・
この大橋も 風の影響を受けるかかな・・
フォロー中フォローするフォローする