ユングスタディ報告
7月4日【第16回】
今回からは「禅の瞑想 ─鈴木大拙によせて─」を読み進めていきます。
ユング「禅の瞑想 ─鈴木大拙によせて─」(1939)
邦訳:湯浅泰雄・黒木幹雄訳『東洋的瞑想の心理学』(創元社)所収
1983.11(第一版)、2019.1(新装版)
この論文は、禅学者の鈴木大拙による英文著書『An Intoroduction to Zen Buddhism』(1934)が、1939年に独訳出版された際に、ユングが寄せた序文であり解説文です。10年後の1949年には英訳されて、大拙の英文著書に併録されるようになります。
ユングと鈴木大拙は、この大拙の著作が独訳される以前にロンドンで会談をしています。また、1953年と1954年には、ユングが指導的役割をしていた知識人サークルの会合であるエラノス会議に、大拙が参加しています。大拙はユングにとって、最も近しかった日本人になるでしょう。
大拙は、禅に関するユングの序文について、著作『禅への道』の中で「必ずしも正鵠を得て居ない」が、「あれまでに了解してくれたと云ふところで、有難いと思ってよからう」「一歩進めた理解」と評しています。
ここで大拙の言う「必ずしも正鵠を得て居ない」点が何であるのかは明らかではありませんが、一方で大拙は、このユングの序文の邦訳全文を「ユング博士の禅観」と題して『禅への道』に収録していたり、禅を説明するにあたって「無意識」概念を幾度となく援用したりしています。それなりにユングの理解を評価していただろうと伺えるところです。
ユングはこの序文において、まず最初に大拙への感謝を述べた後、禅において最も重要な観念である「悟り」観念の独特さを指摘するところから論を始めていきます。「悟り」は、ドイツ語では Erleuchtung〔明るくすること、照明、開悟、神来〕と訳されますが、西洋の神秘主義者がこの Erleuchtung という言葉によって理解しているものとは異なり、東洋の「悟り」は、「ヨーロッパ人にとって追求することがほとんど不可能な、特殊な種類とやり方による開悟」であるとします。
ユングは禅の不可解さの例として、禅において修行の際に用いる古人の問答、いわゆる「公案」のエピソードをいくつかあげます。例えば、真理の道へ至る入口はどこにあるか学びたい僧に対し、師である玄沙は「お前は谷川のせせらぎがきこえるか」と問い、僧が「はい、きこえます」と答えると、師は「そこに入口があるのだ」と教えた、といったようなものです。このような事例をどんなに多くつみ重ねても、何によって、あるいは何について悟るのかということは、依然としてあいまいなままだ、とユングは言います。
続けてユングは、駒形大学の初代学長である禅学者、勿滑谷快天(ぬかりやかいてん)の著作『侍の宗教』から引用をします。勿滑谷は禅について、「各人は、神聖にされたもの(仏陀)のあふれる慈悲を受けとっており、それはわれわれの道徳的な力を目ざめさせ、われわれの精神的な眼を開かせ、われわれの新しい能力を発展させ、われわれに使命を与える」というような説明をしますが、これに対しユングは、「ほんのわずかな変更を加えさえすれば、いつでもキリスト教神秘主義の祈祷書になる」、「こんなやり方では、悟りの体験を理解するにあたっては、何の得るところもない」、「西洋の合理主義に向かってものを言っており、そのために、すべてがひどく平板で説教じみて聞こえる」と、手厳しい評価をします。
さらにユングは、ルドルフ・オットーによる、「勿滑谷は東洋の不思議な観念世界を、われわれ西洋の哲学的カテゴリーによって理解しようとして、両者を混同してしまった」という評にも言及していきます。
つまるところ、ここでは禅の逸話と西洋の神秘的開悟との相違点が重要であり、両者を混同して安易に関連づけることには問題があるわけです。
ユングによれば、禅の逸話において人は、「単なる想像やみせかけとは違った、本物の秘密にふれたという感じを抱く」ことになります。ここでは、「神秘めかした秘教主義ではなく、どんな人間も言葉に窮してしまうような体験が問題になって」います。また、「悟り」は、突然に思いがけないものとしてやってくるのであって、期待されるべきものではない、ともユングは言います。
日常的な中でも起こりうる「言葉に窮してしまうような体験」、そのような時に無意識からやってくる突然の気づき、ユングは禅の逸話の中に、そうした心理学的事象を見出しているのです。
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今回は、案内役の岩田明子さんから、鈴木大拙に関わる様々なエピソードの紹介や、瞑想という方法の理解に関連する話などがありました。
神奈川県鎌倉市にある、臨済宗円覚寺派・松岡山東慶寺には、鈴木大拙のお墓があります(他にも、大拙の妻ベアトリス、西田幾多郎、和辻哲郎、岩波書店の創業者である岩波茂雄などのお墓もあります)。ここの裏山には、晩年の大拙が研究活動をし、今では大拙の蔵書を保存する記念館である松ヶ丘文庫があって、その離れでは座禅や禅学の会も開催されていました。大拙の妻ベアトリスは仏教徒であると同時に、神智学協会の日本での中心的な会員でもあり、夫婦揃って東西の間の精神文化の交流に尽力しました。
もともと「禅」という言葉は、サンクスリット語の dhyana (ディヤーナ) の音写から生まれたものですが、この「ディヤーナ (瞑想) 」は、古代インド哲学の六派のうちのヨーガ派における、ヨーガの八支則の一つとして挙げられているものです。パタンジャリ『ヨーガ・スートラ』では、ディヤーナは純粋意識に到達するための技法、あるいはその純粋意識の状態として紹介されています。
この純粋意識の状態においては、意識活動そのものは存在しません。後になって、あの時は純粋意識の状態だったか、と認識していくものです。この純粋意識体験を繰り返していくことで、普遍意識の状態である「サマディ (三昧) 」、対象の本質が直接体験できる状態に至るわけですが、このサマディにも実際にはいくつかの層が存在します。この辺りの境地や段階に関しては、まさに言語化のできない状態で、経験をしたことのある師がその状態であるかどうか判断できる程度のことしかできません。
ユングが禅の境地について、西洋神秘主義的な説明を行うことを問題とするのは、そうしたあり方を意識してのことかもしれません。
パタンジャリによれば、ヨーガとは「心の作用をニローダ (止滅) させること」であり、一切の心の対象が無くなる「無種子」の静寂状態、つまりは心の働きのない状態であって、心の範疇では語れないものになります。前回スタディで取り上げた通り、認識する意識のない状態については何も言えない以上、ユングは心理学者として、その状態について直接に語ることをせず、あくまで「無意識」という否定的概念をもって扱う姿勢に徹しようとします。(この問題は、いずれ読む予定であるユングと久松真一との対談「無意識と無心」では、かなり明確な対立点として現れてきます)
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先に述べた通り、大拙は、ユングの序文の邦訳全文を「ユング博士の禅観」として、自著『禅への道』に収録しています。この邦訳では、大拙自身が訳文に手を加えていますので、今回テキストの邦訳と併せて読むと興味深いところです。『禅への道』は、『鈴木大拙全集 増補新版』第13巻(岩波書店、2000.10)、もしくは鈴木大拙『金剛経の禅・禅への道』(春秋社、1991.1)で読むことができます。
写真は鈴木大拙とユング、それぞれの有名なポートレイトです。