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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

藤本義一さんとの「11PM」、お手本に

 中国での発見は改めて整理してシリーズで書くことになると思うが、今回の一番大きな発見は人間の内面の世界についてのことで、オリンピックを前に経済的な発展がすすむ反面、人間の内面で起こっていることがおろそかになっている印象が強かった。日本の高度経済成長時代に起こっていたことと近いのかもしれないがお国柄が違うので一概にはいえない。中国体験はペンを改めるとして、人間の内面ということを取り上げても藤本義一さんとの11PMは大きな意味を持っていた。
 水俣のことを3回書いたが水俣以外に天草の無農薬農業を目指す青年のグループも取り上げた。天草の山頂に近い約15haの農地(みかん畑の跡地で荒れていた)を買い、全国から青年が集まり、開拓から始めた15人ほどのグループだった。「朝やけ農場」と名づけられていたが実際はその農場からは夕焼けしか見えないという場所だった。代表の吉野晃氏は本人の話では20代で億単位のビジネスをし、金を稼ぐのはあきた。その金で地球を3週半する旅をしたことで新しいコミュニティを作ることを考え、熊本にやってきた。そして全国から同志を10数人集め開拓をスタート、無農薬農業を核にしたコミュニティ創造事業は最初から躓きっぱなしだった。県の農政部や農協からの理解を得られずいちいち足止めをされていた。それでも仲間の一人の縁で西武百貨店にカライモを提供したり、無農薬作物の宅配や詰め合わせを始めたりとアイデアはひっきりなしに打ち出していた。可能性も大きいが挫折するときのダメージも大きいと思っていたが番組時点ではとにかくとてもエネルギッシュな青年たちが新しいコミュニティを作るプロセスがダイナミックに展開され、自分のことのように通った。
 朝やけ農場の可能性は地元の農家や住民との交流がポイントだと当初から見ていた。区長さんと飲んだり、共同作業に出て、この辺も随分真面目にやっていたが、文化の差は大きく結構苦労していた。水俣の柳田氏と同じく代表の吉野氏は全国放送にも関わらずまったく怖(お)じないし、自らのビジョンを日常会話で大いに語っていた。藤本さんも吉野氏が同じ大阪出身ということもあってか、青年たちの夢に向かう姿に関西弁で暖かく突っ込んでくれた。
 そして、決して番組の司会ということやタテマエではなく本気で応援しているのが番組終了後の打ち上げでもよくわかった。一人の個人としてこの青年たちのチャレンジに真摯に応援する姿勢が伝わった。いろんな番組をやる中で、特にタレントさんたちの見せ掛けのお上手やヨイショは山ほど見ていたので、一緒に番組をやると大体そのタレントさんの普段の生き方がわかってきていたので、藤本さんには多くを学んだ。一番大事なのは藤本さんはタレントというよりも一人の人間が作家としては文字を書き、テレビに出ては映像で語り、日常は好奇心旺盛な中年だということだった。「テレビがありき」の人ではなかった。「生活ありき」の人がテレビにも出ている感じがして、テレビ業界での新しい出会いを感じたし、藤本義一さんはその後、熊本ローカル、全国放送に関わらず私が制作する「番組の制作する人」=司会、アナウンサーディレクター、カメラマン、出演者などのあり方としてモデルになった人だ。
 住民ディレクターが「生活ありき」の人がテレビに出て生活、地域をステージに語り、考え、提案する番組の制作主体になっていったのは藤本さんの11PMがの影響が大きかった。しかもよく言われるが地方の結構真面目な番組なのに(地方はドキュメンタリーが圧倒的に多い)バラエティ感覚なのは、11PMのバラエティ精神からも来ている。
 この時の経験がとても面白くためになったので、11PM第2作にチャレンジすることになるが、これはまたとんでもない番組になった。(つづく)
(写真は山江村のお杉ばあちゃん;杉本悟さん-バラエティ感覚で村づくり)

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