一通り各地からの活動リポートのあとに、本題に入りましたが、聞いていて「変わったのか?変わらなかったのか?」非常にわかりづらい話が多かったと感じました。なかなか本音が出ないのでしょうが、それではわざわざ来られている方々に申し訳ありません。変わらなかったのなら、「どうして?」変わったのなら「どういう風に?」ここをお互いがはっきり表現しないと、このテーマで集まった意味がありません。
12年前から提唱し、実践してきたわたしからすると「変わらなかったのなら、もうやめようよ!」という気持ちです。今回の集まりにも参加するかどうか、最後まで迷いました。名前を出してもらっていましたが、当初から初めて参加する人の気持ちでこの企画に参加するということをメンバーには宣言していました。一方で提唱者、創始者としての立場は勿論ありますので、参加は必須条件でもありましたが。
現場ではやはりどうなるかわからない「現場」でした。準備中は確認できた映像や音がうまく出なくなり、スタッフが慌てました。出演者も映像に合わせて語る用意をしていますから、慌てます。しかし、こういうときこそ住民ディレクターの本領発揮です。まずわたしが技術スタッフのもとに駆け寄り、機材やテープを代えたりコードをつなぎ直したり一緒にいろんなことを試してみます。出演者は映像なしで全員人間力があるので語りだけで伝えようとしています。その舞台裏を全部オープンに見せ、経過を伝えながら淡々と進んでいきます。
これが住民ディレクターの総合的な企画力の源泉です。一人で撮影して編集し作品を仕上げるだけではこういうダイナミズムを味わえません。その作品を持ち寄って、さらに生中継的に限られた時間で伝えるべき内容を構成する。その順番に沿って人、映像の構成をし、全てが生放送で進むテレビ局の生中継の手法が最大の企画力を養成するのです。本番に強く、即興に強い表現者になります。
そして、生中継で必ず起こるトラブルを次々と時間内に解決して行く現場、ここにこそ住民ディレクターの手法の秘訣が散りばめられているのです。現場では
・ディレクター(総合進行)
・司会進行
・レポーター
・カメラマン
・音声
・タイムキーパー(時間出し)
・VTR係り(VTRを適時映す)
・メイキング(現場の模様をわかりやすく記録するカメラマン)
・アシスタントディレクター
少なくともこれだけの役割があり、全員ここを経験していきます。
すると出演者として語るだけでなく、ストップウォッチを見ながら残っている時間を出したり、全員の動きをその現場にいない人のために記録するのはどこを撮影すればいいか、など視点が複眼になっていきます。上の9つの視点で現場を見る体験が身に付くと、日常の暮らしの中でひとつの現象を様々な角度で見ることが自然と身に付くのです。もう一度言いますがそれが総合的な企画力になります。勿論、作品としての映像制作もするので表現方法も多様な視点を身に付けます。例えば
・ニュース
・ドキュメンタリー
・トーク番組
・情報バラエティ
・教育番組
・対談
・ドラマ
・アニメ
・クイズ番組
・歌謡番組
・お笑い番組
・スポーツ中継
・数地域からの多元中継
まだまだありますが、例えば本日のテレビ番組表を見てください。そこにある番組は全部できます。ということはそれらの番組の制作を現場で体験するということです。しかも専門学校に行く必要はなくすぐできます。
なぜ?できるか?わたしがこれらの全部をディレクターやプロデューサー、カメラマン、編集マン・・・、として実際の民放でやってきたからです。その経験を皆さんに簡単でわかりやすくお伝えしているのです。
さらにこういうのもあります。
・番組企画の作り方
・業界に合った企画書の作成(あらゆる業種に対応)
・営業するための企画プロデュース(実際に売る企画づくり)
・イベント連動番組の作り方
そして
・プロデューサー講座
・ディレクター講座
・カメラマン講座
・シナリオ講座
・リポーター講座
さらに、情報発信の方法として
・マスコミへの発信方法
・CATVとの組み方
・FMラジオ局の作り方
・インターネット放送局の作り方
これらはひとつの素材を何回も活用するマルチ活用の手法にもつながります。
書けばきりがないですが、以上のような個別の仕事を複合的に合わせてお伝えしているのが「住民ディレクター」なのです。
そしてこれらの手法は全部自分自身が民放で体験したばかりではなく、全てにオリジナルのやり方をやってきました。そのオリジナリティーがプリズムならではのもので地域によって異なるやり方、風土によって違うカラーを自然とかもし出す結果につながっていきます。現地に入るまで何も用意していかないのはそういうことです。その土地の空気を吸ってから一緒に考えます。
作品作りというプロセスは住民ディレクターにとっては、100分の1ぐらいの経験にしか過ぎません。勿論「質」は問いません。番組はオマケです。プロセスの共有を地域づくりの企画力に生かすことを考えているからです。しかし、何年もすれば
「質」も徐々に上げていきます。必要なければそこもしないでいいのです。公共の場ではなく自分達だけの世界で楽しむのならそれでいいのです。
わたしが少なくとも1年間継続してほしいというのは、以上のプロセスの一部だけでも身に付けるにはそれぐらいの時間と費用がいるからです。一日の講演や数回の講座でできるのは「面白そうやね」という体験ぐらいです。しかし、それでもきっと視点がガラリと変わるはずです。
こちらは民放14年間の中でとことんテレビのあり方、使い方を学び新しいものを産んできました。全国を回りました。日本テレビの大先輩、読売テレビの諸先輩からもいっぱい学びました。大プロデューサー、大ディレクターの方々です。
○ズームイン!!朝!のSさん(しゃぼん玉ホリデー、ゲバゲバ90分)
○全日本仮装大賞のKさん(歌のワイド90分、24時間テレビ)
○タモリの「今夜は最高」のGさん(タモリ番といわれていました。残念ながら亡くなりました)
○11PMのHさん
○ドキュメントシリーズのKさん
○24時間テレビのTさん(話は全く合いませんでしたが)
番組の現場でお会いしたタレントさんにも学びました。
藤本義一さん、ビートたけしさん、森繁久弥さん、吉永小百合さん、真田浩之さん、宍戸錠さん、十朱幸代さん、島田陽子さん、野坂昭如さん、渡辺謙さん、緒方拳さん、柴田恭兵さん、・・・・・・。
日テレの番組に出ていただいただけでなく、森繁さんのようにテレビ界の大御所、天皇といわれる方も口説き、熊本のローカル番組にも出てもらいました。藤本義一さんには11PMでたいそうお世話になりましたが、不思議なご縁がありました。(長くなるのでここでは書きませんが。)
最近はどうもそうらしいので話しているのですが、ここまでテレビ局の仕組みや使い方を熟知している人はいないのではないか?と思います。テレビをやめてから日本中、海外も歩いていますが、どうもここまでテレビを使い切った人間には出会いません。
さらに5年ほどかけて熊本県内の98市町村を2周半したのです。ここから山江村に出会い、地域の方々と出会い、地域づくりという大事な仕事に目覚めていきました。全市町村を自分の足で歩きました。
営業マン全員が「そんな番組は売れない」という番組ばかり企画していましたから、了解をとってプロデューサーである私自身が営業し、最初は250万円に始まって、とうとう1500万円の予算を自分でつくり、日本初の「アイデンティティを取り戻すための」住民手作りドラマを制作したりしました。平成元年には同僚の企画で実質250万円で熊本市のど真ん中の商店街で住民制作ドラマを作り、日本テレビ系列のお仲間のテレビ局10数局に放送する試みも成功しました。
ある年は営業マンでもないわたしが、年間で約3000万円を創ってきたこともありました。
そこで住民プロデューサーへの道です。住民ディレクターは住民プロデューサーを目指しています。お金を生み出し、そのお金を住民、国民のために上手に活用し、還元する生き方を提案しています。実践します。実戦社会のなかで。
平成7年のある晩に、上司からある番組のディレクターを強制されたときに、「ああ、もうここで学べることは何もなくなった」と感じ、その場で退職願を出しテレビ局をやめたのです。次の日から、今やっていることを構想し、スタートしました。(実際の退職までには勿論、事務処理等で1ヶ月ほどは在籍しましたが)予定ではなかったのです。もう少し熊本の地域でやろうと考えていた企画が山ほどあったのです。が、テレビ局の中でやるよりは、一人でやったほうが早いのがこの晩にわかったのです。
さて、ひょんなことから一気にテレビ局での14年間のおさらいを書いてしまいました。京都で久しぶりに会った松本佳久さんから山江に来て欲しいといわれたので、少し考えてしまったんです。
今は、わたしにとっては人間や地域、国、世界の未来が拓かれる可能性のあることに100%の力を出したい気持ちでいっぱいです。そのために自らの持てる力と、時間を使いたいと考えています。何をしたいのかがよくわからないところで、それを(わからないこと)はっきりするということをサポートしていたのはこの12年です。しかし、ITがどんどん進み、本当に誰でも映像が使え、ネットが使え、テレビ局が個人で持てる時代に入ってしまった今、次の課題はそれをどう地域に生かすか?でしょう。そのためにこの12年間、全国、海外を行脚してきました。
今は、具体的な課題を解決するためにお役に立ちたいと考えています。当然、その気で行けば、時間もお金もかかります。私の力がお役に立つならその気で来て欲しいのです。傲慢な気持ちはありません。母が教えてくれたのです。
先月29日母を亡くしました。享年89歳で健康に死んでいきました。お世話になった介護の現場の方々のひたむきな姿、生命を本当に大事にして対応しておられる姿を目の当たりにして、あらためて感じました。こういう方々の日々の姿をこそ我々は伝えていくべきだ、と。テレビ局にいた頃から考えていたことですが、現実の社会の中で力をつけないとそういう仕事は仕事になりませんでした。住民ディレクターもこういう方々が自ら伝える手法で何とか伝え続けられないか?と考えた手法でもありますが、現場では絶対無理です。介護に全力を使い切るからです。ではどうするか?・・・、そういう意味での協力者、ボランティアがおられると助けられるのではないか?と考えていました。
24時間テレビをやらせていただいたのも、こういうことを考える非常に貴重なきっかけとなり、その中で出会った方々との長年のお付き合いが次々と住民ディレクター活動を生み出す大きな助けになりました。
知らず知らずのうちにいっぱい書きました。これからが本編のようになってしまいましたが、続きはまた近いうちに書きます。
京都はひとつの大きな転機と考えています。
わたしが100%力を出すために、「住民ディレクターをやめて別のことをはじめるかもしれない。ひょっとしたら介護のことをやってるかもしれませんよ」と話すのを隣で聞いていた佐用町の千種和英さんが「住民ディレクターの終焉!」ということばを発していました。「なるほど!うまいこと言うね」、と感心しましたが、
正確に言うと、真の住民ディレクターのはじまりです。
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