(貴婦人)
ご主人様が初めて飛行機に乗り、初めて海外渡航してモスクワへ行ったのは39年前の24歳の時だった。
3月末のモスクワ・シェレメーチェボ国際空港は雪と氷の中にあった。
モスクワに着いたその夜、職場の人達が歓迎会を開いてくれた。
場所はプラハ・レストランというチェコスロバキア料理の高級レストランだった。
レストランへ入って行くと、店内は既にかなりの盛り上がりであった。
楽団(バンドというよりは楽団という雰囲気)が盛んにダンス音楽を演奏している。
店内中央のダンスフロアーでは既に多くのカップルがダンスを楽しんでいる。
ご主人様一行がテーブルに着いて食事を始めると、なんとそのテーブルの周りでもダンスが始まった。
ご主人様はそんなロシア人カップル達の賑やかなというか騒々しいダンス(フォークダンスのようなコサックダンスのような日本のレストランなどでは絶対踊らないダンス!)を眺めつつ、テーブルの上に所狭しと並べられたチェコ料理(ロシア料理に似ている)を、隣の上司に勧められるまま食べていたが、時差(日本との時差は6時間で現地時間は既に午前1時過ぎ)の影響で次第に頭の思考回路が鈍くなってきた。
おまけに歓迎の杯ということで、世にも名高いあのウオッカを数杯飲まされた。お酒に弱いご主人様はそれまでお酒をあまり飲んだことが無かったのだが、その日は主賓であるから「スミマセン、もうムリです、ゴメンナサイ!」などと弱音を吐くわけにはいかない。
ところが、ウオッカを飲んで頭がクラクラしてきたそんなご主人様の所に、一人の太ったおばさんが寄って来てささやいたのだ。
「宜しかったら、私とダンスを踊って下さいませんこと」
ご主人様はそれまでレストランでダンスなどというものを踊ったことはない。ましてやあのようなわけの分からないダンスなど踊れるはずがない。
断ろうとしてその太ったおばさんの顔を良く見ると、なんと鼻の下に薄く鼻ひげが生えているではないか。その鼻ひげのおばさんが、ニコニコしながら顔と身体を寄せてくる。
ウブなご主人様はパニックに陥りながら、助けを求めるように隣の上司の顔を見た。
「ここでは、女性に誘われたら断ってはならない。大変な失礼に当たる。しっかりとリードするのが紳士の務めである。さあ早くお相手して差し上げなさい」
などと言って、ワインの入った大きなグラスを美味しそうに傾けている。
ご主人様は観念してフラフラと立ち上がり、そしてその鼻ひげの婦人にリードされながらダンスを踊り始めたのであった。
ご主人様の運命や如何に!
続く・・・・・・・。