平成3年山江村の村おこしのスタートは総勢30人に余る村民と私たち村外者の合同夜なべ談義からスタートした。これだけの人間が集まると本音で語るというのはなかなか難しいのだが、私達もその気で村に入っているのでかなり突っ込んで話し合う。あれ以来、ポイントポイントではいつも内山村長と松本さんをメインに必ずとことん夜なべ談義をしてこれからどっちに行くのか?村はどうしょうとしているのか?村長自身がどっちに向かうのか?私は応援者として何ができるのか?松本さんは?と、侃々諤々、本当にあるときはケンカ腰でやりあう。この夜も、未明に近くなったら始まってしまった。
いつもそうだが、そういう頃には回りには人はほとんどいなくなっている。不思議と図ったように本音で話せる環境になって行くのだと感じる。そういう環境になるから話せるのか?という議論はあるが、やはりお互いの本音を突き詰めて行くうちにどうしても理解しあえないあるポイントにぶつかる。人間ひとり一人日頃の生きる環境、暮らしぶりは全然違うので当然理解できないことがいっぱいある。しかし、ある程度の時間を越えるとどうしてもそこがお互いの理解を深めるポイントだということが次第に明らかになってくる。
議論上はケンカ腰になっているのだが、身体の芯は昆虫のアンテナのようにその本音のありかを探している。探すためにどんどん過激になって行く。内山村長、、松本さんとは17年間こういう関係を築いてきたので、最後はきちっと終わる。きちっと終わらないと終われないのも夜なべ談義の暗黙のルールだ。不完全燃焼では身体によくないので夜なべ談義はトコトン出し尽くすまでやる。
住民ディレクターはいつも最終ラウンドはこの夜なべ談義で本質が表れる。時間にすると延々10時間でも話していることがある。しかし、日々日頃、常に村をどうするかを考え実践している村長や松本さんにとっては、これぐらいの時間の討論は序の口だ。だからこそ住民ディレクターは実践者の集まりだ。実践してないとここまで突き詰めることができないからだ。
しかし、最後はこの写真のとおり、翌日は神戸に3人で泊まって第2ラウンドだった。この夜は村長vs.松本さんも、激しいところまで行った。3日目の朝、松本さんは早朝から山江村に向かったので、朝食をとりながら再び村長と出発時間までやりあった。そして解決策が出た。これをやるかどうかはこれからの状況があるが、まずはやるべきことがこの3日ではっきりした。
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