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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

再び花咲か一座、松本佳久、宮本常一。語るひとびと。

 少々長い話になりますが昨日のことです。
 前夜は山口県大島出身の民俗学者、宮本常一さんの著書を読みつつ生涯を見渡しながら、色々と今後のことを考えていたら朝、山江村の松本さんから宮本常一の「忘れられた日本人」読了とのメールが入りました。
 松本さんから下記のような記事の紹介がありました。下記は山江村ボンネットバスの話題です。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/24795?c=240

  山江村は使用済み食用油から精製したバイオディーゼル燃料(BDF)を使い、村内外のイベントで活躍する村所有のボンネットバス「マロン号」を走らせる計画を進めている。今月中旬には村役場周辺で走行実験を実施、マロン号は約2キロを快走した。内山慶治村長は「エコな村づくりの第一歩にしたい」と意気込んでいいる。・・・と続く。この記事はちょうど最近私のところに入っていた情報と周辺の動きにリンクしていたのですぐにピンと来ました。そこで松本さんにメールを書きました。
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松本さん、田んぼ作業ご苦労様です。 岸本です。

記事のマロン号の件は綱田君から聞いてました。  松本さんは勿論ご存知でしょうが、この記事の中に出てくるBDFでマロン号を動かそうとしている綱田君は私が熊本県民テレビ時代に村おこし応援番組として企画した「花咲か一座の豪快TV」の第1回目阿蘇郡小国町の巻で活躍した七人の侍の一人です。
  ちなみに2回目が山江村でした。 彼は番組が縁で小国町に住み込み、廃木活用の看板作りやふさぎり大根を使ったバレンタインチョコレートをヒットさせるなど、独自の野性的感性で商品開発を続けました。もともと不知火町の生まれで、幼少時から野山を走り回って育ったので自然の食や技に関心が強く、独自の仕事を創造していました。 その後、サトウキビに注目し、トウキビ茶を完成させるために沖縄へ移住、どうしてるかな?と思ってたら山江村の村おこしに一役買っていると電話が入り不思議といつも私のターニングポイントと同じ時期に何かやらかしている人です!?
  実はこの綱田君と一緒に小国町の町おこしに通っていた当時の熊本大学生と同じく韓国の留学生(二人とも女の子で小国の花咲か一座メンバー)が現在熊本市で一緒に子供に関する活動をしている話もあり、当時の花咲か一座の面々のその後の動きが今、一気に情報として入ってきています。面白いことに、確実につながってきています。 実は番組取材中にボンネットバスを動かした張本人の当時のスタッフからも数日前に電話が入り、皆で飲んでるということでした。(皆は熊本県民テレビ関係でまだ働いています)ちょうど私が長崎県の講演後の懇親会で「五島列島に行くぞーーっ」と酔っ払っていた頃でした。

 民俗学者、宮本常一さんのことは見直せば見直すほどに貴重な活動だと感じています。全国中をくまなく歩き回り、庶民の生活、普通の人々の中にある人間の生き方を聞き出し、記録し、当時の世の中に生かすことを考え続けました。

 周防の猿回しはテレビで一躍有名になりましたが、実はこの周防の会も宮本常一さんの後押しで地域振興のきっかけとして実現しました。佐渡島の鬼太鼓(おんでこ)、そして離島振興法を奔走して実現したのも宮本さんの功績でした。歩き回る中で宮本さんはひたすら相手の方が話したいことをじっと聞いていたらしく、同時に自分を語っていたそうです。結局は相手の方を大事にしてお互いのコミュニケーションをとっていたわけで、一方的に聞くでもなく、逆に一方的に語るわけでもなかった。住民ディレクター活動そのものを感じます。我々もインタビューするのではなく語ります。そしてじっくりと聞きます。

 著書「忘れられた日本人」は宮本さんにとっては「忘れられない日本人」のことでした。一昨夜も宮本常一さんの70数年の生涯を見直しながら不思議なご縁を感じていたところに翌朝の松本さんのメールでした。

  ご縁を生かさないといけないですね。

(写真は「花咲か一座の豪快TV」のチラシ:熊本県民テレビ時代)

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