里山のお地蔵様
ご主人様は頼朝伝説、頼朝伝説と、少々しつこい気がするが、今日はこの里山に伝わる本当(?)の頼朝伝説についてお話したい。
頼朝が高宕山の観音様に必勝祈願のお参りをしたことは既にお話した。
その高宕山に登る際に、この里山を通ったこともお話した。
そしてその時に、里山の者が頼朝の馬の世話をしたこともお話した。
さて、頼朝伝説を書いた本に、高溝の鐙摺(あぶみずり)という話がある。
頼朝は平家勢の攻撃から身を守るため、高宕山に登る際は表の道は通らず、人目を避け裏側の細い山道を馬に乗って登った。
高溝の里のその山道は細く険しい道であった。
その細く険しい山道を登る頼朝とその一党の馬の鐙(騎者の足をふみかける馬具)が、迫る崖の岩肌に擦れ、「ガリッガリッ」と山間に響いた。
それほどの狭い山道であった。
折りしも、降りしきる雨の中を、頼朝とその一党はわき目もふらず山頂の観音堂を目指したという。
これが頼朝の鐙摺の伝説である。
さて、これからが本題である。
高宕山に登るその前夜、頼朝は高溝の里で一夜を過ごした。
その家は山道にさしかかる所にあった農家である。頼朝はその家のあるじに馬の世話を頼んだ。
家のあるじは誠心誠意、頼朝のお世話をした。
その家にサクラという娘がいたかどうかは定かではない。
頼朝は、旅立ちの朝、お守りとして持っていた十二観音の小さな彫り物を、一通の書状と共に世話になったあるじに渡した。
その十二観音は兜(かぶと)の正面に付けるお守りであった。
そして、しのつく雨の中、頼朝は高宕山に登ったのである。
頼朝から賜った十二観音のお守りは、家法として先祖代々大事に大事に受け継がれてきている。
そんな家がこの里山にある。
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