「知山知水」〜 修験者の山の知恵を復興に!!〜、という企画が生まれた背景をお伝えします。
材木や住宅資材を扱っておられる筑前町の(株)アサモクの青年社長多田さんがある時に「5年前と同じようなことがまた東峰村、朝倉市で起きかねないので、東峰村で何かできないでしょうか」と相談がありました。「5年前の豪雨水害の時、筑前町の山持ちの方々が水害で崩れた山を手放した結果、益々木々の手入れがされない山が増えて危険性が増した。今回の水害で東峰村や朝倉市でまた山を手放す人が増えると、先々さらに危険性が増すので山のことや木のこと、水のことを一般の皆さんに知ってほしい」、ということでした。どういうわけか?役行者(えんのぎょうじゃ)の本をお持ちでした。本の内容を簡単に言うと役行者を代表する行者、修験者たちは環境を守るために植樹していた。それが行者杉に成長し、今の水源涵養や環境保全につながっている。・・という話です。
わたしは東峰村に来た一つの理由に役行者や修験者の里に関心があったこともあり、その話を進めたいとおもい多田社長に即答しました。そして、この話を元に九州大学の三谷教授をチーフとする復興支援団の清野聡子准教授に話したところ、想定以上の反応がありました。生態工学専門の清野准教授は、人々、動物、植物をはじめ生命を育む工学、建設を創っていこうとされている方で、東峰村の復興にその発想を活かしていこうと、住民協議会で住民から出てくる話に深く耳を傾けておられました。
清野准教授から、「被災直後から、普段使われていない古道が全く崩れてなくて国道211が寸断されていた間も地元住民はその古道を行ったり来たりしていた」との話があり、わたしも近くに住む窯元からその話を聞いていました。被災直後から全集落をお見舞いと取材を兼ねて歩いてきたわたしは住民協議会で出てくる話のほとんどの現場が映像で見えてました。記録映像があります。「それを今こそ活かしていく時だ」、と直観しました。
このような経緯で多田社長、清野准教授、岸本の3人の目指す方向が一致し、形になったのが「知山知水」です。しかも住民の声を反映するためにも現場から出た話をできるだけ多角的にお伝えするために住民主体の本音トークを展開することにしました。多くの住民方々の出番を創っていきます。