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*中国共産党政権の極悪非道*いつ中国は国家崩壊するか*ヤクザ組織・国家への対処法*なぜ日本にテロが無いか*北朝鮮問題*

雄略天皇のクーデター

2022-08-30 19:16:38 | 雄略天皇と辛亥銘鉄刀銘文

『雄略天皇のクーデター 第一巻』と第二巻を出版

キンドル本として出版

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

 『雄略天皇のクーデター 第一巻』と『雄略天皇のクーデター 第二巻』をキンドル本として出版することができました。

 すべて私自身がネットを通じて行ないましたので、苦労しました。この『雄略天皇のクーデター』は、1993年に『東アジアの古代文化 76号』(1993夏76号 大和書房刊)に「辛亥の変とワカタケル」といタイトルの論文を出したあとから、その後の研究成果も加味して書きづづけていたものです。

 「辛亥の変とワカタケル」は、『季刊邪馬台国』の編集者の“安本年代論”で有名な安本美典氏から直接電話が入り、大和書房の論文を再掲載したいとのことで、私は有難くその申し出をお受けし、1999年の『季刊邪馬台国67号』に1993年の論文を少し修正する形で掲載されました。

 東アジアの古代文化の編集者の大和岩雄氏も季刊邪馬台国の編集者の安本美典氏も古代史の部門では高い見識と評価を持っておられる方なので私の「辛亥の変とワカタケル」は一定の評価を受けたと考えていますが、残念なことにその後の古代史研究の世界に取り入れられているとは言えません。四七一年を雄略天皇の即位年とすれば、多くの謎、四世紀後半から五世紀半ば(370年から531年)までの謎(事件、人物に関して)が解けるのです。

 掲載論文を除くと、単独の本の出版としては『万葉難訓歌の解読』(1992年 和泉書院刊)と語学関係の本をよく出しているアスクから『Nine-House Kanji Quiz』(1999年アスク刊 日本語と漢字を勉強する外国人のための本)を出すことができましたが、この『雄略天皇のクーデター』を引き受けてくれる出版社が見つからず、自費出版で出すとしても多くの人に見てもらわなければ意味がない、と2005、6年ころには出版をなかば諦めたような状況になっていました。

 が、ここに来て、キンドル本として出版することが可能であることを知り、自力で無料で出版することができました。手続き上、ややむずかしい部分もありましたが、なんとか克服して出版までこぎつけました。

 もし、アマゾンのアカウントを持たれていれば一度『雄略天皇のクーデター』をチェックしてみてください。

 Kindle Unlimitedの会員なら今から三ヶ月は無料で読めます。会員でなければ1部560円の価格にしています。御一読いただければ幸いです。 (2022年8月30日記)

 


SVO言語とSOV言語

2022-08-10 11:38:31 | 英語と歴史

SVO言語(中・英)とSOV言語(日)

“被征服(交流)”言語と“非征服(非交流)”言語

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  私は2019年1月に発信したツイートで、“監視カメラ”に関連して、中国と米国は相互によく似ているという事に言及した。次のような文章である(一部修正してある)。

 

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   米国と中国はよく似ている。政治体制はいちおう極端に異なるように見える。民主主義体制と一党独裁体制である。が、米国の富裕層の1%が米国の富の50%を握り、この1%を含む10%が富の90%を握っているという極端な格差社会となっている。中国では共産党員の中の一部の特権階級が利権とワイロによって巨大な資産を蓄えているとされ、一般共産党員などを除外した特権共産党幹部とその他のものの資産の格差は米国以上であろう。この「富裕層」と「一般庶民」の極端な格差が米中で似ているのだ。 

   また、米国では9.11テロ以降に個人情報の窃取を強行し監視カメラ網を張り巡らしている。一方、中国はウィグル人などのテロを怖れて精度の高い顔認証機能を有する監視カメラと情報窃取を続けて国民を監視している。両国は情報窃取と監視カメラ大国として非常に似ている。

  もう一つ米中は言語においても似ている。両国ともS(主語)V(動詞)O(目的語)言語、主語のすぐ後に動詞が来る言語である。日本語やアイヌ語、朝鮮語、モンゴル語等はSOVという語順の言語、つまり、 動詞で終わる言語だ。世界には日本語と同じSOV型の言語が一番多い。

  英語と同じSVOの語順は、私見では異民族の支配を長く受けたことを示す。英語は11世紀ノルマン人による征服があった。中国は中原をめぐって多数の民族が争った。「民」という漢字の字源は目をつぶされた奴隷を示す。中国の農業戸籍を持つ人々は安い賃金で働かされる現代の“奴隷”だと言う中国研究者がいる。米国は南北戦争まで奴隷制を維持していた。米中はこの点でもよく似ている。

(※ I (S) learn (V) English(O).   我(S)(V) 英語(O)。  私は(S) 英語を(O) 学ぶ(V)。 S=subject=主語 ;  V=verb= 動詞;  O=object=目的語)

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 古英語で記述された8世紀の叙事詩『ベオウルフ』を見ると日本語と同じく動詞で終わる文もかなりあり、今のように固定された語順ではない。ラテン語やギリシア語を含めて印欧語は古くは日本語と同じく動詞で終わる言語であった可能性が高いとする研究者もいる。なぜなら、印欧語の最古の言語、ヒッタイト語は動詞で終わっているからだ。また、印欧語に属する(現在使われている)ヒンディー語も日本語と同じく文は動詞で終わるのが原則である。

  現在、英語はSVO式言語と言われ、語順に自由度が少なく、固定しているが、古英語はそうではなかった。私は大学時代、中英語(Middle English)の講座も受講し、多少、古英語(Old English)の勉強もした。英語も古くは、ラテン語と同じように名詞に格変化があり、動詞も人称によって複雑な屈折変化があった。私は次の古英語を見て、心の底から驚いた。8世紀初頭に作られた英国最古の英雄叙事詩Beowulf(ベオウルフ)の中に次のような文がある。

  ic  hine  sweorde  swebban   nylle.  

  I   him   a-sword-with  slay     not-will   →I will not slay him with a sword.

   私は 彼を  剣-で     殺さ ない-つもりだ。

※“sweorde”は“sweord(剣…単数)”の対格で、語尾の“e”は日本語の「で」に相当。“nylle=ne(ない)+wille(つもりだ、だろう)=not will(ないつもりだ、ないだろう)”

 つまり、古英語で書かれたベオウルフの上文は、日本語と同じ語順である。とくに、“nylle(ないつもりだ)”に一番おどろいた、否定語と助動詞の連接が日本語とまったく同じ語順だったからだ。古い英語は日本語と同じような語順でも話される場合も少なくなかった(動詞で終わる場合もあるが、日本語のように動詞で終わるのが原則ではなく、語順が自由というのが一般的学者の見解)。というより、世界中の言語はもともとは日本語と同じように動詞で終わっていた、とする研究がある。

  『ユーラシア語族の可能性』(岸本通夫著1971年 神戸学術出版刊) には、ユーラシア大陸に分布する諸語、印欧語、ウラル語、アルタイ諸語は同じ祖語を持つという考えが示されている。英語やドイツ語やラテン語、ギリシア語などの印欧語も古くは動詞で終わっていたと岸本氏は述べている。彼は、ラテン語やギリシア語も古い文献になるほど動詞で終わる文が多くなる、それに最古の印欧語とされるヒッタイト語は日本語と同様に動詞で終わる、と説く。つまり、SVO文型の総元締めのような印欧語(インド・ヨーロッパ語)ですら、古くは動詞で終わっていたと考えて大きな間違いはないと私も考えている。日本語、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語などはSOV型の動詞で終わる言語であり、この動詞で終わる言語が世界の諸言語で約半数を占め、最も多いのである。これは、人間の標準的な思考の流れがSOVであることを示しているのであろう。

  現在の英語がなぜSVO型の言語に固定してしまったのか。この問いに対する私の答は簡単である。異言語を話す集団の衝突(=征服・支配)と交流の結果である。最初、ブリテン島ではケルト語を話す住民が住んでいたが、5世紀にゲルマン民族の一部族のアングロ族が、ついでサクソン族がブリテン島に侵攻し、ケルト語を話す住民を駆逐した。この時にゲルマン系統(古代ドイツ語)の言語を話すアングロサクソン語(古代英語)とケルト語の接触が起こったと考えられる。そして、1066年にノルマン人の征服によって、征服者、つまり、支配層の話すフランス語と現地住民の話す英語の接触によって、“外国人”が話すのに面倒な動詞の屈折変化や名詞や形容詞の性(男・女・中)や語尾変化が消滅していき、おそらく、異言語話者同士での一番理解が簡単なSVが最初に結びつく語順が確定していった、と思われる。そして、動詞の屈折変化や名詞や形容詞の語尾変化が消滅していった結果、孤立語に近い現在の英語ができあがっていった、と考えてよいだろう。

  この英語と同様にドイツ語やフランス語も英語ほどではないが(動詞の人称変化がまだかなり残っており、ドイツ語では従属節中ではSOVの語順になる)、SVO言語になっている。ヨーロッパ大陸も他民族が複雑に交錯し、支配・被支配の変化が繰り返されたと考えてよい。

  漢語(中国語)も英語と同様な変化が生じたと私は考えている。中国の中原は“古代漢民族”と北方等の諸民族が接触し、闘争し、征服と被征服、回復と支配を繰り返したたところと言える。その結果、言語も英語と同じように、孤立語化したと思われる。漢語は典型的な“孤立語”とされているが、一人称代名詞の「我」と「吾」は英語の「I」と「me」のように元は代名詞の格変化を表していたとする研究者もいる。つまり、他民族(複数民族)の接触、交流、闘争、征服、支配、被支配のある地域では言語がSVO化しやすく、孤立語化しやすいのではないか、と私は考えている。 (2022年8月10日記)

 

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※中国と米国がよく似ているのは、支配層の中に「“商人“=殷人の遺民・流浪の民の末裔」と「“ユダヤ人“=故国を破壊され奴隷化され流浪の民・商人となった者の末裔”が多数いて巣くっているように思われることである。

 現在の米国の(主として民主党)政権に寄生して世界を支配しようとするDS(Deep State)は、大多数ユダヤの流浪の民の末裔で、奴隷にされてきた(あるいは奴隷状態に近い差別的状況の中で暮らさざるえなかった)怨念のDNAと(その奴隷状態を逆転させ)世界の人々を奴隷的に支配しようとする強欲のDNAとを深層意識に併せ持つ支配層(≒金儲け第一主義の商売人)である。世界の人々を幸せにしようとする哲学や宗教心は持ち合わせていない(世界には敬虔なユダヤ教徒が多数いることはよく承知している) 同様に、現在の中国の支配層も米国の支配層のユダヤ人と同じような“怨念”のDNAを持っている。

 この“怨念”が米国人大衆の不幸であり、中国人大衆の不幸である。中国や米国の現在の状況はその国に住む人々を幸せにしないし、世界の人々の利益(=安全・名誉・幸福・平和)を損なう。(2022年8月17日追記)

 


中国崩壊(共産党政権の消滅)

2022-08-07 13:59:40 | 時事問題

 **私は4年7ヶ月前の2018年1月に「中国の崩壊時期を予言できるか!」というタイトルでブログを書きました。これは私の霊感(インスピレーション)によるものというより、いわゆる占星術的見地からの予言(予測)です。が、この占星術は従来の占星術ではなく、私が創案したもので、「辛亥革命説」と名付けています。日本書紀の編纂者も用いたとされる“辛酉の年に大変革、大革命が起こる”という「辛酉革命説」はほぼ当たっていませんが、辛亥の年には世界史的に見て、大革命、大政変、大事件が他の年と比べて“多発”しているのです。これを参考にして私自身の知見を加えて「辛亥革命説」を提案し、中国の国家崩壊を予言しました。

 そして、この予言は“実現”する方向にすすんでいるように見えます。ツイッターでは中国の本格的崩壊は2026年から始まると述べています。

 現在、世界はまだコロナ禍の中にあり、ウクライナ・ロシア戦争の最中にあります。私はツイッターで第三次世界大戦はトランプ大統領が中国への渡航と中国からの入国を禁止した2020年1月30日から始まっている、と述べています。ウ・ロ戦争はその一つの現れであり、中国・台湾の緊張状態もその流れの一つだと考えています。

  “軍事戦略論”に基づく思考によって、日本の政治家や官僚は内政・外交を考えていかなければならないのですが、果たしてその思考ができるのかどうか心配です。嘘(詭弁)やゴマカシは通用しない時代が来ています。それをまったく理解できていないのが“非ジャーナリスト”の日本のマスメディア(新聞屋)であり、同時に政治家や政党でしょう。

◇The world will finally change for the better with not a little sacrifice. We should know The Third World War has practically started since January 30th 2020 when President Trump forbade traveling from and to Communist China, which will collapse some years before 2031(辛亥年).
                                 2021年10月25日
 
 

  以下に2018年のブログを再掲します。 (2022年8月7日記)

 

中国崩壊時期予言できるか

The Government by the Chinese Communist Party will begin to collapse some five years before 2031.

「辛酉しんゆう革命説」を否定し「辛亥しんがい革命説」を提唱。

国家崩壊は2031年の辛亥年の数年前から始まる

 

永井津記夫

 

  中国はもうすぐ“崩壊”するとする経済アナリストや政治評論家が多数いて、ネット上で持論を展開している。彼らの意見を聞くと明日にでも崩壊しそうであるが、中国政府も崩壊を防ぐために必死の努力をしているようである。国家の経済的崩壊が国家自体の崩壊にまで必ずしも結びつかないが、問題を内包する国ほど、経済的崩壊が国家崩壊となる。

  どの国も歴史のうねりには抗しきれない時があり、中国にはその時期が近づいているように私にも思われる。「する」「する」と言って崩壊しなければ“スルスル詐欺”になりかねない。それでは、その時期を特定する方法はないのだろうか。その方法は存在すると私は考えている。「辛亥革命説」 がその方法である。これは“歴史の反復原理”にもとづく一種の占星術と考えてもらってよいが、中国“五千年の歴史”にもないもの、私の創案である。

 

  「辛酉革命説」は平安時代の九世紀後半から十世紀初頭にかけて活躍した漢学者の三善清行が主張した考えである。これは「辛酉の年に革命が起こる」というものである。“讖緯思想”の中にある考えで、『日本書紀』の編者も採用したとされる(*注1)。これは一種の占星術と考えてよいが、未来の事件(革命など)を予測・予言するのが本分であるが、年代の不明確な過去の出来事にも適用できると考えられる。実際、『日本書紀』の編者も三善清行よりも二百年も早く辛酉革命説を利用して初代神武天皇の即位年(*注2)を割りだしたものと思われる。

  が、この「辛酉革命説」は当たっていない。世界的に、辛酉の年を検討してみても、辛酉年に革命などの大変革は起こっていないのである。三善清行の「辛酉革命説」は謬説といってもよいものであるが、日本の朝廷はこの説に従い、革命を起こされる前に、辛酉の年には「改元」という“疑似革命”を行なって革命の阻止を図った(中国ではどの王朝も“辛酉年の改元”などしてはいない。日本で言う「辛酉革命説」という考えそのものが無いようである)

  辛酉の年には革命は起こらないが、革命や争乱や為政者の暗殺などの異変が“多発する(他の年に比してかなり多い)”年回りは存在する。その年とは、“辛亥シンガイの年”である。

  それでは、辛亥年に起こった“革命”や“争乱”や“政変”などを列挙してみよう。辛亥年は六十年ごとにめぐってくるが、西暦で末尾の数字が“1”で終る年となる。

   ① 辛亥革命(1911年)…中国

   ②ナポレオンⅢ世のクーデター(1851年)…フランス

   ③太平天国の乱(1851年)…中国

   ④林彪副主席のクーデター未遂事件(1971年)…中国(文化大革命中[1966-1976]の事件)

   ⑤西ゴート王国滅亡(711年)

   ⑥ササン朝ペルシャ滅亡(651年)

   ⑦高句麗・安蔵王暗殺(531年)  (*新注1)

これらの事件以外にも世界史上においていくつかあるが、ここで“圏”という考え方を取り入れたい。“革命”などの政変は瞬間的に起こって、すぐ終了するものではなく、“前奏的な始まりがあって、“中心部”があり、終わりがある。つまり、かなり幅(期間)があるのが通常である。この幅をいちおう前後二年ずつとすると、革命など事件はもっと増える。前後二年と中心年を入れて“五年間”を“圏”としたい。つまり、“辛亥革命年圏”という捉え方である。

  この“辛亥革命年圏”に起こった革命や政変を挙げよう。

   ⑧日韓併合(1910年)…日本・朝鮮

   ⑨リビア革命(1969年)…リビア

   ⑩アサド国防相によるクーデター(1970年)…シリア

   ⑪ロン・ノルによるクーデター(1970年)…カンボジア

   ⑫三島事件(1970年)…日本 (三島由紀夫が自衛隊にクーデターを呼びかける)

   ⑬フランス革命(1789年)…フランス (新憲法制定は1791年の辛亥年)

   ⑭源頼朝が鎌倉に幕府を開く(1192年)…日本

(作家の司馬遼太郎によると、鎌倉幕府の誕生は日本最大の革命で、“武装農民(=武士)”が天皇を中心とする貴族から政権を奪い取ったという事件、つまり、革命である。)

   ⑮隋が中国全土を統一(589年)…中国

   ⑯崇峻天皇暗殺事件(592年)…日本

というような革命や政変が“辛亥革命年圏”には起こっている。“辛亥年”とその前後の年は非常に危険な年回りなのである(逆に、変革を求める者には利用することができる)

  中国はいつ国家的に崩壊するか、「辛亥革命説」をもって推定するなら、“2031年”の辛亥年である。その崩壊は数年前から始まると考えられる。1971年の辛亥年を中心とする中国の“文化大革命”は1966年から始まり、1976年に終息したが、そのピークは1971年、つまり、辛亥年の共産党副主席・林彪のクーデター未遂事件であったことも参考になる。次の2031年の辛亥の年も同様なことが起こるかもしれない。

  2031年は中国にとってだけではなく、ヨーロッパ(EU)やアメリカ合衆国にとっても危険な年回りである。いや、全世界的と言ってもよい。

  日本は、中国の崩壊とその周辺地域の争乱に対して明確なシナリオを描いて対処する必要がある。日本自身の存亡にかかわることである。私は、中国は三分裂か四分裂くらいするのではないかと考えている。おとなしく分裂して収まればよいが、そうは行かない可能性も高い。“武装難民”、とくに、“核でおどしながら”(難民と称して)武装難民(=武装兵)が押し寄せてくるかもしれない。これにどのように対処するのか、ということがある。

  現在、北朝鮮から漁船が流れ着き、盗みをはたらく乗組員もいて、大きな問題となっている。しかし、警察や海上保安庁は適切に(厳しく)対処しているのであろうか。私たち日本人は遠い昔に豊臣秀吉によって“武装解除(刀狩り)”されており、一般市民は“武器”を持っていない。これは米国などに比して素晴らしいことであるが、暴徒には弱い。米国なら“不審者”と見なしたら一般市民でもライフルをぶっ放す状況があるが、日本はそうではない。

  警察、海上保安庁、いや、自衛隊も含めて武器を持っている組織は日本国民を守るために躊躇なく行動する勇気が必要であり、組織の長や為政者にも勇気ある決断が求められる。不法入国者は、まず(有無を言わさず)、逮捕をして適切な処置をしなければならない。日本の為政者はまず不法入国者は“逮捕”ということすら決断する勇気のない者が多いのではないか(*注3 )と私は心配している。

  日本は中国が内部崩壊、分裂したときの危機に備えて、十分な準備をしておくべきである。これは軍事戦略的思考の欠落した政治家や外務省の官僚では無理であろう(百人のうち、2,3名は対応できる思考を持っている者がいるかも知れない…非常に失礼で無礼な言い方をしているのは百も承知であるが、私は本当に心配しており、敢えて言っている。日本には軍事戦略論を教える所など存在しない)。

  中国が崩壊するとしたら、その時期は2031年かその4,5年前である。残されている時間は10年もないかも知れない。私たちは真剣に対応を急がなければなければならない。

 

  

(*注1) 「讖緯」の“讖”とは「予言」の意味で“緯”とは「書」の意味で、直訳すれば「予言書」という意味になる。中国では秦と漢の時代に多数つくられて発達したが、それ以後の王朝の為政者からは政権を脅やかす危険な書として禁圧され散逸した。「辛酉革命説」も「讖緯」の中で説かれている考えで「辛酉の年に革命し、甲子に革令する」というものである。また、この説には「二十一元(=1260年=一蔀)ごとに大革命が起こる」という理論も含まれている。

 

(*注2) 神武天皇の即位年は『日本書紀』によると紀元前660年となり、これは縄文時代の晩期に相当し(この時期には稲作が行われており弥生時代に入るとする研究者もいるが、まだ、鏡が使われる時代ではない)、神武天皇の時代とは大いにずれていることになる。なぜなら、『日本書紀』によると、神武天皇の前の神代には鏡や剣が出てきて、弥生時代に相当すると考えられるからである。

 神武天皇の即位年は、安本美典氏の「古代天皇の在年数は約10年(古い天皇は約9年)」という年代論と“辛亥革命説”を用いて、第21代の雄略天皇の即位年の471年からさかのぼると、「291年」ということになる。私は神武天皇の即位年は西暦291年と考えている。471年も291年も辛亥年である。 

※471年については『季刊邪馬台国67号』(1999年梓書院刊)の拙論「辛亥の変とワカタケル」または、『東アジアの古代文化76号』(1993年大和書房刊)の拙論「辛亥の変とワカタケル」に雄略天皇の即位年としての説明がある。

 

(*注3) 2001年、当時の北朝鮮の最高指導者の金正日の息子の金正男が日本に不法入国して逮捕された。当時の小泉政権はこの不法入国者を簡単に中国の北京への強制退去という形で解放した。だれでも少し考えれば思いつくことであるが、この「金正男」と名乗る人物を利用して北朝鮮に拉致されている日本人拉致被害者と交換することができなかったのかということである。

  武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような武将ならずとも戦国時代の武将なら「人質外交」の重要性、有用性を熟知していた。が、日本には軍事戦略論を学ぶ場がないためか、政治家、官僚、学者、経済人、マスコミ、ジャーナリストなどを含めて“軍事戦略論的思考”が欠如していると思わざるをえない(自衛隊の幹部は“軍事戦術論”は熟知しているはずであるが、“(政治と一体化して動く)軍事戦略論的思考”は持っていないと思われる)。

  金正男を人質として活用するにはそれなりの戦略が必要である。もう一つ必要なのは勇気である。腰抜けではできない。私なら「金正男」をかたる“北朝鮮籍”の不法入国者として北朝鮮と交渉する。いろいろと理由をつけて長期間勾留して北朝鮮に“脅し”をかけるのである。そして、拉致被害者、たとえば、百名以上となら交換する、というような条件を出せばよいのである (もちろん、北朝鮮側の対応がどうであれ、この不法入国者を金正日の長男とは認めず、“長男と騙る男”としてあくまでも扱う)

  北朝鮮がミサイルで脅してくるとか、日本国内にいる北朝鮮工作者やシンパがテロを起こすとかとおびえる人がいるが、日本の警察や、場合によっては自衛隊がそれに対処できないはずはないし、波風を立てるつもりで実行すれば、今のような核ミサイルで吠える北朝鮮の状況にはならなかったのではないか。日本は米国に高いprotection (用心棒代) を払っている (払わされている) のだから、勇気をもって当時の北朝鮮と交渉すればもっと良い結果が生まれていたように思う。 

  付言すると、1991年8月19日、、ソ連でクーデターが起こり、ゴルバチョフ大統領を排して、ヤナーエフ副大統領が八人のメンバーからなる国家非常事態委員会を代表して大統領に就任した。ヤゾフ国防相もこの委員会の一員であった。クリミヤで静養中のゴルバチョフ大統領の拘束には成功したものの、エリツィンロシア大統領の拘束には失敗した。エリツィンの逮捕に向かった戦車隊がヤナーエフ“大統領”の命令に従わず、ロシア政府ビルを守る形となり、クーデターは失敗した。8月21日にはゴルバチョフが復権し、国家非常事態委員会の八人組のクーデターは三日天下で終わった。八人組の中には全ての軍事知識を持っているべき国防相のヤゾフもいたが、クーデターや革命のやり方は知らなかったようである。つまり、軍事戦略論も知らないし、クーデター攻防論も知らない。もし、この中に戦国武将の秀吉か家康 (側近の軍師も含んでいる) でもいれば、このクーデターは成功していたと思われる。秀吉や家康ならエリツィンの逮捕・拘束に向かう指揮官の操縦法 (および人選) と“人質”の使い方を熟知しているからである(この“人質”は特殊な人質である)。 (この注3は1月31日に追記)

 

※※「辛酉革命説」、「辛亥革命説」は、長くなりすぎることもあり、このブログで全て述べることはできない。「辛亥革命説」に関しては、辛亥年という要素のほかにあと二つ付け加えるべきことがある(このうちの一つは上に少し述べている)。これについては別の機会に述べたい。「天地が秘蔵する謎(秘密)を漏らしてはいけない」とされている。「辛亥革命説」はこの謎(秘密)に相当するかどうかはわからない。ただ、今、日本の置かれている危機的状況に対して少しでも役立てば、という気持ちでここに公開した。

※※2031年の辛亥年の変革、変動は総体的に見た場合、よい方向に向かうものと私は考えている。しかし、そのためには傍観しているだけで良い方向に向かうわけでは決してない。日本としても、日本国民としてもそれぞれ最大限の奮闘努力がなければ良い方向に向かわずに変動の惨禍に巻き込まれないともかぎらない。

※※2031年の次の辛亥年は2091年である。私はもう存在していない遠い未来のことであるが私の子孫たちは生きている年代である。この“2091年”は2031年よりもさらに激しい変化をともなう年になると思われる。人類が大量に宇宙に飛び出して行く時代になるのかもしれない。2091年が“なぜ大変動の時期なのか”については別の機会に述べたい。

※※私のこのブログは予言に近いものだが、完全に確定したものではない(未来は完全に確定してはいない)。「このままで行けば(嘘を重ね、真実をねじ曲げた反日教育を子供たちにして反日政策に凝り固まり、周辺の少数民族を迫害、弾圧、殺戮、処刑を重ねていれば)、2031年に中国は国家として崩壊する」という“警告”である。私としては中国が崩壊して三分裂しようが五分裂しようが構わないのであるが、それは日本自身に重大な影響を及ぼすので、このブログを書いたのだ。本来、このような“予言”はしない方が良いことは承知しているが、日本の防御体制があまりにも準備不足であるように感じ、このような内容を書いて発表したのである。

  この私の小論は“中国の国家崩壊”について述べているのであるが、同時に日本に対する警告でもある。智恵と勇気と実行力に欠ける“政治家集団”や“官僚集団”が国家の多数を占め、「文句を言わさず、国民を適当に養っていけばよい」というような“甘い考え”で国家を運営するなら、日本も中国の崩壊やその他の国々の崩壊に巻き込まれ崩壊するかもしれないのだ。米国を含め他国に頼る気持ちは捨てたほうがよい。“頼れるのは己おのれだけ”という気概、“独立自尊”の精神をもって全ての日本人がこれからの難局に立ち向かわなければならない。     (2018年1月4日追記、1月22日追記)

 

(*新注1)『日本書紀』はこの安蔵王暗殺事件を『百済本記』の記事として引用し、同時にこの531年の辛亥年に「日本天皇及太子皇子倶崩薨」という記事も載せている。これは「(531年に)日本の天皇と太子と皇子がともに亡くなった」という内容となり“大事件”を示している。 『日本書紀』の編者はこの記事にもとづいて継体天皇の没年を531年と定めたが、「太子と皇子が亡くなった」という部分は切り捨て採用しなかった。ここから日本史研究者の間で「辛亥の変」という大事件あったとする説と「辛亥の変」はなかったとする説が対立することになった。 私は「辛亥の変」は531年ではなく、さらに60年前の471年の辛亥年に“辛亥の変”が起こったとし、これは、雄略天皇が有力皇位継承候補者の兄弟、従兄弟を皆殺しにして皇位を継承した事件を指している、とした。雄略天皇に関しては雄略の兄の安康天皇が暗殺されたあと、短期間に、雄略は二人の兄と三人の従兄弟を殺害した。これが、『百済本記』の伝える“辛亥の変”であろう。これについては上記の(*注2)の中に示す拙論「辛亥の変とワカタケル」に詳述している。 (2018年7月9日追記)