fangle WORLD'S LIFETIME FITTINGS, GOODS & ORIGINAL ARTICLES
奈良でアンティークの家具・雑貨、古道具、オリジナルの鉄ものを扱うfangle。
 



またまた、やっぱり、メゲズに久々のブログ更新。

今日のテーマもアフリカ。
我が家にある、最も熱く、そして力が漲ってくる強烈なレコードがこれ。



無垢な少年を通り越してしまった青年の顔、ジャケットに漂う空気がまさにアフリカ。
もちろん、
音もアフリカンしてます。なんせタイトルAFRICAFUNKです。

アフリカの音、って言ってもいろいろで、
先日紹介したようなゴスペルもあれば、
グリオと呼ばれる人たちの音楽も独特だし、
ジャンベやカリンバを筆頭に、アフリカの楽器を使ったアフリカンもある。

このレコードはそんな識別を一掃するパワフルな音が詰まっている
コンピレーションなのです。
有名どころの Fela Kuti, Tony Allen, Manu Dibango の曲もありつつ、
どなたか存じ上げないけれども、いい音醸し出してくれる人たちも名を連ねてる。

ちなみに Fela Kuti は "Expensive Shit" で登場していて、
個人的には "Water get no enemy" が好きだったり(哲学を感じさせる曲名も良い)、
Monbasa も "Nairobi" の方が・・・、という思いもあるけれど、
Wali& the Afro Caravan の "Hail the King" なんて最高の選曲です。
これだけでも聞く価値があるレコード。

久しぶりだけに、とっておきを載せちゃいました。

ちなみに今日は、
前回の記事に書いた、カテンベくんの手術日(カテンベ救済の呼びかけ)
手術費が集まったのです。
術後も、移植した肝臓の拒絶反応を抑えるための薬を飲み続けなければならなかったり、
と医療費はかかるそうです。
カテンベくんが元気に走り回って、
また素敵な歌声を響かせることを願ってやみません。

祈りを込めて。










ライブに行ってきました。
太鼓の修行でアフリカ、ケニアに行ったマサくんこと大西匡哉が
その師匠であるマテラ氏とセッションするということで、
かなり楽しみにしていたライブ。

今回も早川千晶さんと一緒で、彼女のお話も聞きました。
彼女はケニア最大のスラムであるキベラで
孤児や貧困児童、虐待を受けた子供たちなどのために活動(UPEPO)をしていて、
マサくんは過酷な生活環境の中で一生懸命生きている人たちを、
彼らの歌や音楽を通じてサポートする活動(JIWE)をしているのです。



JIWEが製作したこのCDのタイトル『MILELE』はスワヒリ語で「永遠」という意味。
キベラスラムの子供たちが歌っています。
これらのゴスペルは、普段キベラの教会などで歌われているそうで、
生命を賛歌し、幸福や平和を祈るこの子供たちの歌声には
彼らにとって歌がそうであるように、
耳にする私たちにとっても歌や音楽の持つ力に治癒される感じがします。

今回のライブはこのCDでも歌を歌っているカテンベくん、肝臓病と闘っている彼の、
肝臓移植の手術費と医療費を助ける為のイベント(カテンベ救済の呼びかけ)でもありました。

カテンベくんの叔父さんでもあるマテラ氏とマサくんの太鼓の音には、
みんなの祈りや希望、カテンベくんの生きたいという強い気持ちが宿っているようで
彼らは太鼓というツールを持ったメッセンジャーで、
魂というか、心のあるその音に触れた人に
何か言及しきれない大事なものを残してくれました。








やっと雨があがった。

太陽や青い空を見ない日がこう続くと、どうも塞ぎ込みがちになってしまう。
そんな時にいつも想うのがこの曲、"Rhythm of the Rain"なのだが、
音に耳を傾ける気持ちにもなれずに、
CDをBGMとしてかけてしまう、と余計な曲まで聞く羽目になり、
さらに気持ちも晴れず。

そんな中、ママと一緒にお出掛けする子供が
「あめ。あめ、あめ。」と繰り返しはしゃぐ声を耳にして
やっとレコードを引っ張り出してくる気に。  
    

なかなか良いジャケット。
ジャケットの楽しみがあるのもレコードの良さだったことを思い出す。
これは Tomoko Kevorkianさんが描いたもの。
旦那さんは Francois Kevorkian。
夫婦でNYのundergroundシーンを引っ張っている。
(もはやundergroundではないか。ん?undergroundってなんだ?)

そしてこのレコードはメッセージ付き。
When raindrops first start falling, you CAN hear the individual raindrops hitting the ground, loud and staggered.
At this point, we are in CONTROL of our senses and perception.
But as more and more raindrops begin to fall, the force becomes overwhelming, the sound uniformed, and we can no longer hear the effects of the individual raindrops hitting the pavement.
…We have lost the fight to hear the RHYTHM OF THE RAIN.
Sadly, we are now at the WILL of the RAIN.

雨のしずくが落ち始めた時、雨のしずくの一つ一つの音を聞く事ができる。
この時点で私達は自らの感覚や感受性をコントロールしている。
しかし、雨のしずくが益々降り注ぎ激しくなってくるとその音は一色単になって、もはや舗道に落ちる雨しずくの一つ一つを聞く事が出来なくなってしまう。
…私達は「雨のリズム」を聴く力を失ってしまった。
悲しい事に私達は無意味に降る雨しか見れなくなってしまったのだ。

うーん、
メッセージといい、曲といい、
何に対してかわからないけど、ごめんなさい、っていう気分になってしまった。
そして雨にはしゃぐ子供の感性にありがとう、っていう気持ち。
さらにはブログ、もうちょっと頻繁に更新するようにしよう、とも思った。

できるかな。