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大津市の園児死亡事故

2019-05-22 11:59:10 | 時事問題

 

保育園児が2名死亡した大津の直進車と右折車の衝突事故

この事故は直進車がクラクションを鳴らすことで防げた!

永井津記夫

 

  5月8日に起こった大津の園児死亡事故に関連して、私は12日にツイッターで次のように発信した。

***************************************

2日前、横道からオートバイが飛び出そうとしているのを見て、私はクラクションを鳴らすと同時にブレーキを力いっぱい踏んだ。私の車は若い男の乗ったオートバイの手前80cmくらいで止まった。オートバイもブレーキをかけたようで車が走り抜けても接触しない距離、車から30cmほど横に止まって 

いた。間一髪で衝突事故を避けた。私は運転するとき、前方に注意をむけているが、横道などから飛び出す子どもや自転車やバイク・車にも注意し動いていればクラクションを鳴らすようにしている。クラクションを鳴らすことで150万kmほどの通算走行で事故を防げた思うことが5回ほどある。

2回は止まっている私の車の前を横切り道路を横断しようする子どもが対向車線から来る車を見ないで渡ろうとしたので、すぐ近くに来ている対向車に向けて思いきりクラクションを鳴らした。車は子どもに軽く接触したがケガはなかった。運転手は子どもの無事を確認し私に頭を下げて車を出した。

大津の園児死亡事故も、私なら動いている右折車にクラクションを鳴らす。漫然と車を右折させようとしていたのなら、それでブレーキをかけるはずだ。大津の事故は直進車には罪はないが、事故を未然に防げたかもしれない方法はある。米国のタクシー運転手が30年間無事故の秘訣を聞かれて、

「私以外はみな頭が変だと思って運転している」と答えたそうである。車の運転は他のドライバーを信用しないと恐くてできないが、交差点などでは自分の信号が青でも常に赤信号を無視して飛び出す車もあると考えて運転する必要がある。

***************************************

  以上が私のツイートである。“ツイート”は1ツイート140文字という制限があり、連続ツイートもあまり長くなるとフォロワーが読んでくれないおそれもあるので、私は最長でも5~6ツイートに収まるようにしている。  

  上記のツイートで「クラクションを鳴らすことで通算150万キロほどの走行距離の中で事故が防げたと思うことが5回ほどあった」と述べているが、ツイートの記述のためかなり端折って表現している。正確に言うと、“クラクションを鳴らすことで大きな事故になる可能性のある状況を克服したのが5~6回、小さな事故になるのを防いだのが10回近くある”ということである。相手がクラクションを鳴らしてくれたおかげで事故にならずに済んだと思う状況が2回ある(52年間通算走行距離約150万キロの中で)。

  クラクションを鳴らすのは、所定の場所と緊急の時以外は使用してはならないことになっているが、私は自分が緊急だと判断した場合、必ずクラクションを鳴らすことにしている。それで上に書いたように二度、対向車線の車が子どもをはねて(おそらく)大ケガをさすのを防いだことがある。

  ③の状況を正確に言うと、JR阪和線の踏切で電車が通り過ぎたあと、踏切から30メートルくらいの距離にいる私の車は前の車がまだ動き出さないため停車中である。私の車の前を(いわゆる子どもではなく)17、8歳の少女(目鼻立ちのはっきりした色白の美人であったが、視点が定まらず心ここにあらずの状態のように見えた)が道路を横切ろうとし対向車が来ているのを確認もせず反対車線側に一歩踏み出そうとした。踏切を渡った最初のトラックが加速をしている。私は躊躇することなくトラックに向かって思い切りクラクションを鳴らした。運転手は異常に気づいてブレーキをかけ、2トントラックの先端部が少女の左腕に軽く当たって止まった。トラック運転手は降車して少女に声を掛けたが少女は逃げるようにそのまま立ち去った。彼は私に頭を下げて(後続車がつかえていることもあり)トラックを発進した。もし、私がクラクションを鳴らさず、このトラック運転手のブレーキが遅れていたら少女は大ケガをしていたか、最悪、道路に頭を激しく打ち付けて死亡していた可能性が多少はある。

  5月8日の大津の事故、右折車が直進車の側面にぶつかり、コントロールを失った直進車が信号待ちをしていた保育園児の集団につっこみ、2名を死亡させ十数名に負傷させた事故は私に言わせれば“クラクション”を鳴らすことで防ぐことができた事故(その可能性の高い事故)である。

  もちろん、法的には前の右折車に続いて漫然と右折をしようとした車が“悪い”のであるが、直進車も私から見れば不注意であり“下手くそ”である。

  右折車の運転手の証言「前をよく見ていなかった」は、直進車優先の原則から右折車が悪いという結論になり、それは間違ってはいないのであるが、私の目からは直進車にも“不適切な対応=事故を避けるための最善というより当然の努力を欠いていること”がある。

  私がこの直進車ならどうするか。事故の原因となった右折車の直前に右折車があり、その車に続いて事故を起こす原因の右折車が続いたという状況である。ということは、直進車には事故の直前に右折した車が見えていたはずである。私はこのような場合この右折車にクラクションを鳴らす。続く右折車も動いているならなおさらである。もちろん、足をアクセルから離し、ブレーキの上に置き、ブレーキランプが点くようにして後続車に注意を喚起する。実際に踏むかどうかは右折車の動向をみて決める。クラクションは右折車に向けて鳴らしているのであるが、同時に後続車に向けても急ブレーキをかける可能性を知らせているのだ。急ブレーキをかけた場合、後続車に追突されてかえって危険な場合もある。

  これだけの対応を直進車がしていれば、右折車の運転手がよほど精神状態がおかしくないかぎり事故は未然にふせげたはずである。たしかに、人間だれしも“ぼやっと”している空白の瞬間はあり得る。その時のクラクションが事故を防ぐ。

  不必要なクラクションは鳴らしてはいけないが、事故を防ぐための有効なクラクションは鳴らす必要がある。ただし、本当に間一髪の時にはクラクションを鳴らさずブレーキだけを踏むべきだ。というより、クラクションを鳴らす余裕はない。

  52年間の運転歴において四輪車でいかなる事故も起こしたことはない(ただし、交差点で止まっている私の車に追突されたことが一度ある。また、若いころオートバイ「ホンダCB72(250cc)」に乗っていて、雨の降り始めの砂のある路面などで滑って4回ほど横滑り状態で倒れ擦過傷を負ったことがある。この時、後ろからトラックでも来ていたら今このブログを書く私はいない)。今回の大津市の園児死亡事故に関連して、あるテレビのアナウンサーが(だれから聞いたのか)「事故を防ぐ重要な要素は“反射神経”です」と言っていたが、その“反射神経”を使う前の“判断力”の方が重要である。ブレーキを踏んで間一髪で事故を避けるより、クラクションを鳴らして相手の注意を喚起してそれで事故を防げるならそれに越したことはない。私に言わせれば重要度の割合は“判断力(+それに伴う対処処置)”7割、“反射神経”3割である。

   私は免許取りたてのころ、「はっ」と思ったら、ブレーキに足が行くようにイメージトレーニングをした。また、赤い色を見たら足がブレーキに行くようにイメージトレーニングしていた。実戦(道路走行)において事故を未然に防ぎ非常に役に立った。この足の移動イメージトレーニングは自動車教習所などでは教えていないし、運転技術関連の本にも載っていない、車の走行時に欠くことのできない“反射神経”のトレーニング法である。

  現在、運転していて一番気になる(恐怖を感じる)他のドライバーの欠点は道路の左側(運的席の反対側の)に寄せる技術がないことである。帰宅する道は道路幅5mくらいでセンターラインは引かれていないが私の車が近づいているのに車を左に寄せず(私が頭の中で作りだした)センターラインを大きくはみ出して、下手をするとすれ違う直前に私の車を基準にして左に寄せるドライバー(老若男女問わない)が大半である。本当に怖い。これは、センターラインをイメージで作り出せないことと左に寄せる技術が乏しいことに起因していると思う。

  センターラインに右側タイヤをのせる技術は、実際にセンターラインのある道路で練習するか、路面電車が走っていれば右側タイヤを線路に乗せて走れば感覚を身につけられる。これが運転中の右足を線路(ライン)に乗せている感覚となれば成功である。左側の感覚も左側タイヤを線路かラインに乗せて走れば磨くことができる。それと、左側に段ボール箱などを並べて車の左側が段ボール箱にぎりぎり接触する位置関係を把握する。

  自動車教習所で右側タイヤを(センター)ラインに乗せて走る練習と左側タイヤを左端のラインに乗せて走る練習を取り入れるべきであろう。この練習をすれば狭い道で対向車に恐怖を与える、ぎりぎりまでセンターラインをはみ出して走る(下手な)運転はなくなるはずである。

  運転技術等に関して少し付け加えておきたい。

  2016年1月15日碓氷峠バイパスのゆるやかな下り坂での軽井沢スキーバス転落事故(運転手2人、乗客39人中15人が死亡)についても述べておきたい。「大型バスの運転は自信がない」と言っていた運転手が制限速度50キロの下り坂の道路を100キロくらいのスピードで走行し道路の右側のガードレールを突き破って3メートル下の崖の斜面に転落した。

  この事故に関して、当時いろいろとテレビなどで現役バス運転手や評論家等がコメントをしていたが、肝心の運転技術をコメントする人がいなかったように思う。カーレースなどで使われる「スローイン・ファーストアウト」の技術である。“カーブ手前(の直線部分)で十分に減速し、加速しながらカーブを出る”テクニックのことである。大型トラックやバスの場合はカーブで少し加速した方が向心力を生み出し車体が安定する。カーブの手前で十二分に減速すれば、やや加速しながらカーブを抜け出てもそれほど大きなスピードの増加にはならない、というより減速分を取り戻せばよいのでスピードは上がらない。とくに、荷物を積んだ大型トラックの場合(乗客を多数乗せているバスも同じ)、やや加速(レースのようにできるだけ速く抜け出すという意味ではなく、ほんの少し加速してという意味である)してカーブを抜けるテクニックを使わないと荷物が遠心力で(カーブの外側方向に)片寄ってしまって危険な状態になる。事故を起こしたドライバーはこのテクニックを欠いていたのだ。下り坂の速度増加に対して減速するためにブレーキを頻繁に使いすぎ、エアーブレーキの“空気”を浪費し、結果としてブレーキの制動力を失い、下り坂でバスにスピードがつきすぎて制御不能となってしまった。スローインの原則を知っていれば繁雑にブレーキを使う必要はなくバスが制御不能になることはなかったはずだ。スローイン・ファーストアウトのテクニックは一般ドライバーも知っておいて山道などで使いこなすべき知識であると思う。

  私が車を運転していて非常に恐いのは自転車の無灯火運転である。これは明らかな法律違反であるが、警察の対応は甘い、というより取りしまる意志がない。飲酒運転の取り締まりは時々最寄りの駅から自宅までの範囲の道路でもやっているが、自転車の無灯火や反対側車線の走行(つまり、逆走)の取り締まりは見たことがない。が、自転車の無灯火や逆送は非常に危険だし死亡事故に至らなくてもかなりの事故を引き起こしているはずである。飲酒運転の摘発もけっこうだが(金になるためか?)、自転車の無灯火や逆送も飲酒運転と同じくらいか、それ以上に危険だ。

  運転についてまだ述べたいことはあるが、これくらいに止めておきたい。 (2019年5月22日記)

 

(※注) 今は家族との関係でオートチック車に乗っているが、4年前までミッション車に乗っていた。オートマチック車の欠点は坂などを(車庫入れなどの場合)バックで上がるとき、半クラッチが使えずスピードの微妙な調整ができないことである。

  私は運転する場合、前方に80%(正面30%、左30、右20)、後方に20%くらいの注意を向けている。後方も注意しないと危ないことがある(走行しながら視線を前方からそらさず後方を見るにはドアーミラーよりフェンダーミラーの方がよい。なぜ、外国に合わせてドアミラーを許したのか)。後ろに車間距離もとらずについてくる車もあり、交差点の直前で黄色信号になったからといってこちらが急に止まると後ろから追突される可能性がある。私は、クラクションを鳴らして(後ろの車に警告して)停車するか、そのまま走り抜けるか判断している。後ろが大型トラックなどの場合は(追突されるのがイヤで)そのまま走り抜ける場合が多い。私が走り抜けた場合、後の車の10台中8台は(大阪の車であるが)私の車の後についてくる(クラクションは少なくとも2種類ほしい。普通のものと、やさしく歩行者に注意を促すものである。できれば、後続車に対して有効なクラクションがあればさらによい)。

  今あおり運転をする悪質ドライバーが問題になっているが(あおり運転はしてはならないことである)、高速道路の場合は右は追い越し車線であり、二車線の高速道路であれば原則的に追い越しが終われば左側車線にもどらなければならない。が、普通の道路と同じ感覚で追い越し車線を左側の車と並走している車がある。これは止めて欲しいし、違法である。






  


小学生のための国語作文指導法③

2019-05-16 22:51:59 | 国語問題・作文指導

小学生のための作文指導法 ③ 

創作文の書き方 SCHOOD

永井津記夫 (ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  「小学生のための作文指導法」 というタイトルで二つブログを書きました。今回はその延長線上にある“創作文 (Creative Writing) の書き方”について述べていきたいと思います。米国ではEssay Writing (小論文)(注1)の書き方の指導と並行して小学校高学年になると創作文(Creative Writing) の指導にも力を入れています。米国には明確な作文の指導指針があり、良いテキストもあり教師は自信を持って生徒の指導にあたっているようです。が、日本には、とくに創作文に関しては、良いテキストもなく、ごく少数の自覚した人たちが指導をしているだけのようです。

  それでは浅学非才を省みず(論文については数多く書いてきましたが、創作文に関しては大学時代に課題のショートショートを英文で書いたのみで小説など書いた経験はないのですが)、お父さん、お母さんの中には創作文の指導を子どものためにしてあげたいと考えている方もおられると思いますので、“小学生のための創作文の書き方指導法”を示してみたいと思います。これは50年前の大学時代にギルキー先生から受けた講義に基づいています。

  “創作文”の書き方指導法を述べる前に、前の二つの「作文指導法」の復習を簡潔にしておきたいと思います。

  前々回のブログ「小学生の作文指導」において、初歩的な形であるが三部構成 (問題・討論・決定) の形の作文法を示しました。指導者(お父さん、お母さん) は適切な題を与えて三部構成で書く練習を生徒にさせればよいのです。「将来、何になりたいか」という“卒業文集”のテーマにしばしば使われるものを題に選ぶのは定番であり生徒も書きやすいでしょう。ただし、手紙の拝啓(出だし) 敬具(終わり) にあたる部分の書き方はひな形を示しておくことが肝要です。

 

       [小学校高学年用] 

 

   (題:) 私の将来の仕事            

                (名前) □□△△

 

 私が将来なにになりたいか。それはもう決まっています。(問題)

出だし

 私はプロの漫画家になりたいのです。

なぜかと言うと・・・             (討論)

私は・・・

父は、・・・

 

 

本文

本文

 

 上のような理由で私は漫画家になりたいのです。  (解決)

 

終わり

終わり

 

 

  













 


  「小学生のための国語作文指導法」に続く「小学生の国語作文指導法 ②」では「問題・解答」型の文章を示して、小学生の卒業文集などで「題(あなたは将来どんな人になりたいですか。その理由も書きなさい)」を与えて作文させるやり方は、生徒の書いたものが「解答」になり、書く題を与えて指示する部分が「問題」となり、二つを合わせて、「問題・解答」型の“文章”になると説明しました。

  ショートショート、短編小説、小説などの創作文も基本的には(大きくとらえると)私の説く「問題(出だし)・討論(本文)・解決(終わり)の三部構成になると言えるのですが、これでは創作文のポイント(要点)を示したことにはなりません。創作文は「出だし」が非常に重要でここをどのように書くかで作品の良さが七、八割方決まると言ってもよいと思います。

  それでは、創作文の構成法を述べていきます。ここで扱う“創作文”はいわゆる“ショートショート”と呼ばれるくらいの長さのもので原稿用紙で3枚から5枚まで、文字数で1000字から2000字程度の長さのものと考えてください。

  創作文の構成の基本要素はSCHOOD (スクード)です。“school (スクール、学校)”は英語を学んだ人ならだれでも知っている単語ですが、“schood”というような英単語はありません。これは次の言葉の頭文字をとって合わせたものです(内容を考えると複数形で示した方がよいものもありますが、すべて単数形で示します)。 

 ① Scene (場面設定): time 時 location 場所

 

Action

 ② Character (登場人物、配役) 

 ③ Hero (主役[主人公]…女性なら、Heroine)

 ④ Object (目的…主役が行動する目的)

 ⑤ Obstacle (障害…主役が行動するときに生じる障害)

 ⑥ Destination (目的地、到達点…主役が行動し最終的に目指すもの、到達するもの)


  以上がショートショートをつくるときに必要な基本構成要素です。①から⑥を貫いているのは Hero の Action(活動) です。

  客船が船員と乗客を乗せて目的地に向かう場合にエンジンを動かして推進力を生み出す必要があります。この「エンジンを動かして推進力を生み出すこと」がActionだと考えるとよいと思います。

  「elements of a short story」という語句でグーグル検索などをすると、米国人作家などがshort story の書き方の説明をしています。①の“Scene”については“Setting(設定)”としている人が多いようです。また、⑤のObstacleの代わりに”Conflict(衝突)”、⑥のDestinationの代わりに“Resolution(解決)”を用いる人もいます。“Plot(筋立て、構想)”や“Point of View(一人称で書くか、三人称で書くか、著者の視点)”を基本要素の中に入れる人もいます。細かなことを加えていくと、基本要素はいくらでも増えるので、私は大学でギルキー先生から学んだ“SCHOOD”を用いることにします。

  ここで、日本のショートストリーの元祖とも言うべき「昔話」を取り上げて分析してみましょう。

S: Scene 場面設定  C: Character 登場人物   H: Hero(Heroine) 主人公 

Oj: Object 目的  Os: Obstacle 障害  D: Destination 到達点、目的地

    日本昔話  桃太郎

 むかしむかしあるところにおじいさんおばあさんが住んでいました。 

 おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。

 おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
 「おや、これは良いおみやげになるわ」
 おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
 そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」
 子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
 桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。
 桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。

 そしてある日、桃太郎が言いました。
「ぼく、鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、わるい退治します」 
 おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。
 旅の途中で、イヌに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 イヌはきび団子をもらい、桃太郎のおともになりました。
 そして、こんどはサルに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 そしてこんどは、キジに出会いました。
「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」
「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」
「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」
 こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れた桃太郎は、ついに鬼ヶ島へやってきました。

 

 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。
「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」
 イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。 
 とうとう鬼の親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」
と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。D
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。

おしまい

 

 Scene 時、場所

 Character 1(=C1) おじいさん

 Character 2(=C2) おばあさん

Actionスタート

 

 

 Hero登場 桃太郎

 

 

 

 

 

 Object (Oj) 鬼退治

 Obstacle (Os) 鬼ヶ島

 C3 イヌ

 Scene 場所:鬼ヶ島

 C4 サル

Action

 C5 キジ

Action

 Obstacle (Os) 鬼ヶ島

 

 C6 鬼たち

 

Action

Action(Climax)

 

 C7 鬼の親分

 

 

 Destination 到達点

 

 語りを終える言葉

 

 

 福娘童話集 > きょうの日本昔話 > 8月の日本昔話 > 桃太郎より

  (http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/08/01.htm)

 

   この日本昔話の「桃太郎」はショートショートの作り方、構成法を説明するうえで、格好の物語だと思います。

 

 ① Scenes (場面設定): time時…むかしむかし location場所…あるところで、鬼ヶ島

  

Action

 ② Characters (登場人物、配役)…おじいさん、おばあさん、イヌ、サル、キジ、鬼たち、鬼の親分 

 ③ Hero (主役…女性なら、Heroine)…桃太郎

 ④ Object (目的…主役が行動する目的)…鬼退治

 ⑤ Obstacles (障害…主役が行動するときに生じる障害)…鬼ヶ島、鬼たち

 ⑥ Destination (到達点…主役が行動し最終的に目指すもの)…幸せな生活


  私がショートショートを創作するうえで必要なものとして挙げたSCHOODがすべて見事に述べられています。「むかしむかし」や「あるところで」は“昔話”の決まり文句ですが、これを書き手のよく知っているか、または、読者がすぐに理解できる場所と時を設定するとよいでしょう。そして、主役(主人公)と脇役を登場させ、事件を起こせば(アクションを起こせば)よいということになります。

  小学生が初めて“創作文”を書く場合に、上記の“桃太郎”の昔話を少し変形する形で書くのも一つの方法かもしれません。が、これは子どもによると思います。

  さて、ショートショートだけには限りませんが、小説などの創作物では「出だし」が肝心です。ここで読者が興味をいだいて読んでくれなければ、あとの構成がすぐれていても我慢して読んでくれる人はごく少数でしょう。

  「出だし」の部分を書いてみます。

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 キーイーイン!それほど大きくはないが、耳の底に残るような変な音がした。夏休みが始まったばかりの7月末の真夜中。裏山から今まで聞いたことのない金属音にびっくりして、吉夫は庭に飛び出した。事件発生(Action)、時と場所の設定(Scene: Place & Time )。主役(Hero=吉夫)

 赤いオレンジ色の光が裏山から放たれている。時刻は午前2時。まわりには新しく開発された住宅地があるが、吉夫の住んでいるところは昔からある小さな山村である。この異変にだれも気づいていないようだ。吉夫はいったん眠ることにした。

 9時過ぎに母に起こされて目覚めた。近所に住む友だちで一学年下の小学5年生の健介をさそって、家から100メートルほど離れたところにある。高さ60メートルほどの裏山に登った。変な音とオレンジ色の光の謎を解明にするためである。

  …登場人物(脇役)(Character: 母、健介) Action(裏山に登った)  目的 (Object:謎の解明)

********************************************

  この後にObstacle(障害)を入れて事件を展開し(Action)、最後の到達点(Destination)に至るようにもっていきます。続きは、考えてみてください。

  もう一つだけ付け加えておきます。それは、主人公を三人称(上の例では“吉夫”)で書くか、一人称(ぼく、わたし)で書くかということです。最初は子どもの書きやすい方を選んでください。慣れてくれば、どちらでも書けるように練習をさせてください。

  子供たちはある程度、書けるようになると、いろいろな物語や昔話や子ども向けの短編小説なども読みたいと思うはずです。“人物描写”や“情景描写”などの細かいテクニックは(子どもにもよりますが)中学生から高校生になって読書をすることによって習得するか、今はインターネットが発達しておりネット検索で習得していけるはずです。まず、子どもに文章を書く(Essay WritingとCreative Writing)くせをつけてください。  (2019年5月16日記)

 

(注1) 「Essay Writing=小論文(の書き方)」というとこむずかしく聞こえますが、自分の考えや意見をまとめて書くことだと考えるとよいと思います。「Creative Writing=創作文(の書き方)」。“創作文”は主に(短編)小説や詩(俳句、短歌を含む)のことだと考えてください。


(※注) SCHOODはあくまで基本であってこの基本をはずれる場合はありえます。「小学生のための国語作文指導法」で述べているように、「思うように書きなさい」 という作文の指導法では“創作文”を書くことはとうていできないことなので、このブログで創作文の型を“SCHOOD”という明確な形として示したのです。

  まず、“型”を習得し、その型をはずれて独自の“型”を生み出すことは有って当然です。絵画や音楽においても天才は型破りが多いです。子どもたちの中には“型破り”の天才もいると思います。

 


戦争少年と反日少年

2019-05-04 03:31:07 | 時事問題

戦争少年と反日(反民)少年の分かれ目

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

※「戦争少年」 とは日本が太平洋戦争に打って出たことを侵略戦争(悪)とは考えず、人種差別をし、侵略戦争をし、世界各地を植民地にして分割支配していた欧米列強の理不尽・傲慢さをうち砕く戦争だったと考える(終戦時には12歳を超えていた)少年たちである。

※「反日(反民)少年」 とは日本が太平洋戦争に敗れ、“墨塗りの教科書”で小学校の教育を受けた少年たちである。もちろん、それ以降の少年も含み、米国GHQのWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)によって「日本悪し」の意識を刷り込まれた少年である。

 

  戦前の生まれで、“戦争少年”と自称していた経済学の碩学・小室直樹氏(1932年9月生)や英語学者で歴史問題にも造詣の深かった渡部昇一氏(1930年10月生)は太平洋戦争終戦の1945年には12歳を超え、現在の中学生の年齢に達していた。

  一方、昨年末の韓国海軍レーダー照射事件に関連して、韓国弁護論を展開した元東大教授の和田春樹氏(1938年1月生)は終戦時7歳であった。

  また、“反日”偏向番組と批判されることのある「サンデーモーニング」で司会を務める関口宏氏 (1943年7月生)は終戦時2歳であった。

  2月7日和田春樹氏らの「2019年日本市民・知識人の声明」という“植民地支配への謝罪をすべし”との声明を受けて、私はツイッター(https://twitter.com/eternalitywell)で次のように発信した。

 

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  1960年の安保闘争は1935~1938年生まれが核となった“全学連”が闘争を展開した。墨塗りの国定教科書で小学校の勉強した世代だ。和田氏もこの世代だ。戦争に参加したが、GHQの追放・粛清によって物を言えなくなった政治家や教師、また、米国の走狗となった連中を彼らは内心バカにし軽蔑していたと考 えてよい。そして、この世代が在日コリアンたちを政治運動に誘い込み、事実をねじ曲げた日韓(朝)の歴史を作り出したのだ。

  ある在日朝鮮人の活動家は、デモをしている大学生に「なぜ君はデモに加わらないのか」と呼びかけられ「私は朝鮮人だ」と応えると「差別されている君たちこそ参加すべきだ」 と言われ、それがきっかけとなり政治デモにも参加するようになったと述べていた。つまり、安保世代の日本人と同世代の在日コリアンの共闘が始まったのだ。そして、この世代が「朝鮮通信使を見ると江戸時代に日朝は仲がよかった」という虚妄の説 (数回、私はツイッター等で否定)(※注) を持ち出したり「日帝36年の植民地支配と搾取」というような事実をねじ曲げた、日本を悪者にする悪意に満ちた見解を流布し、今もしているのだ。歴代の日本の政権に大きな責任がある。過去と現在と未来の日本人の名誉のために頭を働かせて、反民日本人と反民在日コリアンを押さえ込むべきだ。

 

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  以上のように発信したのであるが、全学連世代は“墨塗り教科書”で教えられ、本当のこと(または、本心)を言えなくなった教師や政治家や新聞をはじめとするマスコミや周りの大人たちを見て育った人たちである。この世代には米国の日本洗脳教育WGIP(戦争犯罪意識植え込み計略) が非常に効いたのである。

  ところが、終戦時に小学校を卒業していた小室氏や渡部氏の世代は米国のWGIPが効かなかったようで、小室氏は日本が太平洋戦争で負けたのがよほどくやしかったのか『太平洋戦争こうすれば勝てた』という本も書いているほどである。渡部昇一氏は、中国共産党が主張する市民大虐殺のような南京事件は基本的になかったという立場で米国のWGIPの影響などまったく受けていない人物である。

        生年月      終戦時の年齢

*渡部昇一  1930年10月      15歳  

*小室直樹  1932年9月      13歳

   ++++++++++++++++++++++++++

*和田春樹  1938年1月       7歳

*関口 宏   1943年 7月       2歳

 

  これを見て分かることは終戦時に小学校を卒業し、現在の中学生の年齢に達していれば米国の教科書内容改変など意味をそれほど持たず、どうすれば日本が戦争に勝てたのか考えるような人物がいたということである。この世代は戦前、日本がABCD包囲網などで経済封鎖され戦争に追い込まれていく状況も終戦時近くの時点でかなり理解できる年齢であったと考えてよい。この世代は2019年現在、87歳以上であり、日本人の男女を合わせた平均寿命の84歳を超えており、すでに死亡している人が過半数を超え、十数年もすればこの世代はいなくなる。

  一方、WGIPに洗脳・汚染された和田春樹氏の世代も80歳に達している。つまり、現代の日本人はほぼWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)による米国の洗脳教育を受けた世代とその世代の影響を受けた世代、さらに次の世代とWGIP洗脳計略、戦略の影響にさらされた者たちが大多数を占めているのである。

 

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※※関口宏氏「反日少年」 というと本人からもまわりの支持者からも反論がくるかもしれない。正確に私の用語を使えば「反民(的)少年」となる。好意的にひびく表現をすると、「反戦少年」となる。これは、私が二分したもう片方の側の小室氏や渡部氏が“好戦的”ということを意味するのではない。

  恐らく、日本人の八割以上、いや、もっと多いかも知れないが、「戦争は賛成か反対か」と聞かれれば「戦争は反対だ」と答えるであろう。上記の戦争少年を自称する小室氏や渡部氏も「戦争は反対だ」と答えたであろう。私がここで述べている「戦争少年」とは、“(反戦少年と反対の意味の) 戦争賛成少年”という意味ではない。1931年の満州事変から日中戦争を経て日米戦争(太平洋戦争)にいたるまでの一連の日本の軍事行動を“悪”とはせず“是”と考える人たちのことである。

  戦後の米国軍統治機構GHQ(連合国総司令部)はWGIP(War Guilt Information Program=戦争犯罪意識埋め込み計略)によって、日本政府や日本のマスコミや教育界を完全にコントロールし、 “日本の軍国主義が一連の侵略戦争を引き起こした”とし、米英中露(ソ連)への批判と朝鮮人に対する批判を禁止し、日本政府と日本のマスコミ (岩波書店のような出版社を含めて) は完全に日本周辺の非道国へ何も言えない“腰抜け・内弁慶”になりさがったのである。日本の歴史教育は戦前も正しい歴史認識によって教科書等がつくられていたとは思わないが(縄文時代や弥生時代の評価、戦国時代の評価、江戸時代の評価などについて私は異論がある)、戦後は、さらに、GHQの意向を受け、WGIPに汚染・洗脳された教育関係者によってある方面ではさらに曲がっている部分がある。

  私がこのブログで問題にしている和田春樹氏は1938年1月生まれであるが、この2、3年前の世代から小学低学年で“墨塗り教科書”で学んで、WGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)にはまって洗脳・汚染された世代と言ってまちがいない。

  「反戦少年」は結構であるが(私も“反戦少年”だったし、今もそうである)、日本周辺のヤクザ国と野蛮国の行状・言動をよく見て、日本人が安全に生き延びていく方策をさぐらなければならない。「日本を十年以内に核攻撃する(中国軍高官の2005年の発言)」、「東京を火の海にする(北朝鮮)」というような脅しを平然とする国、慰安婦問題や自称徴用工問題で国家間の条約による合意を無視し、レーダー照射問題でも嘘を平気で吐く韓国のような国は、私に言わせれば“ヤクザ国”である(ただし、まともなヤクザなら約束は守るかもしれない)。米国は、最初は白人が原住民のアメリカンインディアンを虐殺・駆逐して作った国であり、その後、黒人を奴隷として使い、対外的には、メキシコとの戦争でテキサスやカリフォルニアを獲得したあと、ハワイ王国を滅ぼし、フィリピンをスペインから奪い、植民地化する際に数十万人のフィリピン人を殺害した。この米国に日本が朝鮮半島や満州を軍事侵略したと言われる筋合いはないのだが、米国のWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)は現在の日本人に(政界、財界、マスコミ・出版界、教育界に)深く浸透し、大きな影響を与えている。

  日本周辺の国は軍事武装したヤクザ国である。哲学や宗教心による自制心を欠く支配層が国家を運営していると考えてよい。この状況で日本が武装することに反対し日本の反撃能力(=攻撃能力)を最小にしておこう、弱小にしておこうとする姿勢はヤクザ国の思うツボである。この点において“反戦少年”はマスコミなどで活躍すると結果として日本国民全体の安全を損ねることとなり、私が言う“反民的”行動となり、「反民少年」となり、世間一般の用語にしたがうと「反日少年」となる。

  ヤクザはケンカしたら逆にやられると思った相手には手を出さない。日本は自ら先に手を出すようなことはしてはならないが、“武装”する必要はある。手を出せば恐ろしい目にあうと相手に思わせる必要がある。“武装”には二種類ある。軍事的(物質的)武装と精神的武装である。両者とも大切である。現在の日本は後者がとくに欠けている。WGIPによって現在の日本人の大多数が牙(軍事武装と精神武装)を抜かれているのだ。

  自分の家が強盗かヤクザに侵入され、襲われ、自分の親兄弟や妻子が暴行され殺されようとしているとき何もしないで見ているような精神は正常ではない。日ごろから防災グッズを用意しておくように“防衛グッズと反撃精神”が必要である。家にも国にも軍事的武装と精神的武装が必要なのだ。(※この部分5月8日追記)

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  私の父は、太平洋戦争でインパール作戦に参加し、作戦中止後、雨期で増水していたチンドウィン川を無事渡りきり(渡ろうとした時、英空軍機の機銃掃射を受け、[荷物を持ち服装もそのままで]あわてて川に飛び込んだこともあり、周りにいた兵士のうち半数以上が溺れ死んだ、水泳ができなければ生き残れないと父はよく言っていた)、白骨街道を同村で同窓の親友に肩を貸しながらタイまで撤退し、終戦後、英軍の捕虜となり、昭和21年6月に帰国し、その翌年に私が生まれた。私は1947年生まれ、つまり、戦後生まれで、いわゆる“全共闘”世代である。この全共闘世代も全学連世代と同様に、WGIPによって沈黙させられた政治家と教師達の中で育ち、“日本がまちがった侵略戦争をしたのだ”という風潮、教育環境の中で育ったのである(もちろん、私もその中の一人である)。

  これは私の個人的見解であるが、全学連世代も全共闘世代も本心を語らない大人や教師たちを内心 (深層意識的に) 軽蔑していたのではないのかと思っている。私は大学を出ると英語の教師として教壇に立った。その数年後の昭和48年か49年のことだったが、私の対米意識に大きな衝撃が走った。産経新聞に次のような趣旨の記事が載ったのである。

***米国人女性で終戦直後に日本に来てGHQの職員として働き、原爆投下直後の広島の生き地獄さながらの惨状を実見して、「原爆投下を決断し実行させたトルーマン大統領は悪魔だ。墓を掘り返して火あぶりにすべきだ」という内容の本が出版された。*** 

  この本の題名も作者の米国人女性の名前も当時記憶していたのであるが、四十数年前のことで今は残念なことに思い出せない。この女性の「原爆投下は決行したトルーマンは悪魔だ」という言葉は私の中にくすぶっていた“原爆投下は女性子どもを含む一般市民を何十万と殺す赦しがたい戦争犯罪ではないのか”という気持が間違いでないことを確信させてくれたのだ。つまり、この時、私の中で、米国が仕掛けていたWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)による日本人洗脳教育は吹き飛んで消滅したのである(注1)。 

  全学連世代全共闘世代も米国のWGIPによって洗脳され、その後の世代も同様の影響を受けてきた。この状況で、現在の日本の国会議員、官僚、マスコミ(新聞、テレビなど)とその関係者(ジャーナリストら)や教師や教育関係者など、将来の日本を背負う若い世代に影響を与える人たちのほぼ全員が米国のWGIP洗脳教育の影響下にまだあると言っても過言ではない。

  マスコミやジャーナリストの論調を見ていると、日本政府の諸政策は厳しく攻撃し阻止しようとする(もちろん、問題のある政策も希ではないからそれに反対するのは与民的行動であり私も賛成する)。が、日本周辺の、人民を収容所に入れ圧迫、迫害、処刑を重ねている北朝鮮や中国の非道は報道しない。米国GHQの実施したWGIPの中には日本周辺の中国、韓国、北朝鮮、ソ連(ロシア)、英国、米国の批判を行なってはならないという条項があった。これを忠実に守ってきたのが朝日新聞、NHKなどの日本のマスコミである (注2)。 

  戦前、朝日新聞をはじめとするマスコミは読者数を増やすため戦意高揚の記事を載せるだけでなく、「満州は日本の生命線」などと軍部を煽り、政府の外交政策を「弱腰」「軟弱外交」と非難し、対外強硬路線を強調し、開戦を主張するなど、中国の戦線の拡大、国民を開戦支持へ誘導する積極的役割を果たした。外国を誹謗・攻撃する記事は平気で書いていたが、戦後はこの正反対である。GHQの脅しに屈服し、WGIPを忠実に実行し日本政府の諸政策、とくに国防に関する諸政策には敵対し、日本を “国防力の無い弱小国”にしておこうとする日本周辺のヤクザ国、野蛮国の意を体して、とくに米国の意を受けて、記事の編集・報道しているように私には見える。

  もはや駐留米軍による日本統治は遠い昔に終わり、WGIPの束縛などないはずであるが、慣性の法則が働いているのか、まだ、脅しが続いているのか、金のためなのか、いずれにしても、「反政的」報道はともかくとしても、日本のマスコミは「反民的」報道を遠慮なく垂れ流している。複数の新聞社は読者を際限なく減らし続け、企業として存亡の危機にあるのに日本人に嫌われる“反民的”報道を続けているようにみえる(それほど日本周辺のヤクザ国の側面援助がしたいのなら日本から出ていけばよいというのが私の正直な気持ちである)。

  もし、日本のジャーナリストや政治家やその他の重要人物たちが外国から脅かされている (金とセットになっているかもしれない) としたら、それを防止する強力な法律が必要である。それをスパイ防止法と呼ぼうとテロリスト排除法と呼ぼうとかまわないが、脅される日本人を守るためには必要不可欠なものである。が、どういうわけか、スパイ防止法的なものは、政府の提案の仕方もまずいのか、マスコミがいっせいに反発する。ともかく、外国の組織(諜報機関など)によって、日本人が脅されたり殺されたりしないシステムをつくる必要がある (注3)

 

(注1) 米国人女性について名前と著書を知るために、インターネットや図書館などに問い合わせたのであるがどこも分からないという返事であった。ネット検索をしてもヒットしない。最後に産経新聞に問い合わせたのであるが、昭和48、49年ころの記事はデジタル化されていないため掲載年月日が分からないと検索できないとの返事であった(このような返事しかできない状況があるのかもしれない)。ネット検索にかからないのは朝日新聞が慰安婦報道の英文の訂正記事にnoindexなどのメタタグを付け検索にかからないようにしたのと同じようなことがあるのかもしれない。 

  冷戦が終わり、米国の機密情報が公開され、 いくつかの核ミサイル照準の照準が同盟国の日本に向けられていたことが分かり、これはマスコミにも取り上げられ2000年ころはネット検索できたのであるが、今はまったく検索できない。これも米国の圧力がかかって消去されたのか、それともメタタグが埋め込まれたのだろうか。

(注2) 私のブログ『反民マスコミ』を参照していただきたい。 中国や朝鮮人の批判を禁止したのは、両者を利用して日本を(精神的に)押さえ込む意図があったと思われる。中国と朝鮮(韓国と北朝鮮)が捏造と虚妄の歴史観をつくり、日本を悪者にしようとするのは狡猾な米国の意図にそっている面がある。マスコミに外国からの資金が入ることはあってはならないし、間接的に入ることも阻止する必要がある。

(注3) 私のブログ『反民マスコミ』の(注1)を参照。

(※注)  朝鮮通信使・日朝友好の虚妄

*「朝鮮通信使」が江戸時代の日朝友好のシンボルであり、証拠だと日本でも韓国でも主張する者がいる。が、歴史的事実を誤解している。当時、朝鮮は秀吉軍に国土を蹂躙された直後であり、徳川家康の日本と交易したくはなかったが、拒絶して再び攻めて来られるのを恐れていやいや交易を再開したのだ。

*朝鮮通信使(徳川幕府は「通信使」ではなく「来聘使(ライヘイシ)」と呼んでおり意味は「朝貢使節」である)は江戸城まで行き、将軍に謁見した。が、日本の返礼使は王のいる首都ソウルまで行けず釜山に留められた。朝鮮側は日本にソウルに行く道を知られて再度日本に攻めて来られるのを恐れたのだ。日本には非常に失礼な応対であるが、交易したい徳川幕府はこれを容認した。両国は友好的とはとても言えない。

*歴史的事実をねじ曲げたり、捏造したりしてはならない。日本と朝鮮の関係において、日本側にも韓国(北朝鮮)側にも自分たちの都合のよいように事実をねじ曲げる者がいる。真の友好は事実をねじ曲げることでは始まらない。

 

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(※※注) 「反戦少年」は理想である。現在の日本は日本人が安全に生き延びてゆくうえで、理想を述べている(述べさせられている)。日本(人)は理想を述べるのは得意であるが、現実を見据えて対処するのは不得手であるというより、その意識を持つことができない状態にある。それを助長しているのがWGIP(戦争犯罪意識埋め込み計略)に脅迫され汚染洗脳されたマスコミ、与野党を問わない政党・政治家、教育関係者、評論家など(全てではなく大多数)である。

  日本の周辺を見渡して正義と真理を守る“紳士淑女”の国があるかどうか。「日本を10年以内に核攻撃する(2005年の中国軍高官の発言)」、「東京を火の海にする(北朝鮮)」というような脅しの言葉を平気で吐く中国や北朝鮮が日本のすぐ近くに存在する(この両国とも“国連”に加盟し人権理事会に所属しているが、これらの国を排除できない組織など私から見れば存在価値がない)韓国は慰安婦問題、自称徴用工問題、レーダー照射問題などででたらめな主張を繰り返し、国家間の約束も守らない国である。ロシア(旧ソ連)は太平洋戦争末期、日ソ不可侵条約を破って満州に侵入し日本兵を60万人近く抑留し“奴隷”労働をさせ、北方領土等を占領し、そのまま占領し続けている国であり、米国は自国の兵士が日本本土に上陸し(ゲリラ戦になり)大量に殺されることを怖れたためか、女性子どもを含む一般市民を広島と長崎の原爆で二十万人以上も虐殺した国だ。その前に日本の大都市を爆弾と焼夷弾で焼き尽くし非戦闘員の日本人を数十万人も虐殺しているが、この事実を大多数の日本人は無かったことにしている(させられている)。

  日本を取り巻く国に“紳士淑女”の国はないと考えるべきだ。ヤクザ以下の無法者の集まりと言ったら言い過ぎになるだろうか。日本は、周辺の“ヤクザ”国と“野蛮”国に対処するために、必要なのはまず“精神的武装”である。次に、実質的武装、軍事的武装である。

  米国は多分、(自分にとって)いちばん危険で恐ろしい日本を押さえ込むために朝鮮半島情勢と中国共産党政権を利用してきたといってもよい。周辺の緊張状況が高まれば日本に(中古、旧式の)武器を売りつけるチャンスも高まる。日本は国内で武器輸出(禁止)三原則を設けて輸出を規制し結果として武器開発などをしない国になっている。これは、世界の(多分技術的にはかなり劣る)武器輸出国(日本周辺のヤクザ国、野蛮国を含む)にとっては有利な状況である。日本が武器をつくらず、輸出をしなければ“粗悪品”でも売れる可能性がある。 

  が、武器は“見かけ”や“デザイン”で売れるものではない。実用性(壊れない、耐久性がある)と性能の高さが無いと売れない。これは日本が得意とする分野であろう。おそらく、世界一の品質を誇る日本車がそれを証明している。1988年のF1レースでは本田が16戦中15勝して本田のターボエンジンは無敵であったが、翌年からはターボエンジンは禁止となった。レースの世界では規制できるが、武器となると高性能・高品質が求められ日本の出番となるはずであるが、おろかにも(日本の周辺国と世界の武器輸出国のために)日本は武器輸出を制限している。武器をつくらず、輸出しないことは良いことであるが、それは他の諸外国も同様の状態でなければ意味はないし、逆に日本の防衛力もそぐことになる。新しい優秀な武器を開発する力もなくなるし、米国から武器を押しつけられて当たり前の状況となる。米国から武器を買うなら自前で調達しろ、というのが私の偽らざる気持ちである。多少は(いや、大いに) 日本のGNP、つまり、経済に貢献する。

  日本が武器をつくらなくとも他国はつくる。他国の“低品質の”武器が世界に出回るより、日本の高品質の武器が出回ったほうが世界のためにも日本のためにも良いのではないか、と私はしばしば思う。

  誤解をしないでいただきたいのだが、私は日本周辺の国をヤクザ国と野蛮国と呼んでいるが、それは国としてその支配層を“ヤクザ”“野蛮”と呼んでいるのであり、国民(人民)に対してはそのように考えているわけではない。できるだけ、他国をおだやかに評価したいのであるが、そのようにさせないのが周辺国(支配層)の傲慢、悪辣な言動であり、それを無かったことのようにふるまう日本のマスコミであり、日本政府、日本の与野党である。

  日本は戦前、日清、日露の両戦争に勝利し内外に対して傲慢になりすぎていた面がある。が、それでも欧米の他国を植民地にして利益を吸い上げていた国々や、奴隷制を敷き自国民を虐げていた李氏朝鮮や、農民を農奴のように取扱い自国民を大量に虐殺することも平気で行っていた中国よりははるかにまともな国家であった。が、米国を筆頭とする欧米諸国も、中国、朝鮮(韓国・北朝鮮)も自国の悪辣さを知られてはならないと考えてでもいるのか、必死で日本を悪者に仕立て上げることに懸命になっているように見える。その先頭を走っているのが中国、韓国、北朝鮮である。

  この状況で自己卑下・自己批判傾向の強い日本人は、自己(の長所短所)をしっかりと把握し対処する必要がある。日本の周辺国、とくに、中国と韓国・北朝鮮(の指導層)は自国の非道・無法・悪辣な過去・現在の歴史と体制を自己批判することなく、日本を悪者に仕立てつつ日本から利益を得ようと必死になっているのだ。

  それに側面協力しているのが(愚かで歴史認識と軍事戦略的思考を欠く)“日中友好議員連盟”であり、“日韓議員連盟”であり、批判をしようとしない日本のマスコミである。尖閣諸島での中国のふるまい、レーダー照射事件での韓国のふるまい等を考えれば両連盟は解散してしかるべき存在であり、所属議員は選挙で落選すべき連中である。が、いまだに存在している。両連盟は形は残しておいてもよいが、所属議員の大多数は辞任したほうがよい。現在のような状況で両連盟は平気で韓国や、中国を訪問しているが、本当に有権者(選挙民)をバカにしているとしか私には映らない。というより、訪問することが中国や韓国からなめられることになるということが分かっていない(友好関係を築くためにはいったん切ることも必要だ)。 (この部分、5月15日追記)