*中国共産党政権の極悪非道*医薬保政複合体*シンプルで有効な小学生作文指導法*中国崩壊*反日の原点・鄧小平と朴正煕*

*中国共産党政権の極悪非道*いつ中国は国家崩壊するか*ヤクザ組織・国家への対処法*なぜ日本にテロが無いか*北朝鮮問題*

前川文科省前次官と読売新聞と表現の自由

2017-06-24 20:05:47 | 時事問題

 前川文科省前次官と読売新聞の対応

「表現の自由」を理解していない日米の“多数の”マスメディア

Freedom of expression exists to criticize political powers, not to criticize those individuals who commit adultery.

 前川喜平前文科省事務次官は、加計学園の獣医学部新設計画をめぐる記録文書を公開し、5月23日に記者会見を開いて首相官邸の関与、圧力を明らかにした。これに対して、前日の22日、読売新聞朝刊は「前川氏が出会い系バーに繁雑に出入りするような人物であった」という趣旨の報道をした。他のメディアやジャーナリストは読売新聞が政府の意向をうけて、前川氏の人間としての信用性を失墜させる目的で、週刊誌や三流新聞ならともかく、大新聞がこのような報道をしたのだと反応した。

 表現の自由は、基本的に、個人の不倫や不祥事をあばくために存在するのではなく、小さなものが大きな組織を批判するために存在する。つまり、個人が小組織を、小組織が中組織を、中組織が大組織を批判するために存在する。もちろん、個人が大組織を批判するためにも存在する。もっと分かりやすく組織を限定して言えば、「表現の自由」は“政治権力”を批判するために存在する。このことを日本だけではなく、欧米のマスコミも理解していないと私は考えている。

 5月22日の読売新聞の前川氏に対する報道は、みずからを貶め、みずからが三流新聞であることを告白する行為であった。しかし、私は日本の大新聞をはじめとする(いわゆる一流とされる)マスメディア(もちろん、NHKも含めて)が「表現の自由」を本当に理解しているのかどうか、疑問に思うことがよくある。

 日本国内での最大の(権力)組織は日本国政府である。その最大組織の政府から流れてくる情報をよく吟味して、良いものは良いとして認め、悪いものは悪いとして批判することが大切である。が、無批判に政府情報を垂れ流すことが最近は増えているのではないだろうか。もし、悪しきものを無批判に垂れ流すなら、そのメディアは政府の広報機関であり、視聴者や読者から金を徴収するのはやめて政府から金をもらうべきだ、ということになる。

 ここで注意しなければならないのは、日本政府よりも大きな組織がある、ということである。

 それは、米国であり、中国である(ロシアを含めてもよい)。この大組織と日本が対峙したとき、日本のマスメディアが米国や中国の立場に立った情報を垂れ流すことが希でなくある。米国も中国も日本のような他国には甘い“お人好し”政権ではない。とくに、米国は巧みにあらゆる点で日本をコントロールしているように思われる(最近は[昔からもあったことであろうが]露骨に日本政府がマスコミを使って個人を攻撃するようだ。日本国民に対しては“お人好し”ではないようだ)

 米国と日本の間で対立が生じたとき(日本の立場に分がある場合でも)、日本のマスコミは大組織の米国を批判するのではなく、日本の対応を批判することがある。このような場合は、大組織の米国を批判し、日本政府を擁護すべきである。米国よりは日本の政府の方が批判しやすいのか、それとも米国が巧みに日本のマスコミをコントロールしているのか。

 中国との場合でも、対立する場合には、日本のマスコミは大組織の中国を批判すべきである。しかし、私から見て、小組織の日本を擁護せず、大組織の横暴に沈黙していることがよくある。最近の日本人“スパイ”勾留問題にしても、“何もできないように見える政府”に成り代わって、マスコミが大組織の中国を批判する勇気を示すことはできないのだろうか。政府と同じく、何も言わないならば、中国の新聞が政府の意向通りの記事を書いているのと大差ないことになる。時には、政府が言えないことも、政府に成り代わって、発言することがあってもいい。

 日本のマスメディアは、「表現の自由」は、“小”が“大”を批判するために存在するということを肝に銘じて報道にあたってほしい。大が小を批判する権利ももちろん存在するがこの場合は権利の行使に慎重を期さなければならない。マスメディアは常にできるだけ多数の日本国民の幸福のために「表現の自由」「報道の自由」を行使する使命がある  (2017年6月24日記、6月26日追加修正)

 ※「表現の自由」について私のつたないホームページにもっと詳しく日本語と英語で述べています。興味のある方は参照していただければ、と思います。

  日本語 http://www001.upp.so-net.ne.jp/itnagaitHP/#う

  英語  http://www001.upp.so-net.ne.jp/itnagaitHP/#ま


IoTをどのように翻訳するか-「対物インターネット」

2017-06-20 20:44:23 | 時事問題
コンピュータ、インターネット関連用語の漢字翻訳

“IoT”をどのように漢字翻訳するか


 日本人は、幕末から明治にかけて西洋の社会学、経済学、哲学、科学の用語を日本語に翻訳するときに漢字を用いて、漢字の本場の中国には存在しない新しい言葉、つまり、「和製漢語」を大量に創り出した。これらの「和製漢語」は日清戦争後、日本にやって来た中国人留学生によって中国に逆輸入された。そして、その語彙は中国の変化、近代化に少なからず貢献した面がある。中国で最初に出版された『共産党宣言』は、日本語版(堺利彦・幸徳秋水共著)から今は亡き元上海復旦大学学長・陳望道氏によって翻訳された。また、中国人留学生は日本の自然科学や社会科学の書物や教科書、また、小説も貪欲に翻訳した。これらの書物には英語、独語、仏語などの西洋語からの翻訳語が多数ふくまれていた。
 それらの漢字語彙は、私たち日本人が日本製(和製漢語)だと自覚していないものが大多数である。次の言葉はすべて明治期に日本人が西洋語の翻訳を通じて創り出した和製漢語であり、現代中国語に定着しているものである。
文化、文明、民族、思想、法律、解放、闘争、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、社会、社会学、経済、経済学、物理、物理学、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義、人民、共和国

 「共産党 幹部 指導 社会主義 市場 経済」 という文はすべて和製漢語語彙でできている。
 これらの和製漢語の中には、もともと、古典の中にすでに存在しているが、英語などの西洋語を翻訳するためにあてられた語と、まったく新たに創り出された語の二種類がある。
 文化(学問、教育によって人民を導くこと)、文明(学問や教養があって人格がすぐれていること)は古典に出てくる言葉で、括弧内のような意味を持っているが、これを、現在私たちが用いている文化(culture)、文明(civilization)の意味、つまり、括弧内の英語の訳語としたのは明治時代の翻訳者である。civilizationを「文明」という漢字で翻訳したのは夏目漱石とされている。
 また、日本で英語の翻訳語として創られた「哲学(philosophy)」や「科学(science)」などは漢語には存在しない、日本独自の和製漢語である。そして中国に逆輸入されたのである。
 とにかく、明治の先人たちは苦心惨憺して、西洋の学問、文物を理解・吸収するために日本語や漢語にその概念が存在しないか、あったとしてもそれを表す適切な言葉がない英語(などの西洋語)の言葉を翻訳したのである。それらの和製漢語語彙が中国に導入され、中国が西洋の学問、思想を吸収するのに大いに貢献した。中国人にとって日本からの語彙は漢字で構成されており、大まかな概念はすぐさま捉えられたはずである。時間空間も英語のtimespaceの翻訳語として日本で考案され、中国でも使うようになったのである。学問をするものにとって、英語のままで言葉を理解し、自分のものにすることは可能であるが、が、それは後継者のその学問の追究に寄与しない。後継者は一から英語を理解しものにしなければならない。膨大な時間のロスになる。
 「マウスをクリックするとパソコンがフリーズします」というような文がコンピュータ関連の世界では当然のごとく横行している。用語を日本語に翻訳するという姿勢がみじんもみられない。英語の用語の翻訳に心血をそそいでいた明治時代の先人がこの文を見たら、卒倒してしまうかもしれない。
 それでは明治の偉大な先人にならって私も気になっているパソコン、インターネット関連の言葉を漢字を使って日本語に翻訳してみたい。
 その言葉とは、“IoT”である。
 IoT“Internet of things”の省略であるから、その意味は直訳すると「物のインターネット」である。が、これでは何のことかまったく想像がつかない。「インターネット」はあまりにも普及していて理解している人が大多数だと思われるので、いちおう、そのままにして、「物の」の方であるが、これでは明治の先達に笑われる。もう少し、実態をよく考えて人々が理解しやすい意訳をする必要がある。
 IoTの簡単なイメージは、たとえば、暑い日に、会社から帰る際に、家に到着10分前には、居間のクーラーには電源が入っており、風呂にはすでにお湯が入っていていつでも入浴できるようになっているようにインターネット回線を使ってクーラーと風呂のスイッチ関係を遠隔操作するということである(注1)。
 そうすると、これはクーラーや風呂といった「物」を操作、操縦することであるから、「繰物インターネット」という訳語が考えられる。が、私には「操」と「物」の結びつきがしっくりこない。「インターネット」自身にすでに「インターネットをする」という語感があるので「対物インターネット」としたらどうだろうか。「物に対してインターネット(を使って操作する)」という意味合いがかなり出ているのではないかと思う。 “IoT”というような無味乾燥な英語の略語を使うより、はるかに優れているのではないだろうか。
 インターネットはすでに日本語の中に定着しているが、漢字を用いて日本語に翻訳するとどうなるだろうか。中国語の翻訳はどうなっているかということであるが、台湾式と大陸式の二種類がある。
  インターネット: 台湾式…網際網路   大陸式…因特網
インターネット(Internet)の語源は“international network” である。直訳すれば、「国際(international) 網(network)」である。「コンピュータによる国際的な網の目の結びつき」である。網際網路は意訳であり、因特網は「音訳+意訳」である。これらを利用してもいいのだが、明治の先達は西洋の学問の用語をほぼすべて漢字を用いて意訳し、それらの訳語の多くは中国に“輸出”され、毛沢東も周恩来も「経済(学)」や「社会(学)」や「哲学」や「共産主義」や「階級」という日本から移入された言葉を用いて、共産主義中国の建設に邁進したのである。したがって、遅すぎるのであるが、中国人も採用したくなるような訳語を考えてみたい。
 インターネットに対して考えられる訳語としては、
   国際網、国際電網、世界網、世界電網、万国網、万国電網 
などが考えられる。「電網」と「電」を入れたのはコンピュータを「電脳」と中国語で意訳しているのでそれを利用しているのである。「万国電網」は「万国電脳網」の略語であり、さらに略すと「万国網」になり、もっと略すと「万網」となる。
 
※internationalの訳語は今は「国際(の)」となっているが、最初は「万国(の)」も用いられていた。international exposition は「万国博覧会」と翻訳された。internetを「国際網」と訳すと、その省略が「国網」となる。「万国網」と訳せば、省略は「万網」となり、「国網」より意味がとりやすい。

 「小雨」は音読みで「ショウウ」、訓読みで「こさめ」である。漢字(の熟語)に“英語音”を与えたい。「音読み=中国語音読み」であるから、新たに“英語音読み”を設定するのである。
                      インターネット
  万国電網…インターネット→英語音読み  万 国 電 網 
                     ばんこくでんもう
  万国電網…バンコクデンモウ→音読み  万 国 電 網
そうすると、
                  インターネット
  IoT…対物インターネット→対物 万 国 電 網
ということになる。「万国電網」が定着すれば略語の「万網」を使って、
       インターネット
  IoT…対物 万 網
というようになってもよいだろう。「万網=インターネット」がさらに定着すれば「万網=インネ」のような縮約が起こっても良い。ともあれ、
      インターネット
  IoT…対物万国電網、または、対物インターネット
を現段階で訳語として提案したい。
 ついでに、先に出した「マウスをクリックするとパソコンがフリーズします」という文も漢字と英語音を使って、カタカナ語の排除をやってみたい。
  
マウス=鼠器(マウス、ねずみキ)  ※中国語では、滑鼠(台湾式)、鼠標、鼠標器(大陸式)となっている。「ねずみキ」は訓と音の混ざった、いわゆる「湯桶読み」である。
クリック=指打(シダ、ゆびうち)  ※中国語では、点击=点撃。
パソコン=電脳(デンノウ)   ※中国語で、パソコンは電脳。
フリーズ=固止(コシ)   ※「枯死」と同音で意味も似ている面がある。
    *[電脳を除いて、鼠器、指打、固止は私の造語]

 そうすると、原文は、
鼠器(マウス)を指打(シダ)すると電脳(デンノウ)が固止(コシ)します。または、鼠器(ねずみキ)を指打(ゆびうち)すると電脳(コンピュータ)が固止(コシ)します。 (注2)

となる。「マウス」はコンピュータを知っている人には定着しているので「英語音読み」で良いと思うが、はじめてコンピュータを学ぶ漢字をよく知っている老齢者には「鼠器」で「ねずみキ」か「ソキ」という読みをつける方が理解がしやすいと思う(が、そのような試みがなかったことは残念である)。
 今、私は明治の先達にならって、インターネット関連用語に漢字による翻訳をやってみた。“しんどい”面もあるが、けっこう面白い。インターネット用語をよく知っている人に、漢字訳に挑戦してもらいたい。中学生や高校生がやれば、漢字の意味と、音読み、訓読み、英語音読みと格闘することになり、知力アップゲームではないが、格闘者の知力を大きく高めることになるのではないだろうか。そして明治期の先達のように中国に輸出できるほどのものを創ってほしい。
(2017年6月14日記)
 
(注1)世界は善意の人間だけがいるのではない。世界のどこからでもハッキングできるので、ハッカーが留守中の家のインターネット回線を乗っ取り、ガスのスイッチを入れたままにしたら火事が発生することになる。よく考えないと恐ろしいことが起こる。世の中には悪意の人間もいる。サイバーテロで国家の機密を盗む、企業の秘密を盗む、銀行から金を盗む、などのことが起こっており、大きな問題となっているが、まだ、直接的な死者は出ていない。しかし、「対物インターネット」で多数の家に火事を起こし、都会に大災害をもたらす可能性がある。現段階(現代の人類の倫理レベル)で「対物インターネット」は危険なものとなる恐れが高い。

(注2)二十数年前に、プロの映画の字幕翻訳者を目指す人と話す機会があった。まだ見習いの段階の人であったが、映画のスクリーン画面にはめ込む関係で、一つのシーンに対して翻訳文の字数制限があり、そこが難しいということであった。名訳をしようとしても字数が超えるとダメになるとのことだったので、「漢字にふりがなをつけた場合はどうか」という私の質問に、「漢字の字数だけがカウントされ上のふりがなはかまわない」ということだった。漢字の熟語に少しくらい合わなくて「ふりがな」をつけて思い通りの字幕訳にしたらどうか、なんなら、その熟語も自分で創ったらと提案したことがあった。漢字の熟語に音読み、訓読み、英語音読みをつけることは、翻訳にも応用できる。

※インターネット、コンピュータ関係の用語を日本語に翻訳するのはかなり難しいと思います。「mouse」を「鼠器=マウス、ソキ、ねずみキ」としましたが、「鼠」のような画数の多い 普段は用いない漢字は使わない方がよいと思っています。英語のコンピュータ用語 mouse は「ネズミ」という即物的な意味の言葉です。日本語に訳すときに、「マウス」とせずに、「ネズミ(用字もこのカタカナ)」にしておけばよかったのに、と思わないではありません。
 医学や哲学において現在つかわれている用語なども、故意に難しい漢字で翻訳したものもあって理解を妨げている場合があり、漢字翻訳には注意を払わなければなりません。(2017年6月19日記)
 


英語教育はこのままでは破綻するか

2017-06-04 03:58:02 | 時事問題

       英語教育の問題点


『英語教育、迫り来る破綻』と「トランプ大統領就任演説のNHK和訳文」を読んで

  大津由紀雄・江利川春雄・斎藤兆史・鳥飼玖美子著『英語教育、迫り来る破綻』(2013年、ひつじ書房刊)を読んだ。長年、高校で英語を教えてきた私も大いに同感するところのある内容であった。また、今年(2017年)、1月にトランプ大統領が誕生し、その就任演説の原文と訳文がともに主要新聞に載せられおり、NHKはネット上に速報として口頭で流れた演説そのものとはほんの少し異なるところがある演説用の原稿(text as prepared for delivery)とその訳文を掲載した。
  大津氏らの著書『英語教育、迫り来る破綻』には、米国基準のTOEFUL、TOEICで英語の能力を測り、大学等の入試にも利用しようとし、結果として、全体としての英語能力の低下と、日本語(国語)の運用能力を低下させているとの趣旨の記述がなされていた。
  私も最近まで高校で英語を教えてきたものとして、英語教育課程の変更とオーラルコミュニケーション重視の英語教育に関わってきたが、その中で痛感したのは、これが英語読解力や作文力の強化につながらず、むしろ、それらの低下を招いているように思われることであった。英語ライティング(English Writing)の教科書では自分の意見を英語で書く「自由英作文」がある。そして、英語でディスカッションやディベートをする能力を高めることも求められている。
  しかし、我が国の母語、日本語、つまり、国語の授業において、自分の経験から言えば(私は昭和40年代前半に大学教育を受けた)、小中高教育また大学教育を含めて十分な日本語作文(writing)の授業を受けたとは思えない、というより、ほぼそのような教育は皆無であったと言ってよい。自分の意見を日本語で話す、米国のspeechの授業のような教育を受けたことはなかったし、もちろん、ディベートの授業もなかった。
  米国では授業においてディベートがあり、議題をきめて討論する。ここで、討論の技術と相手を論破する技術を身につける。米国の政治家や弁護士に日本人が言い負かされるのは、日本においてこの技術を磨く機会がすくないからであると思われる。日本人が討論において言い負けるのは、国語教育において、というより日本語を討論において活用する教育を行っていないからである。
  日本語において、授業として行われていないことを英語の授業でやろうとするのはあまりにも無理がある。日本語でのスピーチやディスカッションやディベートの授業があるとしたら、現在の衆参両院の議員たちの多くは、演説や討論に長けている人たちが多数いると思われ、彼らは10段階評価で10ということになるだろう。もちろん、10評価の人たちの中にも上、中、下の差はあるだろう。しかし、彼らは日本語(国語)の授業において、スピーチやディスカッションの授業を例外を除けば受けてこなかったはずである。議員たちの中にはクラブ活動として、弁論部(または、英語弁論部)でディベートの技術を磨いた人はいたかもしれない。
  彼らは母国語としての日本語を(必要にせまられて)長期間駆使する中でスピーチやディスカッションの能力を獲得したはずで、国語の授業を通して身につけたのではないはずである。しかも、それは日本人の中でも少数の者が持っている特別な能力であるということが理解されていないようにみえる。彼らは自分の持つ特別な能力を英語においてもその教育のやり方を変えさえすれば母国語のように駆使できるようになると思いこんでいる節がある。高い日本語の運用能力(話すこと、読むこと、書くこと)があってこそ英語などの外国語の高度な運用(話す、読む、書く)能力が生まれるということを認識する必要がある。
  母国語の習得をおろそかにして外国語をよく運用することはできない。最近は、一流大学に入学した者でも、文章を書くばあいに、テニオハの使い方がおかしい学生がいると言われている。日本語でうまく話せないのに、英語は日本語以上にうまく話せるということはありえないし、日本語の新聞や小説をよく読めないのに英語ではそれらがよく読めるということはありえない。日本語で自分の意見、考えをうまくまとめて書くことができないのに英語ではそれがよくできるということはありえない。
  この事実を明確に理解していない経済人や国会議員が少なからずいるようである。日本語を高度に駆使できずして、話す、読む、書くことにおいて英語を使いこなすことは不可能であろう。
  ところが、オーラルコミュニケーション重視の英語教育に力を入れるあまり、英文法や英語読解の授業を軽視し、小中での国語教育時間が少なくなり、結果として英語も日本語もうまくこなせない人が多数生みだされているのではないかと思う。
  2017年1月20日のトランプ大統領の就任演説の直後に出たNHKの翻訳文を見て私は驚いた。明らかな間違いを何カ所も発見したからである。それも、昔の英語の得意な優秀な高校生なら間違わないような間違いである。おそらく、翻訳を担当したNHKの人たちは、若手で、いわゆるオーラルコミュニケーションを重視する最近の英語教育を受けてきて、英語が得意とされている人たちであろう。が、このオーラルコミュニケーションを重視し、文法や読解を軽視する英語教育の弊害がこの翻訳文に如実に現れていると思われる。
 
 では、演説文と翻訳文の問題部分を示したい。細かいことを言えばかなりの数になるが、明らかに誤りのものを中心に取り上げよう。
  *~there was little to celebrate for struggling families all across our land
  *(闘っている国中の家族たちを祝うことはほとんどありませんでした。)
celebrateは他動詞で前のlittleが意味上の目的語なので、「little to celebrate=祝えるものはほとんどない(to celebrateは形容詞用法の不定詞で前のlittleを修飾)」といことになり、forは「~を(祝う)」というような意味ではない。for以下は前の不定詞to celebrateの意味上の主語になっていると言える。つまり、
  ~there was little for struggling families all across our land to celebrate.
  (苦闘している全国の家族が祝えるものはほとんどなかった)
としても意味はほぼ同じことになる。これは、次の英文と同じ構造である。
   There was little for us to eat. (私たちが食べるものはほとんどなかった)
  このcelebrateを含むところの誤訳は、大きな誤訳と言える。昔、数学等学力が世界第1位だったころの生徒で、英語ができて一流大学に行くことができた高校3年生の生徒の多くは、上のような文は訳せたのではないかと思われる(当時、大学ではふつう英文法を学ぶことはなく、高校時代にマスターしておく必要があった)。
  次の文も誤訳とまでは言えないかもしれないが減点をしたいような訳である。
    That all changes. すべてが変わります。
    私の訳:それらすべてが変わります。または、そのすべてが変わります。
  前の段落では、ワシントンは栄えたが国民はそうではなかったこと、政治家は栄えたが、職はなくなり、工場は閉鎖されたこと、既得権層は自分を守ったが、国民は守らなかったこと、などの状況を述べていて、thatは単数形であるが、これらの複数の状況を指しているので、朝日新聞の訳では「それらはすべて変わります」としており、この訳が分かりやすいと思う。毎日は「それはすべて変わります」としている。日本語の名詞は(代名詞も含めて)基本的に単複同形として使われるので、「それは」で複数のものを指すことが可能あり、毎日の訳でもよいと思う。thatは「一部の者が栄え、国民は苦しんでいるといういくつかの状況」を明確に指しているので、朝日や毎日の訳に従う必要はないが、thatは訳出する必要がある。読売は「それがすべて変わる」と訳して、「それ」を強調する形で訳している。もちろん、ここの英文は、
 Those all change. All of those change.  They all change. All of them change.
というようにthatの複数形のthoseを使っても文法的には誤りではないし、theyを使うこともできる。theyは軽い代名詞なので、もし原文が「They all change.」なら、「すべて変わります」と「それらは」を加えずに訳せる。この就任演説文の作者は単数のthatを使ってるが、わたしもthatを使うほうが力強く、前に述べたことを指し示し、ここでは一番適切な用語だと思う。
  関連して述べると、itはほどんどの場合、日本語に訳さないほうが日本語らしい表現になる代名詞であり(というよりも訳出すると英語原文のニュアンスが損なわれる代名詞であり)、thatは訳さないと原文の意味が伝わらない代名詞である。it は英語では省略したくても文法的に省略できないので付加している言葉であるが、日本語は分かる場合には省略する言葉である。“It is cold. (寒い。)”における it は天候、寒暖などを示すitの特別用法で、「それ(は、が、を)」と訳してはいけない。辞書は訳語として「無し」、つまり、記号で示せば Ø ということになる。辞書は「訳出してはいけない」と明確に示すべきであるが、そのように指示している辞書はないようである。

    My husband dislikes sake, but I love it. (夫は酒が嫌いですが、私は大好きです) it=sake
   “Is this what you are looking for?” “That’s it.” it=what you are looking for
    「君が探しているものはこれですか」「それです」
 次の文にも大きな間違いがある。  
 You came by the tens of millions to become part of a historic movement the likes of which the world has never seen before. 
    世界がこれまで見たことのない歴史的な運動の一部を担う、数百万もの瞬間に出会うでしょう
 byは辞書的に説明すると、「~単位で(Butter is sold by the pound.バターはポンド単位で売られている )」という意味で、tens of millionsは「数百万」ではなく「数千万」または「何千万」という意味なので(数百としたのはケアレスミスであろう)、by the tens of millionsは「数千万という単位で」という意味になる。読売新聞は「数千万人の規模で」と訳していた。byを訳出するなら「規模で」と訳すのはうまい訳。「出会う」という訳は「come by」という結合を訳しているのであろうか。文は「あなたがたは数千万という単位でこれまで世界が一度も見たことがないような歴史的な運動の一部となった」というような意味で、もう少し日本語らしくすると「何千万もの(私を支持して下さった)皆さんは~歴史的な運動の一翼を担って下さったのです」というような訳になる。cameはto becomeと結びつく。come to~は「~するようになる(She came to love him,彼女は彼を愛するようになった)」と通常訳す。cameは「やって来た」という意味ではない。「数千万」もの人々は就任演説の行われた会場前に集合することは不可能。ここではcame toの後にbecomeが来ているので訳しにくい。が、(昔の)英語ができる優秀な高校生の中にはcame by~ to becomeの結合を捉えられる者もいたのではないかという気がする。NHK翻訳者の横には英米人(英語が正確に読める、英語を高校以上で教えることができる人が望ましい)の協力者がいなかったのであろうか(協力者がいてもcame to becomeの結びつきに気づかなければ意味がない。英米人でこの表現の和訳を見てチェックできる人はまずいないだろう)。likesも訳出すべきである。like=同じようなもの、という意味。
  何千万もの皆さんは世界が今までに一度も見たことのないような歴史的な運動の一翼を担って下さったのです。
 *There should be no fear~ 
 *?そこにおそれがあってはなりません。
  there is、there areのthereは「そこに」とは訳さない。ほぼ元の意味を失って強勢(ストレス)もなく、弱く発音する。「There is a book.」は「本がある」という意味で、「そこに本がある」という意味では「There is a book there.」とthereを最後に加えなければならない。原文はshouldがあるが、there is で始まる文なので「そこに」と訳すべきではない。助動詞が入っている例としては、
  There will be little time. (時間はほとんどないだろう)
などがあるが、thereは(語源的にはもちろん「そこに」という意味をもっているが)後のisと結びついて「有る」という意味を示し、「そこに」という意味は埋没して消えていると考えるべきである。したがって、原文は、
  There should be no fear~ おそれをいだくべきではありません。
というような訳になる。NHKの原文の翻訳者は、there is の訳し方を知らなかったのであろうか。そんなことはあり得ないと思うが、助動詞が加わると、とたんに、there isの形が見えなくなったのであろうか。
 意地の悪いあら探しをしているようで、気が引けるが、NHKの翻訳者を非難しているのではなく、彼らの受けてきた“英語教育”を非難するのが本旨である。つづけたい。
   *with not even a thought about the millions upon millions of American workers left behind.
   *?取り残される何百万人ものアメリカの労働者のことを考えもせず
 noなら普通の否定。not aは強い否定で、原文にはevenがあるのでさらに強い否定になる。この意味合いを出さないと昔の高校の英語の先生は減点をした(not aは高校で教わった)。しかし、オーラルコミュニケーション重視の英語教育では、not aの意味合いなど教わる場は高校にはないのかもしれない。
  There was not a cloud in the sky. (空には一片の雲さえも無かった)
  There was no cloud in the sky. (空には雲が無かった)
 この原文のところは、NHKの訳を活かせば「考えさえせず」となるが、朝日新聞は「一顧だにされませんでした」としていた。この訳を活かせば、
  置き去りにされた何百万人もの米国人労働者のことなど一顧だにせずに(一つまた一つと工場は操業停止し、我が国を去っていきました)
となる。left behindは「置き去りにされた」とすると、“冷酷な”企業の仕打ちがより鮮明に浮かび出てくると思われる。
  次は内閣府参与の藤井聡氏や三橋貴明氏らが問題にした個所である。
 *We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs.  Protection will lead to great prosperity and strength. 
 *?ほかの国々が、われわれの製品を作り、われわれの企業を奪い取り、われわれの雇用を破壊するという略奪から、われわれのを守らなければなりません。(Protection~strengthまでは訳無し)…藤井聡内閣官房参与らが問題にした部分。
 bordersは「境界、国境」の意味、ourは「我が国の」と私なら訳したいところである。ここではother countries(他国)との関係で出てきているので「我が国の国境」とすべきで、NHKの訳のように「国」とだけ訳すのはどうだろうか。また、訳の欠落している文であるが、protectionは基本的には「守ること、保護(すること)」という意味で、経済関係で使うと、「保護貿易(制)」と訳したほうがよい場合がある。暴力団関係では「用心棒代」というような意味にもなる。この文では他国との経済摩擦関係で用いられているので「保護主義」、「保護貿易制」の意味を含んでいると考えられるが、このprotectionは前のprotect our borders(我が国の国境を守る)と連動する言葉であり、不法移民の侵入や、移民の抑制問題とも関係する言葉であることも考慮して訳す必要がある。全体を訳すと次のようになる。
◎他国が我が国の製品を作り、企業を奪い取り、雇用を破壊するという略奪行為に対して我が国の国境を守らねばなりません。守り(国境の守りや経済の守り[=保護貿易制])は大いなる繁栄と強さにつながるのです。
  ※国境に関して、protect(守る、保護する、防御する)という動詞を使い、その関連でprotection(守り、保護、防御)を使っているので、同じ語源の言葉で訳すほうがよい。どちらも「保護(する)」を使いたいのであるが、むずかしい。読売新聞は国境を「保護しなければならない。保護こそが~」と訳し、動詞のprotectと名詞のprotectionを関連づけていている。上手な訳だと思うが、私の語感では「国境を守る」ことを「国境を保護する」とはふつうは言わないように思う。国境で難民を保護する、ならよく分かるし、“環境”を保護するならよく使う。国境は“警備する”か“防御する”か“守る”ものではないだろうか。今までのトランプ氏の言動から判断して、protectionは主として不法移民流入問題と外国製品流入問題の両方に対して用いている言葉なので、「保護」や「保護主義」や「保護貿易制」と訳すと、不法移民の排除や、移民の制限を掲げるトランプ大統領の国境の守り(border protection)を重視する政策を考慮しないこととなり問題があるように思う。
  *We will build new roads, and highways, and bridges, and airports, and tunnels, and railways all across our wonderful nation.  

*?私たちは、新しい道、高速道路、橋、空港、トンネル、そして鉄道を、このすばらしい国の至る所につくるでしょう
 私の訳は次のようになる。
 ◎私たちは、新しい道路、幹線道路、橋、空港、トンネル、そして鉄道を、このすばらしい国の至る所につくります。


 highwayは「幹線道路」を意味する。米国では高速道路はexpressway、またはfreewayと言う。地域によっては、thruway、superhighway、skywayと言うが、highwayだけで正式な用語としては高速道路の意味にはならない。もちろん、高速道路(expressway)は通常、重要な幹線道路なので、その意味では、expresswayはhighway (幹線道路)に属する。これは、日本で、国道は重要な幹線道路のことであり、東名高速や名神高速も高速道路で、「国道」に属するのと同じである。しかし、「国道」はすべて「高速道路」にはならない。
  したがって、トランプ大統領が「build highways」と言ったとき、このhighwaysには高速道路も含まれている可能性が高いと思われるが、「幹線道路(≒国道)」を造ると宣言しているのである。この演説中のhighwaysを「高速道路」と訳すのは正確な訳からかなりずれた間違いである。
  日本語の「ハイウェイ」は「(自動車専用)高速道路」の意味で使われているが、これは和製英語、つまり日本語である。「ムーディー」な店というように日本語で使うが、英語のmoodyは「不機嫌な」という意味で日本で使われる「ムードのある」という意味にはならない。日本語の「ハイウェイ」も「ムーディー」も英語の本来の意味からずれた“和製英語”である。朝日、毎日、サンケイの三紙は「高速道路」、読売は「ハイウェイ」と訳していたが、いずれも間違いと言ってよいであろう。
  未来を示す助動詞willは、文法上は「単純未来」と「意志未来」に分ける(もちろん、文脈によって意味は微妙に異なる)。この部分はトランプ政権の公約を述べているので、「でしょう」と単純未来的な訳をするのは誤りである。約束は意志として示す必要がある。これは意志未来のwillである。「つくります」と訳せば話者の決意を表すのに適当である。
  十数年前から現在に至るまで高校生も大学生もwillの使い方、意味などきちんと教えられていないのではないだろうか。この欠陥がNHKなどの訳に出ているように思う。NHKの翻訳者も(30歳前後の若手とするなら)現在の、文法や読解を軽視する英語教育の被害者であろう。
  古語で推量や意志を示す助動詞の「む」がある。これは、
    都に行かむ。=都に行きます。都に行くつもりです。都に行こう。
        I will go to the capital.
    雨、降らむ。=雨が降るだろう (~でしょう)。 It will rain.
というように使われるが、「む」の語源は「思おもふ」だとする説が有力である。そうすると、
  都に行かむ=都に行くこと―思う→都に行くつもりだ。「行くこと」は自分の意志で決定できることなので、決意表現の「行きます」「行こう」と訳す。
  雨、降らむ=雨がふること―思う→雨が降ると思う。→雨が降るだろう。
  ※雨が降ることは自分の意志とは関係のないことで、予測表現になり、「雨が降るだろう(でしょう)」と訳す。
  willも「思う」に関係のある意味を持っている。名詞に使うと「意志」「気持ち」「遺言」で、動詞では「望む=~したいと思う」という意味で使う。そうすると、I will go to the capital.は「都に行きたいと思う」というような意味になり、意志未来としての訳が出てくる。
 「~したいと思う」から、「したい」という気持ちが薄まれば「~と思う」という意味が出てくる。そうすると、It will rain.は「雨が降ると思う→雨が降るだろう」ということになる。古語の「む」の用法を知っていればwillが単純未来にも意志未来にも使われるのを理解するのは難しいことではない。
 willは一人称のIやweの後では意志未来のことが多いが、単純未来に訳すべき場合もある。三人称のitやheやTaro(太郎)などのあとでは単純未来のことが多いが、そうでないこともある。文脈や文脈を超えた諸環境からwillの意味も定まってくる。
  *We must speak our minds openly, debate our disagreements honestly, but always pursue solidarity. 
  *?私たちは心を開いて語り合い、意見が合わないことについては率直に議論をし、しかし、常に団結することを追い求めなければなりません。
 私の訳は次のようになる。  
◎私たちは意見を率直に述べ、意見の不一致については誠実に議論をしなければなりませんが、常に団結も追求しなければなりません。
 「しかし」という日本語の接続詞は前後を大きく切断する。前の部分は独立した一つの文と見なすことが可能である。訳文のように「しかし」を入れると、後ろの「なければなりません」は前の「議論をし」に結びつくことができなくなる。接続助詞の「が」も同様なので、「なければなりません」は前にも後ろにも必要となる。「議論をし、しかし~」も日本語として違和感のある使い方である。翻訳者は日本語の使い方もまちがっている。 
  まだ、もうすこし異論のあるところもあるが、このくらいにしたい。NHKの翻訳担当者も短い時間の中で、トランプ大統領の就任演説を翻訳したので、誤訳のあるのはよく分かるが、この原因は昨今のオーラルコミュニケーション重視で、文法や読解軽視の英語教育にあることを痛感したので率直に誤りを指摘した。
  私はトランプ大統領の就任演説の英文とNHKの速報訳を中心に各新聞の訳も検討した結果、その中にある誤りや、不可解な点は、単なる個人的ケアレスミスによるものではなく、日本の英語教育と国語教育の欠陥に原因があるのではないか、と痛切に感じたのである。個人的なものであれば、その個人と所属の報道機関が恥をかくだけでよい。が、教育に欠陥があるのなら日本国の問題であり大問題である。
 小学生時代にしっかりと母語(日本語)教育の時間をとらないと、日本語の文献を正確に読みとることはできないし、まして、正確な日本語を書くこともできない。しっかりとした日本語の基礎がないと、英語も正確に読めないし、まして、書くこともできない。
  日本語を書くことに関して述べたい。話すことは多少の変な点があってもゆるされるし、相手に理解されればそれでよい。しかし、まとまりのある文章を書く場合にはそうはいかない。主部と述部が呼応していなければおかしな文になるし、文章構成も考えなければならない。「つぶやき」を書き込むこととはちがうのである。話すことを“商売”にしている人たち、国会議員やテレビの司会者、コメンテイターなどの中で、自分の意見をまとめて文章にすることにおいて、10段階評価(一流高校の基準)で、10を取れる人が何人いるだろうか。その割合はかなり低いのではないだろうか。日本語を母語とするものにとって書くことが一番むずかしいのである。話すことが一番やさしく、読むことが次で、書くことがいちばん難しい。英語でもこれは同じである。が、この事実を理解している人は多くはない。
  社員の前で話す必要のある会社の経営者や外国の政治家と話す機会が多い国会議員の中で、英語を日本語のように自由に話せない、読めない、書けないことに強い憤懣をいだいている人が少なからずいる。しかし、日本人話者の場合、英語を母国語のように使いこなすのはかなりむずかしい。通常は話すことが一番やさしいのであるが、英語と日本語の語順が大きく異なり、文法が大きく異なるため、他のインドヨーロッパ語族間の言語(英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語)のように(極端に言えば)単語を置き換えるだけですむ言語のようにはいかないのだ。
  英語を話す機会の多い経営者や国会議員は自分の日本語のスピーチ能力は国語の授業によって獲得されたと考えているのだろうか。また、自分の意見をまとめて書く小論文作成能力を国語の授業から得たのだろうか。私は昭和30年代に小中高教育、昭和40年代前半に大学教育を受けたのであるが、国語の授業において、夏休みの宿題で読書感想文の提出を求められたが、英語のWritingのような書き方の指導(テーマの設定、問題の提起、展開、結論)を受けたことはなかった。とにかく、私の印象では、中学、高校の夏休みの読書感想文を提出を求められたことと、小学校2年生のときだったと記憶しているが、ハガキの裏に母の祖父母に対して、「何でもいいから思っていることを書きなさい」というような指導があったのだと思うが、“通信文”を書かされたことである。これは、ハガキの住所・宛名は父母に書いてもらうことになっていて、「せんせいにいわれたのでかきました」というような内容のハガキを送ると、後で小学校低学年の私を叔父が何度もからかったことを覚えている。
  ようするに、20世紀の国語教育において、米国のスピーチやライティングのような授業はなかったし、最近の国語授業においても、それほどこの面での改善は行なわれていないようだ。日本語でスピーチや自分の意見をまとめて文章に書くことができないものが、どうして英語でそれができるのだろうか。しかし、日本において一部の経済人や一部の政治家は自分が日本語のように英語を話せないこと、読めないこと、書けないことを英語教育のせいにする人がいる。日本語でも周囲の人と話せない、会議で自分の意見をまとめて言えない、書けないものが、どうして英語でそれができるのか。日本語でそれが上手にできる人はそれほど多い割合でいるのではなく、むしろ少数であり、その人たちの能力は、国語教育で培われたというより、国語教育の基礎の上に自己研鑽の結果生じたものと考えてよい。
  日本語での演説(スピーチ)はよくできると思っている経済人や国会議員(スピーチでは評価10に値する)の中で、よく日本語を書くことができる人がどれくらいの割合でいるのだろうか。つまり、自分の意見を小論文、または、論文の形にまとめることができるのか、ということである。つまり、一流高校の10段階評価で10、米国のWritingの評価ならA+を取れるのかということである。おそらく、私の推定に過ぎないが、3割いたらいいほうではないだろうか。書くことは、学校教育の中でしっかりと身につけるカリキュラムの構築と、その後の不断の努力の積み重ねによって、上達するものである。日本では日本語(国語)教育において、読み、書き、話すという点において、読みの授業(読解、鑑賞)に重点が置かれ、書くことと話すこと(speech、debate)の授業は極めて遅れた状態がある。これは、国語の授業や国語の教員が悪いという問題ではなく、適切なカリキュラムの構築がなされていないということで、これこそ問題にすべきことである。
 適切なカリキュラムの中には、有効な「日本語文法」の単位も高校と大学の国語教育の中か英語教育の中に入れてほしい。日本語文法授業と英文法授業は連動して学生の知力を高めるはずである。
 国会議員や経済人も日本語における自分の読み、書き、話す能力についてよく考察し、現在の国語教育、英語教育をどのように連動させて改善するかを考える必要がある。今の国語教育、オーラルコミュニケーション重視の英語教育では、どちらの能力も評価10に届かない生徒を大量に生みだす。私は勉強のできない生徒たちのことを考慮しないエリート教育には反対だが、今の政府や一部の経済人がすすめようとする英語教育は、国際舞台で外国人と渡りあえる英語力を持った人材の育成がねらいであると思われるが、はっきり言って、日本語能力も英語能力も評価10に達する生徒は多く生みだすことはできないであろう。評価10の生徒を大量に生みだす英語教育、国語教育を構築する必要がある。大量に生みだされた評価10の生徒の中に、国際舞台で英語を道具として使いこなせる人材がいるはずである。優秀な生徒でも評価8程度にしか育てない現在の「日英語」教育はむしろ有害である(NHKの就任演説の翻訳者に対する私の評価は8…100点満点の大雑把な評価をすれば80点で水準以上で合格点であるが、メディアとして全国民に示すなら95点以上が必要で、その意味では合格水準ではない)。
  政府や経済界は、一部の非専門家である経済人や、国会議員の意見を実行に移すのではなく、『英語教育、迫り来る破綻』の著者である大津氏、江利川氏、斎藤氏、鳥飼氏らの英語の専門家であり、英語の達人である人たちの意見に耳を傾けるべきである。
  日本は、戦後、多数のノーベル賞受賞者を出してきた。彼らは日本語も書け、英語も読め、英語を書くことも(書くことは手助けがあったかもしれない)できたはずである。英語教育大論争』(1975年 文芸春秋刊)で国会議員も務めたことのある平泉渉氏と論争を展開した、英語の読み、書き、話しの達人である渡部昇一氏は、「英文法をしっかりと身につけ、英文を正確に読みこなす訓練をくりかえしたことで自分の知力も高まった。英文法を使って英文と格闘することが知力を磨く」という趣旨のことを述べられている。日本人のノーベル賞受賞者も日本語で自分の専攻の学問、物理や化学や医学を勉強し、英語とも格闘して、ノーベル賞を受賞したのである。母国語で教育を受けられない国、インドやフィリピンやアフリカ諸国ではノーベル賞の受賞者はいない。母国語で自由に詩を書く人たちがいて、美しい詩を創り出すことのできる詩人が生まれる国こそ一流の学問の追究者を生みだすことができると私は思う。実用のみを追求する現金な教育からは一流の詩人も生まれないし、一流の科学者も生まれない。
 二葉亭四迷はロシア語の達人でありツルゲーネフの『めぐりあひ』を翻訳し、日本語の言文一致運動をすすめ、小説『浮雲』を発表して読みやすい日本語の確立に貢献した。もちろん、四迷には漢学の素養があった。そして、漢学と英語学の達人であり、『ぼっちやん』や『三四郎』の著者・夏目漱石によって私たちが現在、思索するときに用いる日本語が完成されたのである。現在の日本語は大和言葉が古くから漢語の強い影響を受け、近代に入って英語を中心とする西洋語の影響を受け、その中でもまれて熟成され高度に完成された言語である。明治期に完成されつつあった日本語と、英語・ドイツ語とが格闘することで現在なら、当然、ノーベル賞に値する科学者が現れた。北里柴三郎(破傷風の治療法の確立)、高峰譲吉(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見)、野口英世(黄熱病の研究)である。北里や高峰は家系的にも漢学に対する深い素養があった。明治から大正にかけて、深い思索、研究を可能にする日本語が生みだされたのである。
 母国語教育をいい加減にして、中途半端な英語教育や英語による他の教科の授業を行なって、ノーベル賞受賞者などは生まれない。私が強く危惧しているのは、現在のような不十分な国語教育、英語教育をしていて、その教育を受けたものの中から、ノーベル賞を受賞するような科学者や作家が生まれるだろうか、ということである。
 戦後の多数のノーベル賞の受賞者は、戦前の母国語(日本語)教育、外国語教育(主として英語)の遺産が残り、戦後しばらくはその遺産が受け継がれていた中で教育を受けた人たちであり。拙速な成果を求める“現金な”教育を受けてきた人たちから、四迷、漱石から始まる偉大な小説家たち、つまり、日本語の達人や、北里、高峰、野口から始まり最近の続出するノーベル賞受賞者たちのような科学の達人が生まれるか、ということである。
 (※「ノーベル賞」を最高の評価基準のように言及しているが、多くの人にとってわかりやすい基準と思われるので取り上げているだけである。当然、受賞してもよいような人が受賞せず、その選考基準、方法に問題点があると思うときも希ではない)
 (2017年6月3日記、6月6日修正 7月19日修正)



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 以下はトランプ大統領の就任演説の原稿です。 当日のトランプ氏の口頭での演説と細部で少し異なるところがありますが、私が上で誤りを指摘している部分には影響はありません。

                       (2017年8月24日追加)

Chief Justice Roberts, President Carter, President Clinton, President Bush, President Obama, fellow Americans, and people of the world: Thank you.

We, the citizens of America, are now joined in a great national effort to rebuild our country and to restore its promise for all of our people.

Together, we will determine the course of America and the world for years to come.

We will face challenges. We will confront hardships. But we will get the job done.

Every four years, we gather on these steps to carry out the orderly and peaceful transfer of power, and we are grateful to President Obama and First Lady Michelle Obama for their gracious aid throughout this transition. They have been magnificent.

Today's ceremony, however, has very special meaning. Because today we are not merely transferring power from one administration to another, or from one party to another -- but we are transferring power from Washington, D.C. and giving it back to you, the American People.

For too long, a small group in our nation's Capital has reaped the rewards of government while the people have borne the cost. Washington flourished -- but the people did not share in its wealth. Politicians prospered -- but the jobs left, and the factories closed.

The establishment protected itself, but not the citizens of our country. Their victories have not been your victories; their triumphs have not been your triumphs; and while they celebrated in our nation's capital, there was little to celebrate for struggling families all across our land.

That all changes -- starting right here, and right now, because this moment is your moment: it belongs to you.

It belongs to everyone gathered here today and everyone watching all across America. This is your day. This is your celebration. And this, the United States of America, is your country.

What truly matters is not which party controls our government, but whether our government is controlled by the people. January 20th 2017, will be remembered as the day the people became the rulers of this nation again. The forgotten men and women of our country will be forgotten no longer.

Everyone is listening to you now.

You came by the tens of millions to become part of a historic movement the likes of which the world has never seen before. At the center of this movement is a crucial conviction: that a nation exists to serve its citizens.

Americans want great schools for their children, safe neighborhoods for their families, and good jobs for themselves. These are the just and reasonable demands of a righteous public.

But for too many of our citizens, a different reality exists: Mothers and children trapped in poverty in our inner cities; rusted-out factories scattered like tombstones across the landscape of our nation; an education system flush with cash, but which leaves our young and beautiful students deprived of knowledge; and the crime and gangs and drugs that have stolen too many lives and robbed our country of so much unrealized potential.

This American carnage stops right here and stops right now.

We are one nation -- and their pain is our pain. Their dreams are our dreams; and their success will be our success. We share one heart, one home, and one glorious destiny.

The oath of office I take today is an oath of allegiance to all Americans.

For many decades, we've enriched foreign industry at the expense of American industry; subsidized the armies of other countries while allowing for the very sad depletion of our military; we've defended other nation's borders while refusing to defend our own; and spent trillions of dollars overseas while America's infrastructure has fallen into disrepair and decay.

We've made other countries rich while the wealth, strength, and confidence of our country has disappeared over the horizon.

One by one, the factories shuttered and left our shores, with not even a thought about the millions upon millions of American workers left behind.

The wealth of our middle class has been ripped from their homes and then redistributed across the entire world.

But that is the past. And now we are looking only to the future. We assembled here today are issuing a new decree to be heard in every city, in every foreign capital, and in every hall of power.

From this day forward, a new vision will govern our land.

From this moment on, it's going to be America First.

Every decision on trade, on taxes, on immigration, on foreign affairs, will be made to benefit American workers and American families. We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs. Protection will lead to great prosperity and strength.

I will fight for you with every breath in my body -- and I will never, ever let you down.

America will start winning again, winning like never before.

We will bring back our jobs. We will bring back our borders. We will bring back our wealth. And we will bring back our dreams.

We will build new roads, and highways, and bridges, and airports, and tunnels, and railways all across our wonderful nation.

We will get our people off of welfare and back to work -- rebuilding our country with American hands and American labor.

We will follow two simple rules: Buy American and hire American.

We will seek friendship and goodwill with the nations of the world -- but we do so with the understanding that it is the right of all nations to put their own interests first.

We do not seek to impose our way of life on anyone, but rather to let it shine as an example for everyone to follow.

We will reinforce old alliances and form new ones -- and unite the civilized world against radical Islamic terrorism, which we will eradicate completely from the face of the Earth.

At the bedrock of our politics will be a total allegiance to the United States of America, and through our loyalty to our country, we will rediscover our loyalty to each other.

When you open your heart to patriotism, there is no room for prejudice. The Bible tells us, "How good and pleasant it is when God's people live together in unity."

We must speak our minds openly, debate our disagreements honestly, but always pursue solidarity.

When America is united, America is totally unstoppable.

There should be no fear -- we are protected, and we will always be protected.

We will be protected by the great men and women of our military and law enforcement and, most importantly, we are protected by God.

Finally, we must think big and dream even bigger.

In America, we understand that a nation is only living as long as it is striving.

We will no longer accept politicians who are all talk and no action -- constantly complaining but never doing anything about it.

The time for empty talk is over. Now arrives the hour of action.

Do not let anyone tell you it cannot be done. No challenge can match the heart and fight and spirit of America.

We will not fail. Our country will thrive and prosper again.

We stand at the birth of a new millennium, ready to unlock the mysteries of space, to free the Earth from the miseries of disease, and to harness the energies, industries and technologies of tomorrow.

A new national pride will stir our souls, lift our sights, and heal our divisions.

It is time to remember that old wisdom our soldiers will never forget: that whether we are black or brown or white, we all bleed the same red blood of patriots, we all enjoy the same glorious freedoms, and we all salute the same great American Flag.

And whether a child is born in the urban sprawl of Detroit or the windswept plains of Nebraska, they look up at the same night sky, they fill their heart with the same dreams, and they are infused with the breath of life by the same almighty Creator.

So to all Americans, in every city near and far, small and large, from mountain to mountain, and from ocean to ocean, hear these words:

You will never be ignored again.

Your voice, your hopes, and your dreams will define our American destiny. And your courage and goodness and love will forever guide us along the way.

Together, We will make America strong again.

We will make wealthy again.

We will make America proud again.

We will make America safe again.

And yes, together, we will make America great again. Thank you. God bless you. And God bless America.