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英語のはなし③ “find”の用法

2018-02-27 23:50:44 | 英語のはなし

   英文法の話 ③

 英文法の話が②でとまっていて、続きが書けていません。私は長年英語の教師をしてきたので英語にかんするブログを書きたいという思いもあり、テーマもいくつかあるのですが、あまりにも日本周辺の政治情勢がきな臭く、中国と韓国の日本に対する対応と北朝鮮の行動が常軌を逸脱していると感じ、政治的な意見を書いてきました。

 そして、英国のサッチャー元首相の演説 (*注1)  などもネット検索で出てきたので少し読んでみました。ところが、「鉄の女」と言われたサッチャー元首相の演説の中で、「あれっ?」と考え込んでしまう動詞のfind(見つける、分かる) に出くわしました。また、対日本との関係でとんでもないことを米国に「“そそのかしている”のではないか?」という疑いもわき起こりました (*注2) 

  *findの用法

 “find”の気になる用法に出くわしました。それはMargaret Thatcher Foundationの保管文章の中にあります。文章のタイトルは、

  "A Time for Leadership"  

となっており、サッチャー元首相が首相退任して11年後の2000年7月19日に米国のフーバー研究所で行った演説の中に出てくる文です。この文のfindは私の知っている意味「見つける、分かる」と直訳すると意味のとれない訳文になります。

  We really have no excuses. We know what works - the Anglo-Saxon model of liberty, property, law and capitalism. And we know where it works - everywhere it’s actually applied.  私たちは本当に言い訳はできません。私たちは何がよく機能するのかを知っています―アングロサクソン型の自由・財産・法と資本主義が機能するのです。そして、どこでそれがよく機能するのかも知っています―世界のあらゆる場所において実際に当てはまるのです。

  We must not be paralysed by false modesty or even good manners. Promoting the values that find their expression in America isn't imperialism, it's liberation. 

 私たちは虚偽の謙虚さや行儀の良い態度に感覚を麻痺させられてはならないのです。米国においてその表現が見いだされる価値を押し広めることは侵略(帝国主義)ではなく、解放なのです。

  And all of us who enjoy that liberty today should make our own the words of the poet Longfellow:

      Sail on O Ship of State!

      Sail on, O Union, strong and great!

      Humanity with all its fears,

      With all the hopes of future years,

      Is hanging breathless on thy fate!

 そして、今日その自由を享受している私たちは皆、詩人ロングフェローの次の言葉をわがものとしなければなりません。

  進航すすめ、ああ、 合衆国アメリカの船! 

  進航すすめ、ああ、連邦の船、堂々の船!

  世よのひとは、かぎりなき 怖れをいだき、

  未来への かぎりなき 希望をいだき、

  すがっているぞ、息ひそめ 汝の命運に! (※和訳は永井津記夫による)

 ※“the Union”は米国では、「アメリカ合衆国」を意味し、南北戦争中なら「北部連邦(=北部諸州)」を表す。一方、the Unionは英国では「連合王国(=the United Kingdom)」を表す。英国の国旗は“the Union Jack (=the Union flag)”である。   “State”は「州」と訳したりするが「国」の意味である。この場合は単数であるが“States”の意味で南北戦争前の米国(アメリカ合衆国)を表している。Unionもアメリカ合衆国を表すが、南北戦争中(1861-1865)は奴隷解放を目指す北部諸州(=北部連邦)、つまり、リンカーン大統領を戴くアメリカ合衆国 (奴隷制維持を主張する南部11州のアメリカ連合国[the Confederate States of America]を除く) を表す。リンカーン大統領は、南北戦争開始の際に、ロングフェローのこの詩を読み、涙し、数分のあいだ沈黙し、「兵士の心をゆり動かすことができるすばらしい贈りものだ」とだけ述べたと言われている。ロングフェローは戦争前から、奴隷解放側を応援していた。  そして、この詩(The Building of the Ship)が第二次世界大戦でも重要な意味を持つ詩として使われたのだ。米国大統領ルーズベルトは戦争が始まってすぐの1941年1月に英国のチャーチルにこの詩を手書きで手紙にして送り、攻勢を続けるドイツに対して劣勢の海洋大国・英国の奮起を促したのである。  

  findの使い方 : このfindは、一見して、私の文法知識からは違和感のある形に見えました。恥ずかしながら、“find expression”という熟語に出会ったことがなかったからです。サッチャー首相が間違った英語を使っているとは思えないので、この英文を理解するとすると、findをactivo-passive (能動受動態)の動詞と考えて、「(their) expression」を便宜的に(欧米の英文法家の理解不足は後で言及します) findの目的語と見ます。これは、

  This book sells well. (この本はよく売れる) SV (M)

  The Bible sells more than a million copies a year. SVO(聖書は年に百万冊以上を売る→~年に百万冊以上売れる→聖書は年に百万冊以上売られる)

 というように能動受動態のsellが目的語をとってい(るように見え)ます。この場合、目的語の「百万冊以上」を主語(主格)として、「~が…られる」と訳せます。つまり、日本語では目的語を主語(主格語)にして「~られる」と訳すとうまく収まります。これを応用すると(valuesの前の冠詞のtheは「その」と訳しておきます)

  the values that find their expression in America →The values find their expression in America.   →その価値は米国にその(自分の)表現を見いだす。→その価値は米国にその表現見いだされる

となります。そうすると、本文の

  *the values that find their expression in America 米国においてその表現が見いだされる価値

ということになります。説明はここで終えてもよいのですが、findが能動受動態として使われているとすると、その後に目的語(O)を取るのは不自然です。少なくとも、いわゆる学校文法で考えていくかぎり私には(昔の文法少年の私には) 納得いかないものがあります。

  欧米の英文法家は、率直に言うと、主格語(subjective)主題(theme…文の中に現れるもので、文章の主題とは異なる)の区別がよく理解できていません(日本の国語学者・三上彰氏が『像は鼻が長い』などの著書の中で主題と主格[主語]の違いを明らかにしました。日本語には「は」と「が」を使い分けるため明確に文の中に主題と主格の違いが出てくるのです。三上は一部の欧米の一流の文法家から高い評価を受けています。彼は明確に主題と主格の相違を示し、“主語”の曖昧さを指摘し、理解が十分でない欧米の文法家に文中の“主題”への注意を喚起せしめました)

   とくに、subjectという用語は文法書では「主語」という意味で(日本語の訳語も“主語”となっている)使うので、英文法を少し勉強しただけでは「主語」と「主題」の区別ができません。というより、英語のsubjectは辞書を見ればわかるように、「主語」と「主題」のどちらも意味しますから、文法学者を除けば、多分、大多数の英米人は、文中における「主題(文中の主題を文法用語としてthemativeとします (*注3) )」と「(動詞の行為者[agent]としての)主語=主格語(subjective)」の区別はつかないと考えられます(以後、「主語」の代りにできるだけ「主格語」を用います)

  This cloth feels soft. SVC…①

     S     V    C

この布地は柔らかく感じられる(~は手触りが柔らかい)。   

  feelsは能動受動態で「感じられる」という意味になり、自動詞で後のsoftは補語とします。伝統的な学校文法ではこのように理解します。しかし、clothはいわゆる主語(=主格語=subjective)ではなくて、主題(themative→T)だと考えると、“能動受動態”などの概念を持ち出さなくてもよいのです。①は日本語で、

  この布地は柔らかく感じるよ。   This cloth (I) feels soft.

  主題(題目)    説明(解説)        T      (S) V    C (五文型にTを取り入れた形)

と言えます。三上文法では、上のように「この布地は」の部分は主題になります。では、「感じる」に対する主格語、つまり、「だれが」感じるのか、ということですが、「私」が省略されています。というより、日本語では「私」などは入れないのが通常です。この日本語の構造を頭に入れると、①は、

  This cloth (I) feels soft. この布地は(ワタシ)柔らかく感じます。

  (?This cloth I feel soft.) (This cloth I feel to be soft.)

   → I  feel this cloth (to be) soft. ワタシはこの布地を柔らかいと感じる。…②

   S   V        O            C

つまり、①の英文には他動詞feelの主格語(=主語、subjective)“I”が隠れている(隠在している)と考えると、②の英文を導き出すことができます。今、①と②を並べると、

   This cloth feels soft. この布地は柔らかく感じられる。…①

   I feel this cloth (to be) soft. ワタシはこの布地を柔らかいと感じる。…②

       → (ワタシは) この布地は柔らかいと感じる。

 ①と②を三上文法にもとづいて考えると、”This cloth” は主題(~は)であって、主語(=主格語:~が)ではありません。feelも能動受動態(感じられる)というように迂回的にとらえる必要はなく「(ワタシが)感じる」という意味にとる方が理解しやすいと言えます。      

  This cloth I feels soft. この布地は (ワタシ) 柔らかく感じます。…③

というように和訳できますし、このような場合、日本語ではワタシはつける必要がありません。日本語では料理の作り方の説明に、

   豆腐はサイの目に切ります。 …④ <(あなたは)豆腐をサイの目に切ります。  (You) Cut tofu into cubes.

というような形の文で表現することが普通です。つまり、英語なら目的語になる語を日本語では“主題”にして動作主(主格語 subjective)は表現しない形で文をつくります。つまり、③の英文は、④の日本文に対応する形(深層意識的に同じ)と考えられます。つまり、③の“This cloth”は「主格語(subjective)」ではなく、「主題 themative」なのです。

 しかし、英米人は日本語の助詞の「は」と「が」に相当する語がありませんし、深く勉強(研究)した専門家でなければ、“主題”と“主格(=主語)”の区別はできません(英語のsubjectはもともと「主題」「話題」「問題」というような意味ですが、文法用語として、用いられ「話題の中心となっている語=主題」だけではなく「動作主を表す語=主格」の意味でも用いられています)

   では、ここで問題の英文にもどりましょう。上で、

 the values that find their expression in America →The values find their expression in America.

   →その価値は米国にその(自分の)表現を見いだす。→その価値は米国にその表現見いだされる

としましたが、findの前に“I”か“we”が省略されているとすると、

 The values (we) find their expression in America.…⑤ <The values find their expression in America.            

となり、⑤は、「その価値は米国においてその表現を見いだす」と訳すと、日本語としてまあ意味が通りますが、⑥のようにthe valuesを目的語の位置にもどすと、五文型的分類にしたがうなら、their expressionはC(補語)と考えざるをえません。

   We find the values their expression in America.

<We find the values to be their expression in America.

 S   V       O           C  (ワレワレは)その価値が米国における表現だと思う。

   →その価値は米国において言い表されていることだと思う。(このexpressionは受動の意味を持つと見る)

  研究社の『新英和大辞典』には、

   find expression 現れる 言い表される

とあり、これをそのまま活かして「The values find their expression in America.」を訳すと、

  その価値は米国において言い表されている。

となり、よく意味のわかるものとなります。

 ネイティブの立場で考えて見ると、findは明らかに他動詞として使われています。

   ① The values(S) find(V) their expression(O) in America. 価値(たち)は自分の表現を米国に見いだす。

 their はthe valuesという主語を承ける代名詞の所有格と見ることができます。名詞にも能動の意味と受動の意味があります。これは辞書や文法書では説明していません。たとえば、

  sight: He lost his sight. 彼は視力を失った。見ること→見る能力→視力

       a wonderful sight すばらしい光景 見られること→見られるもの→光景

sightは動詞のseeに由来する名詞ですが、「みること」「みられること」というように能動と受動の意味を持っています。私のブログ「英文法のはなし②」でも、この名詞の能動と受動(の意味)に言及しています。 sightと同じ意味合いでviewも受動と能動の意味があります。

さて、expressionですが、動詞のexpressは「表現する」「言い表す」という意味ですが、名詞のexpressionは「言い表し(ていること)」と「言い表され(ていること)」の両方の意味があると考えられます。そうすると、

   ①The values find their expression in America. 

    その価値は米国での自分の“言い表され”を見いだす。 

   →その価値は米国で自分が言い表されていることを見いだす。

というように無理やり訳すと、無生物主語構文として何とか意味がとれそうです。

 次のよく出てくる無生物主語の構文は、  

The next morning found him in the park. 次の朝、彼は公園にいるのがわかった。

   T         E(=(S) V O M)

The next morning (we) found him in the park.

      T             (S)   V    O    M  (Mは“修飾語(句)”です)

  この文では動詞foundの主語はthe next morningですが、深層意識ではweなどの人称代名詞が省略されていると考えればよいと思います。つまり、主格語のweは隠在しており、the next morningは主格語ではなく主題なのです。もちろん、このようなことを英語のネイティブに質問しても分からない(答えられない)と思いますが。  “find”の能動受動態の追求から、英文法家の「主題・主語(主格)」の混同まで、少し話がややこしくなりすぎたかもしれません。能動受動態の動詞はすべて人称代名詞(Iかweかyou)が動詞の前で省略されているとし、動詞の前の語(句)を“主題”と捉えると無理なく説明できる場合が大多数だと思います。

   This camera handles easily. (このカメラは簡単に扱える) <This camera (we) handles easily.

   That picture sells at a high price. (あの絵は高い値段で売れる)<That picture (I) sells at a high price. 

   This car drives easily. (この車は簡単に運転できる) <This car (we) drives easily.

上のhandleやsellやdriveは能動受動態としてよく使われる動詞ですが、一人称代名詞のIかweが(深層意識的に)省略されていると考えると理解しやすいと思います。

(*注1) サッチャー元首相の演説文“A Time for Leardership”の全文は3672語に及ぶ長文で、小見出しに、Back at the Ranch 「牧場」にもどって、The Hoover Institution’s Role フーバー研究所の役割、Lessons of Cold War 冷戦の教訓、Cold War’s Over….What Nest? 冷戦の終焉…次はどうなる?、Meeting New Threats新たな脅威の台頭[ロシア、中国、ヤクザ国家( North Korea, Iraq, Iran, Syria and Libyaを挙げている)]、Responding to Threats脅威への対応、Ballistic Missile Defence弾道ミサイル防衛、America in the Lead米国が一番、French Folliesフランスの愚行、Decision Time for Britain英国の決断の時、An American Century米国の世紀、となっています。

(*注2) サッチャーのこの演説は2000年に米国で行われたものです。彼女は在任中の1982年に訪中し“香港返還”について中国の最高指導者の鄧小平と交渉したが、香港の地位保全はかなわず、鄧小平が返還に応じなければ武力行使もあるということを述べたため返還に応じました。サッチャーはこの件で中国に対して“怨念”を抱いていたため、海洋国家として米国と英国の連帯をアピールするために(第二次世界大戦の時と同様に)このロングフェローの詩を持ち出したように私には思えるのです。

 が、サッチャーのこの意識が在任中(1979~1990)から意識され、米国との間で共通認識となっていたとすれば、“日米貿易戦争”で日本がしぶとく勝っていた1970年代から1990年代の前半にかけて、米国は日本に円高政策(プラザ合意)の要求、包括通商法(スーパー301条)の制定や日米構造協議などによって日本の対米貿易黒字を減らす(ごり押し)政策を要求してきました。この“日米戦争”にサッチャーが側面援助として、ロングフェローの詩持ち出したのではないか、というのが私の推測です。この詩は海洋国家の英国民と米国民を熱く刺激し、ナショナリズムを呼び起こします。サッチャーは首相在任中の米国大統領はレーガンで、親交もありました。また、レーガンの次の1989年就任したジョージ・H・W・ブッシュ大統領にも1991年3月にホワイトハウスで会見しています。このブッシュは就任直後の第一回年頭教書演説で、ロングフェローの“Sail on”の詩を持ち出しています。レーガン、ブッシュ、クリントン大統領の時代に米国は戦前なら戦争になりかねないスーパー301条などをつくり、日本を経済的に追いつめ、日本側の経済対策の失敗も重なり、日本に“失われた20年”をもたらした、と私は考えています。そして、その米国にロングフェローの詩を示して米英同盟で日本を苦しめたのがひょっとしたらサッチャーかもしれません。

  (*注3) ”themative”は普通の辞書にはない語です。文法家の中にはこの語を「主題」の意味で用いる人もいます。“explanative”は主題themativeに対してそれを承ける「説明」または「解説」の意味にあたる文法用語で、私の造語です。略称として、それぞれTとEとします。英語の文も日本語の文も“T・E(主題・説明)”という構成の場合と“E(説明)”だけの構成の場合があります。

  


アウトソーシングの危険性 *会社をヤクザ的暴力からどう守るか*

2018-02-02 12:13:13 | 時事問題

アウトソーシング(外部委託) の危険性を

知らない企業と国家

*核心的情報をアウトソーシングする愚かな会社 

 *核心的防衛力をアウトソーシングする愚かな国家

                                  永井津記夫

    *アウトソーシングして経営危機を招いたベネッセ

  2014年にベネッセから個人情報が流出した、との報道がなされた。当時、教員の私にとって関係のある教育関係の企業であったので「ベネッセも大変なことになったなあ!」という思いをいだいた。が、自分が当事者になっているとは夢にも思わなかった。後日、ベネッセから個人情報漏洩の詫び状が送られてきて、私の子供が小学生のときに「進研ゼミ」に加入していて保護者である私の住所・氏名なども情報として外部流出していたのであった。ベネッセ側の情報が、アウトソーシング(外部委託)した会社の下請けの会社の社員によって持ち出されて名簿業者に売られていたのである。

  ベネッセはこの顧客の個人情報漏洩によって多額の損失を出し、保護者の信頼を損ねる結果となり、多数の顧客がベネッセを離れた。これはベネッセという企業の存亡にかかわる問題となった。

  ベネッセの失敗はどこにあったのか。その答は簡単である。「顧客の個人情報」という教材を提供する会社として核心的に重要なものの取扱いをアウトソーシング(外部委託)したからである。企業にとって核心的なものを外部委託(アウトソーシング)してはならない。たとえ、人材不足でも、その人材を、外部からヘッドハンティングしてでも雇い入れるか、育てるかをしなければならない(金はかかるかもしれない)ということである。いちばん重要なところに金をケチると大きな損失、企業の存亡にかかわる事態を招くことがよくあるのだ。内部社員でも情報漏洩の危険性はあり、内部社員による情報漏洩防止対策は徹底しなければならないが、アウトソーシングするよりははるかに安全であるといえよう。安全にはコストがかかる。コストを削減するためにアウトソーシングして、大きな損失を出しては何をか言わんやである。会社の掃除なども外部委託している場合が多いと思われるが、持ち出されては困るような情報のある部屋などの掃除を外部業者にまかせるのではなく、内部の社員でやるべきであろう。外部からのスパイ活動の防止も徹底する必要がある。軍事戦略的思考も必要になる。

  ベネッセは昨年、赤字から脱却し経営危機を脱したようである。ベネッセには私の勤めていた高校の卒業生も勤めており、今後ともよい方向に向かってほしいものである。

 

*会社をヤクザ的組織の暴力的言動からどう守るか

  テレビ局新聞社銀行はよく外部からの脅しや威嚇にさらされることがある。▽▽連合、△△総連、◇◇組などと称する組織からやって来て、会社の受付で、数人の屈強な男たちが大声でわめく。この行為は会社に対応機能がないと十分な脅しとなり、効果を発揮することが多いのだ。

 ネットなどに▽▽組が某テレビ局に押しかけ脅しをかけたために▽▽組の悪行は報道されない、というような記事がある。これが事実なら脅しが奏効したということになる。が、経営者には会社組織としての“防衛体制”をつくるという発想が皆無ですべて警察まかせですませると考えていて、自力で対処することなど最初から頭にないのが通常だろう。このような暴力的状況(脅し、威嚇)にどう対応するか、学校でも教えないし、世の中で正式に教えている所はどこにもないのではないだろうか。

  ヤクザ組織ならこのような脅しにはヤクザ的対応をする。つまり、“暴力”で相手を叩き伏せればよいだけである。が、カタギの会社はヤクザ組織に応援を頼む、つまり、アウトソーシングするわけにはいかない(テレビ番組では企業や国会議員等がヤクザを使って邪魔者を消す話がよくあるが論外だ)(* 新注)。ばれたら世間から袋だたきにあうし、刑務所行きになる。ではどうするか。

  まず、現今のハイテク時代を勘案すると、受付に「受付に失礼な応対がないかを調べるため対応の会話を録音させていただいております」というような案内文を目立つように置くということである。もちろん、防犯カメラも目立つように何台か設置しておくことも必要である。これで、失礼な男どもの暴言や行動をある程度ふせげる。

  録音や防犯カメラで簡単に引き下がらない場合はどうするか。これには、びびらない、腕力もある正社員(* 注1)を配置するのである(この社員を警備員のように一つの場所に常駐させたり、巡回させる必要はない。緊急時に所定の場所にすぐに集合できる部署にいればよい)。ヤクザ的な脅し、どなり声にビビらない社員を数名用意しておくということである。ヤクザ的組織の連中が大声を出すだけで帰ればそれでよいし、帰らずに最後に手を出せば、正当防衛で叩き伏せる。これができる社員を採用し用意しておけばほぼ会社としての対策はできていることになる。暴対用の社員の反撃にしっぽを巻いて逃げ帰ったヤクザ組織がナイフや刀などの凶器を持ち出して再度乗り込んできたら(これを行なうヤクザ組織はまずない)、明白な犯罪行為であり今度は警察に出動を要請することになる。私の説く暴対用組織体制をとっている会社がどれくらいあるのだろう。

  私は昭和49年ころ、近所の人から息子をぜひ教えてほしいと頼まれて、英語を教えることになった。ある私立大学の付属高校に通う三年生であった。坊主頭で体も大きくいかつい顔立ちをしていた。勉強後、その生徒と話してみると、学校では最初、“ワル”と間違われて目をつけられたということであった。「学校では問題を起こした生徒にどんな指導をしているのか」とたずねると、「“説諭部”というのがあって、柔道や空手をやっていた体も大きくてこわい先生がワルを指導している(※説諭部は他の学校ではふつう生徒指導部という)」という答が返ってきた。「この高校はワルに対処するために“ワル用”の教師を採用しているのか」と思ったものである。当時、大阪の府立高校の中のいわゆる“底辺校”では校内暴力などで学校が荒れているところがかなりあった。“底辺校”でも生徒指導部のしっかりしているところは表面的には落ち着いているが、そうでないところは、授業もまともにできない状態になっている学校もあった。

  つまり、学校においても“ワルの暴力”に対応する組織と人材があるところは、安定しており、その組織に不備があるところは問題に対処できていないということである。

  テレビ局新聞社などもよくヤクザ的組織からの直接的な威圧、暴言、暴力に見舞われることがあると思われるが、それに対応する戦略、一種の“軍事的戦略”が必要である。自前の対策組織を会社の中に作るということである。ただ、その組織の長の人選は文武両道に秀でた、暴力にビビらない人物を選ぶことが肝要である。マスコミがあらゆることに対して真実を伝えるためには自前の“防衛組織”を作る必要がある。“伝えるべきこと”を怖れから伝えないことも“嘘を伝えること”と同様にあってはならないことである。

  さわらぬ神にたたりなし式に、ヤクザ的組織やヤクザ的国家などの蛮行、悪行、汚点は報道せず、その(嘘か真か裏のとれない)主張や映像をそのまま垂れ流すようなことをやっていたら、日本のマスコミ、すなわち、テレビ局や新聞は大多数の国民から見捨てられることになるだろう。“報道の信用性を失った”新聞や、日本人の一部の者の利益に与くみし、多数の利益を損なうように誘導しようとする新聞は存在する価値がない。

  会社やマスコミは核心的情報の確保や暴力対策に対して、アウトソーシング(外部委託) してはいけないことは明らかであろう。が、日本という国はもっとも肝腎な“暴力対策”に対してアウトソーシングするという非常に危険な、国家としてはあってはならないことをやっている。つまり、自国の防衛を米国に依存しているということである。これほど危険なことはないのであるが、今は憲法上の制約と米国の意向(指示)にしばられて自由な発想と行動がとれない状況が続いている。(米国は無料で防衛力[核の傘]を貸しているわけではない。非常に高くついていて日本人の富がごっそり奪われているが、この点を指摘する経済人はほぼいない。政治家も [与野党通じて] いない。)

  この点についてはこのブログだけで述べることは困難なので、別の機会に論じなければならないが、歴史の重みに欠ける“ヤクザ国”“野蛮国”に取り囲まれた中で、日本は歴史の重みとすぐれた文化を有し、“神仏習合”の非排他的、調和的宗教観を有する“稀少”国として世界を本当の意味でリードするためにどのように行動していくのかを決断する時期が来ていると私は考えている。


(* 新注) 「論外」と簡単に切り捨ててしまったが、実際には、様々な形で、暴力団や総会屋が企業経営で発生する弱み(不祥事)、企業経営幹部個人に由来する弱み(不祥事)につけ込んで巧妙な形で企業の利益の一部を吸い取るということは希でなく存在するようである。これは、不祥事を起こしたことに対して(最高)責任者が辞任するなどの適切な処置をすれば良いのであるが、それが社長かその周辺の幹部であると自分の地位にしがみつくために、ヤクザ組織がそこにつけ込んで、金を搾り取る(合法的な形で)ということが起こる。これを防ぐ方法はある。手順を踏まないといけないが(話は簡単ではないけれども)、簡単に言えば、企業の幹部(社長を含む)が不祥事を起こし、外部から企業に対して不利益な要求をしてくる場合、当該幹部が責任を取ってすぐ辞任できる環境、つまり、退職金に相当する金を用意して責任を取ってすぐ辞任できる環境を用意しておくということである(金でしがみついているのではないかもしれないが)。その金は何らかの名目で企業が正式に用意しておく。また、幹部でないが、ある程度、重要なポストにいる社員の不祥事も非合法組織に利用されやすいので、幹部と同様に対応すればよい。幹部一人に1億円の退職金(手切れ金)で済むものをそれをせずヤクザ組織に10億、20億と吸い上げられて最後にはバレて企業存亡の危機に至るようなことになってはならない。 (この部分、2018年5月31日追記)

  

(* 注1) 腕力と度胸があってビビらない人物は100人のうち1人くらいかもしれない。百人のうちの半分50名は女性である。なかには男に勝る猛者もいる場合もあると思うが、女性に腕力を求めるのは適当ではないだろう。残りの50名に1名くらいは男の勇者がいるであろう。残りの49名は猛者でなくても、心優しく、頭のきれる人もいるだろうし、手先の器用な人もいるだろう。人はそれぞれの役割がある。腕力と度胸があるのがいちばん勝れていると言っているのではないので誤解のないように“暴対用”に一番適している人物に言及しているだけである。が、この腕力と度胸のある人物を嫉妬から排除してはならないし、上に立つ者は有効活用しなければならない。企業の中にはこのタイプを採用しない企業もあると考えられるが、どの企業も少数は採用しておくべきである(上記のワル対策に“ワル用の教師”を採用している高校のように)。

  残りの49名の中には腕力はないが、度胸はある人物が3,4人いるはずである。彼らも鍛えれば“暴対用”に使える。全ての組織(企業、マスコミ、役所、国)は“暴対用”の人員を、低レベルから高レベルまでの軍事戦略的思考にもとづいて採用、配置すべきである。(“軍事戦略的思考”には「孫子の兵法」なども含まれるが、軍隊組織のみが使う“思考”ではない。あらゆる善良な組織が生き残るために合法的に活用すべきものである。悪人ほど活用しているというような社会を作ってはならない。) (2018年2月2日記、2月3日追記、2月14日小修正)