親の価値観。
子の価値観。
親子がきました。
親の価値観と
子の価値観にはズレがありました。
私は
どちらの言い分も理解できるが
親子へは
この言い分が互いに理解できず
説明しても
わかってもらえません。
さてさて、
どうしようか?
と
その時
メッセージがきました。
親へ
失敗とは?
失敗とは人間がつけた感覚。
神と言われるエネルギーの元からすれば
失敗とはない。
全て
生きている途中の話に過ぎない。
その親はとても
子の受験を心配し、失敗したら
今、後悔しないように勉強させたい!
と言い張っていました。
子からすれば
それなりに
勉強をしている。
その努力は見ずに否定されることに
腹をたてていました。
メッセージ
受験の失敗とは?
それは
ダメなことなのか?
例えば
歩いているときに転んだ。
これは失敗なのか?
キチンと歩けないと失敗なのか?
例えば
赤ちゃんが歩く練習をして
倒れた
これは失敗なのか?
キチンと歩くことをしない。できない
これを責めるのか?
では
なぜ
受験を失敗というのか?
合否があるとして
合に入れぬものが必ずいるとして
否のものは
失敗者なのか?
それは
なぜに、ダメなのか?
例えば
否は
実は違う道への道標で
本当は
否は成功と呼べるものの近道だとしたら
それも
失敗とするのか?
結果
何もかも
歩んでみなければわからない物事。
というものでした。
もっと、簡単に言えば
生きるとは死ぬまでの時間のこと。
その時間の中に失敗はないのです。
何もかもが
その途中であるだけ。
例えば
料理が下手。
失敗した。
それは 実は
次に繋がる目的への途中なだけ。
その途中の段階を
人は
失敗
と
名をつけました。
全てが
何かの途中にすぎないとのこと。
できないのも途中であり
失敗とおもえることも途中なだけ
人生はすべて
途中なだけ。
やりきった。わかった。できた。
と
思っても
続きを作ろうと思えば
作れる。
これを
失敗。と名をつけ
終わらすには
理解不能。
と
あります。
今、何かに悩み
動けない。動きたくない。
それも途中なだけ。
動けば
物事は続きを演じはじめます。
味方を変えれば
価値観の幅を広げれば
相手の心の理解の幅も広がります。
想像力を身につけましょう
地球への感謝をお忘れなく