クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー横浜愚連隊四天王

2014-09-02 17:24:57 | 物語

その頃、神奈川地域で暴れていた愚連隊グループはいくつかあったが、その中でも出口辰夫(通称モロッコの辰)、林喜一郎、吉水金吾、そして井上喜人をリーダーとする四グループが派手な動きをしていた。

戦後の焼け跡に残された、いわば呆然自失状態の都会の若者達は、有り余るエネルギーのはけ口を求めて、そんなリーダーの周りに集まってきた。各グループは次第に勢力を増し、リーダーの四人はやがて「横浜愚連隊四天王」と呼ばれるようになった。

 

 

モロッコ辰については、その世界では知らない人はいないであろう。かつて柳葉敏郎が主演した「横浜愚連隊物語」という映画の中で、彼がこのモロッコ辰を演じて話題になった。

そのモロッコ辰と肩を並べて、横浜の街を闊歩していたのが林喜一郎である。林グループの縄張りは、伊勢佐木町界隈であり、ある意味では最も目立った存在であったかもしれない。

 

林喜一郎は、戦時中、兵役で満州へ渡った。その後、大陸(華中)を転戦し、昭和20年の終戦時、彼は上海で八路軍(中国国民革命軍第八路軍)に捕らえられ、その後捕虜生活を送る。

昭和22年に帰国した林は、愚連隊となって伊勢佐木町界隈で暴れまわるようになった。

その頃の彼の有名なエピソードとして次のような話が残っている。

『伊勢佐木町で「一六縁日」が開催された時、林喜一郎は、的屋(テキヤ)と喧嘩になった。林は縁日を潰すため、境内にあった大事なお地蔵様に体当たりし、そのお地蔵様を撥ね飛ばした。結果、縁日は大混乱となった。

その後、横浜市野毛の的屋・日野盛蔵が、地元を仕切っているヤクザの鶴岡政治郎総長(鶴岡組)に、その件を報告し、林が暴れるのを注意するように頼んだ。鶴岡総長は、林に、「一六縁日」での行為を咎めたが、林は鶴岡政次郎の注意を無視し、行動を改めることはなかった』

その件以来、林は関東のヤクザ(稲川組など)に一目置かれる存在になったという。

兵隊として満州に渡り、敗戦によって毛沢東率いる八路軍の捕虜となった林は、生きて日本に帰れると思っていなかったのではないか。そんな経験をした男にとって、世の中に怖いものなどなかったのであろう。お地蔵であろうと仏像であろうと、何でも倒してみせたであろう。

 

 

林はしかし、そんなふうに暴れていたばかりではない。夜のビジネスもやっていた。

進駐軍相手の「パンパンハウス」(売春宿)である。こっちの方はかなりの稼ぎになった。

しかし、このパンパンハウスの経営は、四天王の一人・吉水金吾と、後にその縄張りを争って騒動を起こすことになる。

 

そんな林の下で、春樹は三番弟子として動いていた。 

 

続く・・・・・・・

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2 コメント

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お米 (夏雪草)
2014-09-03 05:44:09
おはようございます。
昨日は続きが気になりながら、
睡魔には勝てませんでした^^;

愚連隊という言葉、
懐かしいというのか、
戦後ならではのものだったのですね。

稲を干している風景が、
とても懐かしいです。
最近は刈り取った後の
干しているところを見ていないです。

竹林のこと、
実際はそうなのですか。
危ない危ない、
私、近くに竹林があったら、
逃げ込むところでしたよ。(笑)

ありがとうございました。
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睡眠不足にご注意 (里山のクロ)
2014-09-03 09:39:44
夏雪草さん

いつも有難うございます。

夏雪草さんのブログはとても素晴らしいので、毎日、UPされるのを心待ちにしている一人ですが、お仕事をされながら毎日あれだけのものを書かれるのは、とても大変なことだと思います。人間業(わざ)とは思えませんよ。
拙者が初訪問した時の感動はそのまま続いています。
愛読者の方から、たくさんコメントも入るので、そのお返事を書くのも気になるし・・・・。
嬉しい悲鳴というところだと思いますが、どうか、どうか、睡眠不足にならないように、くれぐれも御自愛下さい。

と言いつつも、拙者も貴女のブログを励みにして、毎日チャレンジしている一人ではありますが・・・・。
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