魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

子供の頃怖かったおばけ

2017年07月26日 | 民俗学探究
gooブログ編集部のお題 
子供の頃怖かったおばけ に参戦!しやす。

答えはこうだ・・・イヤァオ!



常田富士男さん と 市原悦子さんが
ナレーションで日本昔話調の「もったいないお化け」です。

ガキンチョの頃は食の細さで給食も残し放題で
後ろめたい思いががあり、それが引き金だったのかも、、、

ちなみに柳田国男の『妖怪談義』
妖怪談義 (講談社学術文庫)
柳田 國男
講談社
(画像をクリックするとAmazonへ飛びます)

では、妖怪(おばけ)と幽霊について下記のように区別しています。

妖怪(お化け)
・出現する場所がたいてい決まっている
・白昼でも現れるが、たいていは夕暮れか暁の時間帯
・相手を選ばない

幽霊
・どこにでも現れる
・うしみつ時に現れる
・これぞと思う者だけに思い知らせようとする

今は、浮世絵に出てくるお化けが結構怖いです。
浮世絵でみる! お化け図鑑
中右 瑛
パイインターナショナル
(画像をクリックするとAmazonへ飛びます)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アロエベラとは(2)歴史について

2017年07月26日 | アロエベラ
アロエベラとは(1)基本情報 からの続き

アロエベラの歴史について

①紀元前から利用されてきたアロエ
最も古いアロエについての記録は、
ピラミッドに置かれていた古代エジプトの医学書
『エーベルス・パピルス』に記述されています。

出典:istory.framar.bg

この医学書にはアロエを使った数多くの処方が記述されてます。
この医学書が記述されたのは、紀元前1550年頃であるといわれ、
既に今から約3500年前にはアロエが利用されていて
庶民の間ではそれ以前から使われていたそうです。

紀元前1世紀頃には、ローマ皇帝、ネロの侍医の
ディオスコリディスが『ギリシャ本草』を著して、
いろいろな病気に対する具体的なアロエの処方を挙げ、
アロエが様々な病気に効く万能薬であると記述されています。

『新約聖書』にもアロエは登場します。
キリストの埋葬で、アロエとヤブ人参を混ぜたものを
塗ったという「ヨハネ伝」もあります。
声に出して読みたい新約聖書<文語訳>
齋藤 孝
草思社
(画像をクリック頂くとAmazonに飛びます)

元始(はじめ)に言霊あり―新約聖書 約翰傳 全“現代版”禁教下の和訳聖書 ヨハネ伝
J.C. ヘボン,S.R. ブラウン,奥野 昌綱
和訳聖書分冊刊行会
(画像をクリック頂くとAmazonに飛びます)

医者要らずの万病薬 紀元前4世紀頃、
アレキサンダー大王の健康維持と将兵たちの健康維持に、
東アフリカのソコトラ島でアロエ栽培を行なったといわれてます。


②ヨーロッパからアジアへ
その後、ヨーロッパで広くアロエの効用が認められるようになり、
12世紀にはドイツ薬局方に記載されるようになり、
アロエの効用がドイツの法令によって公認されました。

そしてアロエは、シルクロードを経て中国へと伝えられ、
中国ではアロエのことを「蘆薈(ろえ)」といい、
漢方医学の父といわれる李時珍の著書『本草網目』にも登場します。
その本の中で蘆薈(ろえ)は、医学的に有用な植物と認めた上で、
「色黒く木のヤニのようなもの」と記されているところをみると、
当時から中国には今のアロエ汁を固めたものが伝えられて愛用されてきたようです。


③日本への伝来
我が国にアロエが伝えられたのは、鎌倉時代とも室町時代とも
言われていますが、江戸時代にアロエのことを蘆薈と言われていたことから
アロエが中国から伝わったことは間違いないところです。
アロエは植物としてではなく薬品として伝えられたと思われます。

これは、小野蘭山の『本草網目啓蒙』や、

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

貝原益軒の『大和本草』に

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
みられる挿画が、いずれも想像上の草姿に描かれていることでもわかります。

同じ頃、日本にポルトガルの宣教師もアロエを持ってきました。
そのアロエはキダチアロエだったといわれています。
その後、キリスト教の布教とともに全国に普及し、
一部の地域に根をおろして繁殖したものと考えられます。


④民間医療の市民権を得るまで
明治時代に入りドイツ医学の導入などもあって医療制度が整備され、
明治19年日本薬局方が制定されました。
アロエは蘆薈の名で当初から日本薬局方に登録されていました。

戦後は、アロエベラの薬効成分が世界中約2万もの研究者により国際的な研究所、
製薬会社にて研究され、国際アロエ科学評議会(IASC)[※1]にて様々な成果が報告されております。

これまでアメリカのロス.アラモス研究所やフランスのパスツール社などを
はじめとする研究所が、放射能汚染への効果や免疫強化効果などの研究成果を発表していますが、
近年ではアメリカにて血中糖度を下げるのにアロエベラは大きく貢献すると発表するなど、
アロエベラは大きく話題となりました。

しかし、アロエベラはその薬効があまりに多すぎるとされ、
まだ存在するアロエベラの薬効を解明するため、研究者達は現在も研究に取り組んでいます。


[※1]国際アロエ科学評議会(IASC)とは
世界中で非常に様々な食品、化粧品等に使用されているアロエの栽培土壌から
アロエ製品の品質に至るまでを管理している国際研究機関。
基本的に有機無農薬の土壌にて3年以上栽培され、
IASCの品質基準に到達することのできたアロエとその製品がIASC認定を受けられる。
ホームページURL:http://www.iasc.org/


アロエベラとは(3)健康に大切な栄養素について へ続く


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アロエベラとは(1)基本情報

2017年07月26日 | アロエベラ
『なぜ、アロエベラで育った子どもは奇蹟を起こすのか?』 からの続き。

アロエベラとは、
常緑多肉多年草[※1]で、300種類以上存在する
アロエの品種のひとつです。

開花時期は5月頃。花色は黄色。


アロエベラの葉は、長さ70~80cm、幅10cm、
厚さ3cm程に生長し、12~16枚集まってひとつの
株をつくっています。

大きな葉であれば、1枚で1.5kg前後にもなります。
アロエベラは、葉が折り重なるように地面近くから
葉が出ているため、横から見ると逆円錐状に
広がっているように見えます。


アロエベラという名前は、植物学者である、カール・フォン・リンネ[※2]氏に
よって200年以上前に命名されました。

アロエベラのベラとはラテン語で「真実」を指すことから、
アロエベラは「真実のアロエ」という意味を持ちます。

学名のアロエ・バルバデンシス・ミラーは、
スコットランド園芸家フィリップミラー氏[※3]によって命名された
バルバドス島(西インド諸島)に自生するアロエという意味を持ちます。

科属名:ユリ科アロエ属。(アロエ属はワシントン条約ではこの分類が採用されている )
原産地:アラビア半島南部、北アフリカ、カナリア諸島、カーボベルデ
季節:冬の季節
花言葉:「健康」「信頼」「万能」

[※1]
常緑多肉多年草とは、1年を通して枯れることなく緑色で、茎の一部、地下茎、
根などが枯れずに残り、毎年茎や葉を伸ばす植物のことです。
葉、茎または根の内部の柔組織(じゅうそしき)に水を貯蔵している
植物は多肉といわれます。

[※2]
カール・フォン・リンネ氏(誕生:1707年5月23日  死没:1778年1月10日)とは、
スウェーデンの博物学者、生物学者、植物学者。
ラテン語名のカロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus)でも知られる。
「分類学の父」と称される。同名の息子と区別するために大リンネとも表記される。
Wikipediaより出典 ⇒リンク先はこちらクリック

カール・フォン・リンネほど世界に名をとどろかせたスウェーデン人は、これまでにいません。
リンネは自然科学者、植物学者、動物学者、地質学者だっただけでなく、有能な医師であり、
予防医学者であり、哲学者でもありました。自然界全体を調査し、分類体系化し、
命名しようという志が、リンネ時代の特徴だとされています。
リンネのもとには弟子が大勢集まり、リンネが残した跡は、あちこちにたくさんあります。
2007年のリンネ記念年に制作された「リンネ2007」から出典⇒リンク先はこちらをクリック

[※3]
フィリップミラー氏(誕生:1691年 誕生日不明 死没:1771年12月18日)は、
スコットランドの園芸家、植物学者である。
1731年の著作『園芸事典』(The Gardeners Dictionary)で知られる。
デプトフォード(英語版)の農家の息子に生まれた。
1721年から、チェルシー薬草園の学芸員として活躍し、没する直前まで園長を務め、
野菜・果実・花の品種改良や海外から集めた植物の栽培を行い、
チェルシー薬草園を当時最も充実した植物園にした。
後にキューガーデンで働くウィリアム・エイトンやウィリアム・フォーサイスを育てた。
世界最高級の綿花とされる「シーアイランドコットン」はミラーが品種改良したものが
植民地で栽培されるようになったものである。1730年に王立協会の会員に選ばれた。
ミラーはカール・フォン・リンネの分類法に批判的で、
『園芸事典』でツルヌフォールやジョン・レイの属名を用い、
1768年の改訂版までリンネの種名を採用しなかった。
Wikipediaより出典⇒リンク先はこちらをクリック



アロエベラとは(2)歴史について に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする