トヨタスポーツ800に出会ったでヤンス
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販売期間 1965年 - 1969年
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ/タルガトップ
エンジン 2U型 790cc 空冷水平対向2気筒OHV
最高出力 45ps/5,400rpm
最大トルク 6.8kgm/3,800rpm
変速機 4MT
駆動方式 FR
全長 3,580 mm
全幅 1,465 mm
全高 1,175 mm
ホイールベース 2,000 mm
車両重量 580kg
ブレーキ 前/後ドラム
最高速度 155km/h
出典:https://ja.wikipedia.org/
トヨタが、1964年~1969年にかけて製造、販売していた小型のスポーツカーです。
可愛らしい見た目や、小型ながら高性能であったことから、「ヨタハチ」の愛称で親しまれています。
ヨタハチの特徴は、トヨタでは3台しかない、空冷水平対向2気筒エンジンである事です。その為、エンジン音は「バタバタバタ」と昔のポルシェのような音を奏でていました。
そして、レース活動においては、ライバルであるホンダ・S660にエンジンパワーでは劣るものの、軽量な車体を活かした燃費の良さとハンドリングを武器に16台抜きを達成!大逆転レースの伝説を残しています。YouTubeで当時の映像を確認しましたので転記します⇒「激走!浮谷東次郎」https://youtu.be/LO_b4QGGMjI
トヨタスポーツ800(ヨタハチ)の開発の歴史
原型と言われているのは、「トヨタ パブリカ」と言う車です。
1962年よりトヨタ自動車の関連会社である関東自動車工業にて開発がスタートしました。
元々は、パブリカスポーツと言う名称で開発が進められており、パブリカのエンジンとシャシーを流用して開発される予定でしたが、実際にはシャシーは共通、エンジンはパワー不足を補うために、約100ccの排気量アップとツインキャブレター化により、28馬力から45馬力へとパワーアップし販売されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/74/e75211341ce35bd230663fa8dcfbd943.jpg)
トヨタ パブリカ700デラックス 初代
出典:トヨタ・パブリカ Wikipedia
また、トヨタスポーツ800の開発主査は、元々戦闘機の開発に携わっていた長谷川龍雄氏であり、不足するエンジンパワーを補うために、徹底的な軽量化や、ボディデザインも航空機技術を応用した空気抵抗を徹底的に抑える形となっています。
また、試作段階では、ドアの代わりにキャノピー型を検討していたそうです。
(実用面や安全面の懸念から不採用になりました。)
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販売期間 1965年 - 1969年
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ/タルガトップ
エンジン 2U型 790cc 空冷水平対向2気筒OHV
最高出力 45ps/5,400rpm
最大トルク 6.8kgm/3,800rpm
変速機 4MT
駆動方式 FR
全長 3,580 mm
全幅 1,465 mm
全高 1,175 mm
ホイールベース 2,000 mm
車両重量 580kg
ブレーキ 前/後ドラム
最高速度 155km/h
出典:https://ja.wikipedia.org/
トヨタが、1964年~1969年にかけて製造、販売していた小型のスポーツカーです。
可愛らしい見た目や、小型ながら高性能であったことから、「ヨタハチ」の愛称で親しまれています。
ヨタハチの特徴は、トヨタでは3台しかない、空冷水平対向2気筒エンジンである事です。その為、エンジン音は「バタバタバタ」と昔のポルシェのような音を奏でていました。
そして、レース活動においては、ライバルであるホンダ・S660にエンジンパワーでは劣るものの、軽量な車体を活かした燃費の良さとハンドリングを武器に16台抜きを達成!大逆転レースの伝説を残しています。YouTubeで当時の映像を確認しましたので転記します⇒「激走!浮谷東次郎」https://youtu.be/LO_b4QGGMjI
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原型と言われているのは、「トヨタ パブリカ」と言う車です。
1962年よりトヨタ自動車の関連会社である関東自動車工業にて開発がスタートしました。
元々は、パブリカスポーツと言う名称で開発が進められており、パブリカのエンジンとシャシーを流用して開発される予定でしたが、実際にはシャシーは共通、エンジンはパワー不足を補うために、約100ccの排気量アップとツインキャブレター化により、28馬力から45馬力へとパワーアップし販売されました。
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トヨタ パブリカ700デラックス 初代
出典:トヨタ・パブリカ Wikipedia
また、トヨタスポーツ800の開発主査は、元々戦闘機の開発に携わっていた長谷川龍雄氏であり、不足するエンジンパワーを補うために、徹底的な軽量化や、ボディデザインも航空機技術を応用した空気抵抗を徹底的に抑える形となっています。
また、試作段階では、ドアの代わりにキャノピー型を検討していたそうです。
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三樹書房 |