一度信長について書いておかないといけないという気持ちがずっとありました。「軍師官兵衛」は今、信長という破格のスケールで生きた人間の話とも読めます。
一般的には殺戮を繰り返し、血も涙も無い非情の武将ととられる一方で戦国の革命児としては誰もが認めるところです。天下布武を宣言しました。天下布武というと「武」をもって天下を治めるというイメージが勝手に出てきますが、言葉を調べると「七徳の武」をもって天下を治めるということらしく信長が吉法師(きちほうし)と呼ばれた子どもの頃の養育係だった沢言(たくげん)宗恩という臨済宗の僧が信長に進言したものらしいのです。
Googleで調べると 七徳の武の「武」は暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするの七つを意味し、それらを全て兼ね備えたものが天下を治めるに相応しいという意味です。中国の周時代を描いた春秋左氏伝が基になっている。(Yahoo知恵袋、Wikipediaによる)ということで、そうならば信長が周囲の理解を求めずとも一人孤独な戦いをしている姿がぐっと浮かびます。生来の自由人、革命児、創造者という資質が既存の権威や守られるだけの伝統を次々と破壊し、後々秀吉が天下の名城大阪城を築くことになる上町台地を手に入れることが天下布武の大きな課題であったこともわかります。
石山本願寺との執拗な戦いが何故続いたのか?疑問が解けます。しかも毛利水軍がその背景にいたということもあり、壮絶な天下統一への戦いが繰り広げられたのでしょう。これも当時の信長が見据えていた一つの課題に過ぎず、恐らく何百何千という「課題のタスク」を秀吉や柴田勝家、明智光秀などの優秀な武将に託し解決していったのでしょう。統一の目的は戦国の乱世を終わらせるため。度々秀吉や官兵衛が言い、竹中半兵衛が官兵衛を諌める時に使う信長家臣団の「大義」です。
信長はこの大義を理解し、大義を実現するために一途に働く家臣を大事にします。軍師官兵衛でも家臣一人一人に対する時の表情が見事に描かれていると感じます。理解しなくても天下統一に役立つものは登用する。しかし、役立たなくなったら・・・、それは摂津國を任され本願寺と泥沼の戦いを続けていた荒木村重という武将に起こる悲劇に描かれていきます。
信長の人間としてのサイズは計り知れないのでわたしが何と言っても届きませんが、一つの言葉で表現すると「意志」の人と感じます。意志はどこから来るか?これは堂々巡りに陥りますのでやめますが「天下布武」でしょう。「新しい時代の平和」を誰よりも望んだのが革命児だったということをよく理解していたのが家臣団の、ある意味で末端に位置し、播磨を治め、筑前に入ることになった官兵衛だったのでしょう。信長の「大義」を実現する強い意志をもった人間の一人として。
信長が最初に官兵衛を呼び寄せて謁見した時に名刀「へしきり長谷部」を与えたことは瞬時に人物を見抜き、先の先を読んだ信長の官兵衛評として「なるほど」とうなづけるものでした。「軍師官兵衛」いよいよ信長の一挙手一投足に注目です。
☆NHK大河ドラマ追走番組「官兵衛で國創り」関連サイト とうほうTVホームページ 「官兵衛で國創り」FBページ
*写真はNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ポスターより。