クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ーカフェ・アカネ

2014-08-30 19:06:45 | 物語

「コウちゃん、今度はどこへ行ってきたんだい?」

カウンターの向こうで、おかみさんがコーヒーを入れながら耕一に尋ねた。

「北海道の釧路へ行ってきました」

「クシロ! ・・・・・まあ随分と遠くまで行ったもんだね」

「えぇ、海が荒れて、向こうへ着くまで1週間かかりました」

「そりゃぁ、大変だったねぇ・・・。あっちは魚の他には何にもないだろう」

「まあね・・・。北の果てですからね・・・。でも人情の熱い人が多くて、みんな親切にしてくれました」

「そうかい、わたしゃ、これからも北海道なんていうところへ、行くことはないと思うけど・・・・」

そう言いながら、おかみさんは入れたてのコーヒーを耕一のテーブルに運んできた。

 

 

耕一は白いコーヒーカップを持ち上げ、ブラックで一口飲んだ。

しかしそのコーヒーは、コーヒー豆から作ったコーヒーではない。松葉を煎じて作ったコーヒーもどきのコーヒーであった。

その当時、本物のコーヒーは、ホテルなどの高級な喫茶店に行かなければ飲めなかった。場末の喫茶店で飲めるコーヒーは、そのような安い代用品であった。

しかし、それでもなんとなくコーヒーの香りがし、コーヒーの味がし、そしてコーヒー色をしていた。とりあえずコーヒーを飲んだという気分にはなった。

耕一がそんなコーヒーをゆっくりと飲んでいると、先客の男が立ち上がって耕一の側へ来た。

「おにいちゃん、そこへ座っていいかい?」

「・・・ええ、どうぞ」

「おにいちゃんは、釧路へ行ってきたのかい?」

「ええ、そうですけど・・・」

「わしは、つい最近まで釧路の炭鉱で働いていたのよ。落盤事故に遭って足を少し痛めてな・・・。そしたら、お前は使い物にならないって言われて、それでそこをクビになって、本土に渡ってきたのよ」

「・・・・・・・・」

「釧路はどうだった? もうだいぶ寒かっただろうな・・・・」

「ええ、山の木はもう紅葉が始まってました。地元の人は、後1ヶ月すれば雪が降るって言ってました」

「そうか・・・。もうそろそろ雪が降るか・・・。ところでお前、春樹ていう名前の男を知らないか?」

「春樹・・・・」

「そうだ、春樹だ。背が高くてかっこいい奴だ。ゼロ戦に乗っていたんだが、運よく生き残って戦地から帰ってきた。今は横浜にいるらしいんだがな・・・・」

「あんたは、その春樹さんとどういう関係なんですか?」

「あいつは俺の弟だ。兄弟でも一番出来が良くてな。おふくろの自慢の息子だ。おふくろが、ひと目会いたがってる。おふくろはもうあまり長くはない・・・・・」

「その春樹さんなら、さっき根岸屋で会いましたけど・・・」

「根岸屋! あの伊勢佐木町の根岸屋か?」

「はい・・・・」

「まだ、そこにいるのか?」

「いえ、なんだか仕事があると言って、すぐ店から出て行きました」

「そうか、ありがとう」

 

 

その男は、そう言うと、カウンターにコーヒー代を置いて、慌てて店から出て行った。

びっこを引きながら、わき目も振らず・・・・・・。

 

 

続く・・・・・・ 

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耕一物語ー遊郭

2014-08-29 19:52:45 | 物語

根岸屋で腹ごしらえし、ほろ酔い気分になった愛友丸の仲間は、そのあと、真金町(まがねちょう)へ向かった。

秋の心地よい風が、夜のヨコハマの街に吹いていた。

彼らが向かった真金町は、横浜でも指折りの遊郭の街であった。いわゆる赤線地帯である。

その頃の日本の赤線地帯で、最も賑やかだったのはおそらくこの真金町であろう。

真金町の遊郭にやってくる客は、主に横浜港に寄航する船舶の船員達や、駐留軍関係施設で働く日本の男であった。

その頃の船乗りは愛友丸のような闇船に乗っている者が少なからずおり、彼らの実入りは多かった。現金収入もあるが、それ以上に闇物資の現物収入もそれ以上に多い。駐留軍関係で働く男達も同様であった。

そんな彼らは、馴染みになった女の機嫌を取るために、横流しや闇で手に入れた物を持って通うようになり、上客として大いにもてはやされたものだ。

 

 

ところで、落語家の桂歌丸が生まれ育った所は、その真金町の遊郭(祖母が妓楼の富士楼を経営)である。戦後の幼少の頃の思い出話を、先日のラジオ放送で彼はこんなふうに話していた。

「戦後間もない頃、私は小学生だったが、お米の弁当を持って学校へ通っていたのは、クラスで自分一人だった。他の子供達はサツマイモだのジャガイモだのの弁当だった。

昼食の時間になって、私がお米の弁当と玉子焼きなどを食べ始めると、担任の先生がじっと私の方を見て『いいなぁ・・・・・』」と感に堪えぬように呟いた。

家に帰ってその事を母に話したら、翌日から、朝私が学校へ行く時に、『これを先生に渡しなさい』と言って、私に紙袋を手渡すようになった。

学校へ行く途中でその中を見たら、チョコレートだったり、洋もく(アメリカのタバコ)だったりした。遊郭に来るお客の船員さん達が、沢山の横流し品を持ってきてくれたので、我が家では、戦後の食糧難を経験することは全くなかった」

そのようなことを歌丸が面白可笑しく話していた。

横浜の、そのような所で育つと、あのような風情の男が出来上がるらしい。

 

そんな闇経済で賑わう真金町遊郭に来た愛友丸の仲間は、それぞれに馴染みの女がいるらしく、「それじゃ、また後でな!」とお互いに言い合って、姿を消して行った。

まだ馴染みの女がいない耕一は、どうしたのだろうか・・・。

耕一は、アカネという喫茶店へ向かった。

アカネのコーヒーが飲みたくなったのだ。

「こんばんは・・・」

耕一が店のドアを開けて中に入ると、ソファーに座って新聞を読んでいる先客がいた。

「あら、コウちゃんいらっしゃい! 久しぶりだわね」

カウンターの中から、中年のおばさんの元気な声がした。

「おかみさん、いつものコーヒー下さい」

耕一はそう言って、空いているソファーに座り、タバコに火を付けた。

 

 

 

続く・・・・・・

 

 

 

 

 

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耕一物語ー根岸屋の男

2014-08-28 17:31:48 | 物語

根岸屋のビーフカレーはとても美味しかった。

じっくりと煮込まれたビーフの塊が、口の中でトロトロと、とろけた。

《こんなに旨いものがあったか!》

耕一は夢中でカレーをほうばった。

カレーを食べながら、満席の店内の様子をぼんやり眺めていると、サングラスをかけた長身の男が店に入ってくるのが見えた。ダブルのダークスーツを着たその若い男は、大股でゆっくりとこっちへやってくる。

ダークスーツの男の後から、二人の男が辺りをうかがうように付いて来た。

耕一達が座るテーブルに近づいたその男は、サングラスを取ると、にっこり微笑みながら言った。

「松兄(まつあに)い、お久しぶりです」

「おう、なんだ春坊じゃないか」

カレーを食べる手を休めて、松さんが言った。

「松兄い、その節はお世話になりました。お陰様で、ワシの首もつながりました」

「ああ、あの時はお互い大変だったな・・・。しかし、それにしてもお前、一段と男を上げたようだな」

春樹に従う二人の若い男を見ながら、松さんはそう言った。

 

 

耕一は、春樹というその男に見覚えがあった。

しかし、どこで会ったのか思い出せない。

《あの爽やかな男の横顔を、どこかで見たことがある・・・・・》

必死で思い出そうとするが、どうしても思い出せない。

その時、スミさんがオンザロックのグラスを運んできた。

「あら、春ちゃん、いらっしゃい! 今夜はゆっくりしていって下さいな」

「お姉(あねえ)さん、済みません。これからちょっと野暮用がありやして今夜は長居できんのです。 松兄いが店に来ているって聞いたもんで、ご挨拶に伺いました。また今度ゆっくり参ります」

「そうか、お前も色々と忙しいのじゃろうな。まあ身体には十分気を付けて、しっかり頑張んなよ」

「有難うござんす。松兄いもお達者で」

そう言うと、春樹は二人の子分に目配せし、ゆっくりと出口に向かって歩いて行った。

その時、 「アッ!」と、耕一は思わず声を上げそうになった。

思い出したのだ。

《そうだ、あの時、茹でたジャガイモを俺にくれた特攻隊あがりの男だ・・・・》

あの時彼は、特攻隊の白いマフラーをして、おんぼろトラックを運転していた。その彼が、今は上等なスーツを着こなして、子分を従え、肩で風を切って夜の伊勢佐木町を闊歩している・・・・。

  

 

耕一は、カレーを食べるのも忘れてその男の後姿を見つめていた。

 

 

続く・・・・・・・

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耕一物語ー伊勢佐木町の根岸屋

2014-08-27 20:13:22 | 日記

戦後の横浜の繁華街・伊勢佐木町に根岸屋という店があった。

飲んで、食べて、踊って、騒いで・・・・

大衆食堂と大衆酒場とダンスホールを一緒にしたような、騒々しくも賑やかな店だった。

もとは進駐軍相手にオープンした店らしいが、その後は外国人船員や港湾労働者あるいは日雇い労働者なども来るようになり、かなり怪しい雰囲気の店となって行く。

後年、あの黒澤明監督が、『天国と地獄』という映画の中でこの根岸屋を使っている。ヤクの密売の舞台としてその根岸屋が登場するのだ。

黒澤が、「日本中で最もいかがわしい酒場を見つけてこい!」と号令を出して、白羽の矢が立ったのがこの根岸家だったという。

 

 

 

港町ヨコハマのそんな店に、愛友丸の男達も通って来た。

店の外壁には「INTERNATIONAL RESTAURANT NEGISHIYA」と書かれた大きな看板が掛けられていた。

店の中に入って行くと、奥の小さなステージでジャズバンドが静かな曲を奏でている。

天井には大きなミラーボールが妖しく輝いていた。

店内中程のテーブル席に松さん達が座ると、店を切り盛りしている女主人が明るく声をかけた。

「あら、松ちゃん、お久しぶり。いつハマに戻ったのよ」

「やあ、スミさん。相変わらず繁盛しているね」

「ええ、お陰様で。でも最近は色々とややこしい話があるのよね」

「そりゃそうだろう。ややこしい世の中なんだからな」

「アハハハーーーー。ところで松ちゃん、今日は何を食べるの?」

「そうだな・・・。牛肉たっぷりのカレーでも食うかな。後でウイスキーをロックで持ってきてよ。おい、みんなは何にするんだ?」

「俺もそれで良いよ」

健さんがそう言うと、他の仲間もみんな同じカレーとウイスキーになった。

 

奥のバーカウンターには、短いスカートをはいたスタイルの良い女が、長い足を組んでタバコを吸っているのが見えた。外人のような派手な格好をしているが、日本人のようだ。

その女をはさむようにして、進駐軍の兵隊らしい若いアメリカ人二人が、ジャズのリズムに合わせて身体を揺らしている。

バンドの音楽がアップテンポなジャズになっていた。

 

 

「これがヨコハマの夜か・・・・」

初めて見る店内のその光景に、耕一は心の中で思わず呟いていた。

 

続く・・・・・・・ 

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耕一物語ー闇舟生活

2014-08-25 23:21:43 | 日記

生麦沖で愛友丸に積まれた進駐軍闇物資は、静岡の焼津で降ろされた。

そして、その後の愛友丸の航海は至って順調であった。

北は北海道の函館や釧路あたりまで行った。北海道へは進駐軍の横流し物資を運び、帰りは北洋の海産物で船倉は一杯になった。

東北の塩釜、釜石、気仙沼あたりでは主に闇米を積み、降ろすのは生麦や追浜(三浦半島)など東京に近い港であった。

耕一は愛友丸の仕事を一生懸命やったので、機関長に信頼され、健さんや他の仲間にも可愛がられた。

やがて、一航海が終わるたびに機関長から給料を貰うようになった。

その給料の札束は、耕一が仕事に慣れるにつれ、次第に厚くなって行った。

半年後には、普通の勤め人がもらう給料の10倍以上の額を貰うまでになった。

「こんなにもらって良いのだろうか・・・・・」

最初、耕一は少し不安になったが、そんな気持ちは次第に消え、財布の中に札束が沢山入っているのが当たり前になって行った。

 

 

そんな耕一であったが、夜になると明子とのあの夜のことを思い出した。会うのが待ち遠しくてしかたがなかった。船がどこかの港に着くたびに、その想いを手紙に書いて明子に送った。

たくさんのお土産を抱えて耕一が明子を訪ねて行くと、彼女はいつも耕一の好物の茶碗蒸しや肉じゃがを作って待っていてくれた。そして一緒に風呂に入り、お互いの身体を洗いあった。

だが、二人の甘い夜はいつもあっという間に過ぎ、次の港へと愛好丸は慌しく出航した。

 

しかし、横浜に近い生麦や追浜に寄航した時は、船長は、4、5日そこで船を停泊させることがあった。

船長は横浜に家族が住んでいたので、そこへ帰る必要があたのだ。

そんな時は、当直を船に残して、みんな陸(おか)に上がる。

そして、海の男達は船旅の疲れを癒すため横浜の歓楽街へ遊びに行った。

その当時、野毛山界隈には金持ちが遊ぶ花街が復活しつつあり、また真金町や黄金町地区には庶民が遊ぶ遊郭なども整備されつつあった。

愛友丸の男達は、札束で膨らんだ財布をポケットに入れて、意気揚々と横浜の花街へと繰り出して行ったのだった。

 

 

続く・・・・・・ 

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