北川地区には西南の役の史跡が多く残っています。
明治10年8月15日西南の役最終決戦である和田超えの戦いに敗れた薩軍は長井村俵野に敗走します。
官軍は和田越に別働第ニ旅団、長尾山に第三旅団、可愛岳に第ニ旅団、可愛岳北側に第一旅団、長井山付近に別働第一旅団、熊田に熊本鎮台、川島北側に第四旅団、川島に新撰旅団進んで俵野の薩軍を包囲していきます。
西郷隆盛は児玉熊四郎宅を本営として宿陣し、桐野利秋は児玉浩初治宅に宿陣します。
足を負傷している西郷菊次郎は本営の2軒隣にある児玉惣四郎宅で療養しています。
訪問した時、幸運にも菊次郎療養地で児玉惣四郎氏の子孫の方に会う事ができました。
その方の話では俵野に来た薩軍の少将達は高貴な雰囲気が漂う侍だったと祖母から聞いたと言われてました。
それにドラマように西郷隆盛や薩軍少将等を住民がもてなす事はなく、食料品を取りに行く以外は家には入れない状態だったそうです。
なので住民は西郷隆盛本人を見る事もなかったとのことでした。
8月17日に薩軍はここから可愛岳を越えて鹿児島へ向かいます。
薩軍本営 児玉熊四郎宅
家の中は資料館となっています。
西郷隆盛が軍の解散を宣言し陸軍大将の軍服を燃やした場所です。
桐野利秋が宿泊した児玉初治邸
児玉初治は薩軍の可愛岳突囲において先導役を務めています。
西郷菊次郎加療の地
西郷菊次郎が療養した家は改築されているが菊次郎が療養した部屋だけは子孫の方が当時の状態のまま保存、管理されています。
薩軍の可愛岳登山口
ただただ、素晴らしい記録に感謝です。
ありがとうございます。
現地の史跡が後世に残っていく事と風化して消えていっても何か記録が残ればいいのではと思い書いています。
これからも宜しくお願い致します。