その後も、木刀おやじの夜の見回りは毎日のように続いたが、以前のように急襲されることはなかった。
おやじさんは、耕一の事を山本船頭に尋ねたらしい。
船頭から、耕一の人柄や仕事振りを聞き、悪い男ではないことが分かったようだ。
だが、木刀おやじは、子連れで一人暮らしをする我が娘が不憫で、夜になると心配になって毎日のように見回っていた。
そして、そのたびに耕一は屋根裏に隠れるのだった。
さて、耕一の海の仕事の事である。
春が終わり、夏が過ぎて、季節は秋になっていた。
秋は、北洋のサンマかメカジキが漁獲シーズンになる。
耕一は、別の船頭からメカジキ漁に誘われた。
当時のメカジキ漁は、沿岸漁業の花形であった。
大きなものでは全長4メートル、体重300kgとなり、鼻先に長いツノを持つ獰猛なメカジキを、3m余の長い槍を構えた精鋭ベテラン漁師が、船のへさきに立って高速で追うのだ。
右に左に全力で逃げるメカジキを、大きなエンジンを搭載した小回りの利く船で追い続け、タイミングを見計らって、その急所を狙い必殺の一投をする。
その漁法スタイルは、「突きん棒」と云われ、他の漁獲方法と比べれば圧倒的に迫力があった。
若い機関長の耕一は、そのメカジキ突きん棒漁に興味があったので、サンマ漁に出る山本船長の了解を得て、メカジキ漁の船に乗ることにした。
9月上旬、船頭とメカジキ漁経験のある漁師4人と共に千倉から汽車に乗り、船の出港地である福島の小名浜へ向かった。
現地で他の4人の漁師と合流して船に乗り込み、北海道沖の北の漁場を目指すことになっていたのだ。
小名浜の旅館で一泊した耕一達は、ラジオを聴きながら旅館の食堂で朝飯を食べていた。
そのラジオの緊急速報で、大型台風が日本列島に接近しつつあると報じた。
早ければ明日にでも、西日本に上陸する見込みとのことだ。
ごはんを食べていた船頭と耕一は、思わず目を合わせた。
「船頭、嫌な雲行きですね。北の海もこれから相当なシケになりますね」
「秋の漁はこれだから困るよな。しかしここまで来ちゃったんだから船を出すしかないだろう」
「そうですね・・・。今度の船は大きなエンジンを積んでいて、かなりスピードが出るそうですから、やばくなったら近くの港に緊急避難しますか」
「そういうことにしよう。船には無線も付いているから、台風情報もなんとか確認できるだろう」
秋になると、北からの親潮に乗って魚の大群がやってくるが、その時期は南から襲来する台風のシーズンでもあった。
漁師達は、台風襲来の合い間を縫って船を出さなくてはならないが、当時の気象分析状況は現在のように観測精度が高くない。
台風の進路なども、事前に予測することなどできなかった。
日本に上陸した台風が、日本海側に抜けるのか、あるいは日本列島を縦断するのか、それとも太平洋沿岸を北上するのか、それは台風に聞いてみなければ分からないのだ。
長年の経験から、雲の動きを知り、潮の流れを計り、風の匂いを感じることができる、船頭の勘だけが頼りなのであった。
漁師は、海に船を出さないことには仕事にならない。
魚が沢山取れる漁獲時期は、少々のシケでも危険を冒して船を出す。
他の漁師が船を出さない時に漁をして魚を取れば、市場の値は上がり高収入を得ることができるのだ。
「板子一枚、下は地獄」
と、漁師達は家族の生活のために、命懸けで海に船を漕ぎ出して行ったのだ。
朝食を食べ終えた耕一達は、急いで浜へ行き、出港の準備をした。
三陸の海は、まだ穏やかだった。
だが、後に「アイオン台風」を呼ばれる超大型台風はすぐそこまで来ていたのだった。
続く・・・・・。