住民ディレクターの発想とこの手法でやろうとしていることが今回の第45回スタッフ会議でかなりはっきりとしてきました。わたしが住民ディレクターNewsの第1回で民俗学者 宮本常一と日本テレビの生みの親、正力松太郎のお二人を合わせ持った手法が住民ディレクターであることを書きましたが、今まさにこのことが「見える化」してきました。
集落、村落共同体を壊していったのは他ならぬ昭和20年代後半に誕生したテレビでした。テレビが「東京」、「アメリカ」の生活が豊かだと発信し続け、憧れた田舎の若者を奪っていった結果が現在の少子高齢化の大きな要因です。テレビは遠くを見る眼鏡「遠眼鏡」でした。多くの人は遠くの世界を憧れ、田舎を離れ都市に集中し、海外にばかり目が向きました。遂には宇宙にまで遠眼鏡は世界を広げていって田舎には人はいなくなっていきました。そうして田舎がじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの三ちゃん農業化していき行き着いた先が現在です。
さて、住民ディレクターは遠くばかり眺めて田舎から人を奪っていった元凶の?テレビカメラを使ってすぐ自分たちの足元を見つめる作業を始めたものです。すると足元に素晴らしい地域の素材や文化、習慣があることがとても良く見えてきました。各地の日本人が昔から伝統的に受け継いできた祭りは氏神さまを大事に守り、自然に感謝し、五穀豊穣を祈ってきました。その何気ない欲のない生き方こそが日本を支えてきた生き方だということを宮本常一は生まれ故郷の山口県大島を起点に全国行脚して確認していき、膨大な著書と写真を残しました。しかしこれは一人の巨人の業績でした。
住民ディレクターは草莽崛起(そうもうくっき)、草の根活動で一人一人が「宮本常一」のように身近な環境に目をやりビデオカメラやスマホで写真だけではなく動画でも地域の暮らしを映し出し、一人一人の視点で表現していきます。しかも正力松太郎が生んだテレビの派手な部分も同時に持ち、住民のテレビとして全国、世界へ発信し続けてきました。
身近な何気ない暮らしを見つめた「宮本常一」とマスコミと言われる全国の視点で次々と流行を生み出す「正力松太郎」の二つの巨人の要素を草の根で全国ネットワークによって創造していく新しい文化運動が今、あさくら広域で全国に先駆けて起こっていることでしょう。この動きをダイナミックに伝えていくことが地域活性化(地方創生)の大きな要になると考え、20年前に熊本の片隅からスタートした「住民ディレクター」という地域おこし運動でした。
会議の終了5分前にこの話をさせていただきましたが、それは前半に篠崎さんがまさに朝倉の「宮本常一」である田中富美男さんという方が残された昭和30年代の写真を紹介してくださったことにはじまり、この日秋月小学校の子供達の住民ディレクター授業を提案してくださった皆さん、いやなが集落の村おこし、筑前の食の動きなど全部の企画に「宮本常一」的視点がぎっしりと詰まっていたのです。そしてわたしには昭和30年頃から今現在の約60年の日本の歴史が篠崎邸の住民ディレクター企画会議の席から走馬灯のようにくっきりと見えました。
*地域おこし協力隊募集!!2/5(金)締め切り