テロを根絶し、平和な世界を構築する方法
How to Eradicate Terrorism and Make the World Peaceful
永井津記夫
※この小論は前回の英文のブログの内容を日本語で書いたものです。英文の直訳ではありません。この日本文には有って前の英文にはない内容もあり、その逆もあります。前回の英文は日本語を先に書いてそれを翻訳したものではありません。骨子は日本語で考えていますが、英語6割日本語が4割くらいの比率で考えながら書いています。
前回の「北朝鮮問題」のブログの中で、私はテロに関連して次のように書いた。
日本人自身は気づいていないし、現在の日本人が築いたものではないが、テロを防止するために先進国の中で一番ととのった (文化的、宗教的) 背景・ 体制を持っているのは日本であろう。この要因は、日本が遠い昔(6世紀)に宗教戦争を終え(注1)、神仏を習合しえたことと、16世紀に戦国時代の覇者・豊臣秀吉が農民から武器を取り上げ“武”と“農”を分離し、徳川幕府も明治政府もそれを踏襲したことであろう。明治以降の移民政策、国籍取得政策にも関係がある。世界の多数の国が日本の移民政策を非難しているが、内心は日本の対処法を羨んでいるかもしれない。徳川幕府は270年の治世において、世界に類のない安全な国をつくり出した。
米国のラスベガスで10月2日に銃乱射事件が発生し58人が死亡し、500名以上の人が負傷した米国史上最悪の銃乱射事件とされている。このような“個人テロ”は通信の傍受の徹底などでは防げない。米国は“武”と“農(工・商も含む)”が分離されていない国、私に言わせれば、“野蛮な”先進国であり、まだ、刀狩り(=銃狩り)が行なわれていない国である。戦争のやり方は熟知していても、“テロ攻防論”においては無能な国だと言わざるをえない。個人によるテロを防ぐためには国民から銃を取り上げることが最上の対策となる。何らかの理由で憤慨、激怒、絶望した個人ができるだけ多くの人たちを殺そうとしたり、その人たちを道連れに自殺を図ることあり得る。このような個人テロを起こす者を出さないような社会の構築が必要であるが、その構築と同時に米国には“銃狩り”をすることが急務であろう。銃がなければラスベガスの乱射事件の犯人も58名もの人を殺し、500名以上の人を負傷させることはできなかったはずである。銃の殺傷力は刃物の殺傷力と較べものにならないほど高い。
2008年6月に日本の秋葉原で起こった「無差別殺傷事件」では2トントラックとナイフが殺傷用凶器として使われたが、もし、犯人が“軽機関銃”かそれに近い能力のあるライフルなどを持っていたら、死者は7名、負傷者10名というような数では済まなかったと思われる。日本でもこのような“個人テロ”は発生しているが、銃規制が徹底しているため、欧米のような多数の死者を出すようなことはまずないのである。
欧米の諸国がテロの根絶を願うなら、すべきことは二つある。一つは軍と警察関係を除いて、全国民に銃を持たせないようにすることである(これは個人テロに有効である)。あと一つは“神仏”の習合である(これは宗教的信念にもつづく集団・組織によるテロに有効)。具体的には、キリスト教と仏教、イスラム教と仏教、ユダヤ教と仏教の習合である。仏教は“神”の存在を否定しないので、排他的傾向のある“一神教”との連結・習合が可能である。一神教どうしの習合はおそらく現段階では不可能であると思われ、仏教のみが三本の手を出してキリスト教、イスラム教、ユダヤ教と連結することができる、つまり、仏教が核となる必要がある。私たちはそれを目指して努力を重ねなければならない。
平和を希求し努力奮闘する人たちに神仏の御加護があらんことを!
May God and Buddha bless those who aspire and strive for peace!
(注1)587年に用明天皇が没したあと、崇仏派の蘇我馬子と廃仏(敬神)派の物部尾輿との間で古代における大戦争となり、崇仏派の蘇我馬子が勝利し、以後、“神仏習合”がすすむことになった。
16世紀の戦国時代に、戦国時代を終息に向かわせた織田信長と一向宗の間で戦いがおこり、“政教分離”の思想を持っていたと思われる信長は、一向宗を力で制圧し、宗教勢力が政治に関与する形を排した。信長は寺社勢力が政治に関与するのを排除し弾圧したが、宗教全体を弾圧したわけではない。キリスト教の布教も認めていた。しかし、豊臣秀吉はキリスト教の布教を禁止するようになり、徳川家康はキリスト教を完全に禁止、弾圧した。キリスト教布教の中にスペイン等の東洋への領土的野心(植民地の確保)を感じたからだとも言われている。
信長、秀吉、家康の戦国時代の覇者によって16世紀末に日本における政教分離は達成されたのである。
1543年にポルトガル人によって種子島に鉄砲が伝えられてから、戦国時代ということもあって、あっというまに、鉄砲は日本中に広まり、その技術改良もすすみ、豊臣秀吉が天下を統一した1590年の時点では鉄砲の保有数はヨーロッパの全ての国の鉄砲の数の合計したものより多かった、つまり、世界一だったとする研究者もいる(戦後三十数年で日本の自動車は自動車王国の米国の車を性能やその他の面で完全に追い抜いてしまったし、コンピューターの集積回路や液晶技術、工作機械の技術においても日本は現在、世界のトップの座にある。太平洋戦争初期の零戦の戦闘性能は世界最高水準であった)。1600年に関ヶ原の戦いが行なわれたが、その時の東西両軍の総兵力は約30万人とされており、当時のヨーロッパ各国の軍隊は最大でも数万であり、10万を越える常備軍を持っていた国は一つもなかった。鉄砲の数や実戦的な刀・槍・鎧・兜の数や動員兵力から見て、日本は世界有数の「軍事大国」であり、同時に「軍事技術大国」でもあったと考えてよい。徳川幕府が、他国との外交交渉なしで鎖国政策をとることができたのも、軍事戦略論的にいえば、改良のすすんだ鉄砲の数と動員兵力などによる圧倒的な軍事力を背景にしていたからである。つまり、これは「武装鎖国」というべきものである。この「武装鎖国」によって徳川幕府は270年近くの戦争のない平穏な世をつくり出したのである(が、蒸気船の出現と強力な大砲、銃器の開発によって欧米と日本の軍事力のバランスがくずれ、優勢な軍事力を持つ米国に江戸幕府は「武装鎖国」を解除されたのである)。
日本は“宗教戦争”を6世紀末に終え、16世紀末に“刀狩り”と“政教分離”を達成した、三つの難事業を世界でもっとも早く達成した国である。どことは言わないが、現在においても宗教戦争を終わらせることができず、政教分離もできておらず、“刀狩り”もなされていない未熟で野蛮な国が世界には多数あることを私たちは認識しなければならない。そして、日本のよさを深く知る必要がある。
日本人は、母親が自分の娘のことをそのようには思っていないのに「うちの娘は顔もよくないし、頭も悪くて…」と言うことがある。相手に対する謙遜の気持ちからであろうが、このような身内の卑下は外国に対しては通用しない。いわゆる“自虐史観”も悪意からのものもあるがこのような精神傾向に基づくものも有ると私は考えている。戦争と虐殺と搾取に満ちた欧州と南北アメリカ大陸と中国大陸の歴史を見たとき、私たち日本人は自国の歴史の持つ美点をもっと深く知らなければならない(ただし、傲慢になってはダメである。上でもなく下でもなく100%の自己評価をするということである)。日本人の自己卑下傾向のために、外国人の基準で考えたとき、日本の歴史が日本人自身からも正当な評価を受けていない場合が少なからずあると私は考えている。(2017年10月10日記)