殿(との)一行は、ネパールではカトマンズのホテルに投宿した。
カトマンズを出発する朝のことである。殿とご主人様がレストランで朝食のオーダーしていると、一組のネパール人家族が殿を訪ねてきた。
初老の婦人とその娘そして二人の息子の四人である。
「やー、久しぶりだな・・・。元気にしてたか。それにしても子供達はみんな大きくなって立派になった。かあちゃん良かったな」
秋田なまりの抜けない日本語で殿が話しかける。初老の婦人は日本語は分からないが、なんとなく意味はわかるようで、優しい笑顔で「ウンウン」とうなずいている。
殿はその家族にとって大恩人のようだ。
その婦人の夫は若い頃、ドイツやオーストリア登山隊のシェルパーをしていたが、その縁でオーストリア、ドイツそしてスイスへ出稼ぎに行き、その後アメリカへ渡った。
彼はその当時すでに結婚しており、妻と小学生の子供3人をネパールに残して、アメリカへやってきたのだ。子供達が成人するまで、出稼ぎをして生活費や学費を仕送りしなければならなかった。だが、自由の国アメリカに、彼はつてやあてなどなく、知り合いは全くいなかった。
元シェルパーのその男は、アメリカ大陸を流れ流れて、はるかにロッキー山脈を望む、大陸中西部のコロラド州デンバーにたどり着いた。そして殿と巡り会った。
見るに見かねた人情家の殿は、その後色々とその男の世話をすることになる。だが、その男はお酒が好きで、そして女が好きであった。まあ、大概の男はそうである。やがて家族への送金が滞りがちになった。
そんな元シェルパーを殿は叱咤激励した。
「お前が寂しい思いをしているのは良く分かっている。しかしなあ、ネパールには可愛い娘と息子達がいるのだぞ。優秀な子供達らしいじゃないか。お前がお金を送ってやらないと、将来のある子供達は学校へも行けなくなるぞ。それどもいいのか?」
それから、元シェルパーは寂しくなるとロッキー山脈を眺めた。その雄大な山々は故郷を思い出させた。世界一高く険しい山岳を、重い荷物をしょって登山隊と共に懸命に登ったあの頃を思い出した。そして、懸命に働いた。
それから20年、娘は大学を卒業して歯科医になった。長男も大学を卒業して大手コンピューター会社に就職した。そして現在大学生の次男は、ドイツへの留学が決まっているという。
また、夫からの仕送りを大事に貯金していた賢明な妻は、数年前にカトマンズに三階建ての自宅兼アパートを建てたという。
あの時、デンバーで殿との出会っていなければ、この元シェルパーの家族の人生はどうなっていたか分からない。
やはり、ニンゲン様の運命は神のみが知る不思議な糸に導かれているのかもしれない。
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