「中世神話」と民俗信仰のかかわりについて(1)の続き
神仏習合は奈良時代に始まり、神は仏法を守護し仏法
による救いを願っているとの「仏神一体」的観念のもとに、
神社への神宮寺の設置や神前読経が行われていたのである。
この神仏習合の先駆者となったのが八幡神で、
大仏建立を支援するとの託宣を下して中央に登場した
宇佐の八幡神は早くから仏教と習合し、平安初期には
八幡大菩薩と称されたのである。
平安時代になると「彼岸」や「浄土」といった
「あの世」に対する意識が民衆において強まり、
民衆の側から新宗教が興り、そのいずれもが、
中世神話を掲げ、新たな信仰として活発な活動を繰り
広げることになったのである。
神道は、神仏習合即ち神と仏とを一体のものと
解釈を踏まえつつ、新派の習合神道として、
本地垂迹説(「神」というのは人々を浄土まで
導いてあげるために仏が姿を変えて
現れたものだというように理解される。)を生み出し、
両部神道(真言宗系)と山王一実神道(天台宗系)と
発展して行くのである。
この本地垂迹説により、
熊野の神が観音や弥陀の垂跡で、熊野の地は
これらの仏の浄土と考えられ、
「蟻の熊野詣」といわれるほど熊野詣が盛んとなり、
都の人々の信仰を集めたのはこの頃である。
本地垂跡思想のひろがりは、
鎌倉時代における神道論(理論神道)の発生を促し、
何々神は何々仏の化身であるといったような、
本地垂迹説との関係が個々に特定されるに至るのである。
例えば、八幡は釈迦あるいは阿弥陀如来、
賀茂は正観音の垂迹というように、具体的に定められて
いくことになった。
後年、両部神道からは法華神道が、
山王一実神道からは三輪流神道、御流神道、
雲伝神道などが派生しているが、
これらがみな一様に本地垂迹説に則った教理を
展開しているのである。
「中世神話」と民俗信仰のかかわりについて(3)へつづく
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神仏習合は奈良時代に始まり、神は仏法を守護し仏法
による救いを願っているとの「仏神一体」的観念のもとに、
神社への神宮寺の設置や神前読経が行われていたのである。
この神仏習合の先駆者となったのが八幡神で、
大仏建立を支援するとの託宣を下して中央に登場した
宇佐の八幡神は早くから仏教と習合し、平安初期には
八幡大菩薩と称されたのである。
平安時代になると「彼岸」や「浄土」といった
「あの世」に対する意識が民衆において強まり、
民衆の側から新宗教が興り、そのいずれもが、
中世神話を掲げ、新たな信仰として活発な活動を繰り
広げることになったのである。
神道は、神仏習合即ち神と仏とを一体のものと
解釈を踏まえつつ、新派の習合神道として、
本地垂迹説(「神」というのは人々を浄土まで
導いてあげるために仏が姿を変えて
現れたものだというように理解される。)を生み出し、
両部神道(真言宗系)と山王一実神道(天台宗系)と
発展して行くのである。
この本地垂迹説により、
熊野の神が観音や弥陀の垂跡で、熊野の地は
これらの仏の浄土と考えられ、
「蟻の熊野詣」といわれるほど熊野詣が盛んとなり、
都の人々の信仰を集めたのはこの頃である。
本地垂跡思想のひろがりは、
鎌倉時代における神道論(理論神道)の発生を促し、
何々神は何々仏の化身であるといったような、
本地垂迹説との関係が個々に特定されるに至るのである。
例えば、八幡は釈迦あるいは阿弥陀如来、
賀茂は正観音の垂迹というように、具体的に定められて
いくことになった。
後年、両部神道からは法華神道が、
山王一実神道からは三輪流神道、御流神道、
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これらがみな一様に本地垂迹説に則った教理を
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