今日は天気もよく
山登りをしてきました
それもお一人様で
蜂アレルギーがあるので
なるべく1人では登らないのですが
どうしても
行きたくなり
登ってきました
山を登ると
男女6名ほどの若い集団がいました
声は高く、うるさいと感じる音量
山びこのように響いて
少しずつイライラしている自分がいました
折角の山登りが。。。
間合いをとり
どうにか先に進んでいるもらうも
声がうるさく、おしゃべり、笑い声
また、進みも遅いので
余計にイライラ
と、
ここで
立ち止まることに決めました
立ち止まると
なんだか、涙がでてきました。
他人をみてイライラしている
その感情を
きっと、山は感じている
そして
この山に投げつけている自分に
来るべきでないのは
自分の方だ。。
それを彼らのせいにして。。。
もしかしたら
山は
あの子たちを受け入れているかもしれないのに
勝手な憶測で
きっと、山も迷惑だろう
と、想像していると
どんどん自分が
情けなくなり
そして、なぜ
山でうるさくしてほしくないのか?
と、考えた時
神聖な場所を軽視しているように見えて
山の神様の懐に入っているのを
知らないからとはいえ
軽くおもんじている事に腹がたつのだと
腹がたつからイライラしている
でも、それは
山の心ではなく自分の考えた感情だと
気がつきました。
それから
また
涙がでてきました
こんな思いをココに落とす自分は
ダメだ
山に失礼だ
彼らの
笑い声より
私の
怒りの方が迷惑だ
人をみてイライラするなら
もしかしたら
もうこれが
最後の山登りになるかもしれない
と、涙、涙していると
なせが急に
スッと何かが楽になりました
頭の中に
「落ち着いた?」
と、声が
私)
あ、落ち着きました
怒りもなくなり、
なんとなく気持ちも楽になりました
その時、
色々な言葉が頭に入ってきて
安心しました。
よかった間違ってはいない
※その場面はおもいだせるのですが
そのときの言葉が思い出せずにいます
何か会話をしたのですが
全く思い出せません。
それからは
気持ちのいいことばかりが
おきて
色々な不思議な体験をさせてもらいました
不思議体験は
機会があれば記載します
その事柄によって
いいよ、大丈夫よ
と、答えをもらった気分でした。
また、もう1つの別のルートで
彼らが
迷わされたようで
ウロウロして
ここじゃない!
なんか無駄足ばっかりさせられてるな!
と、
引き返していくのがみえました。
彼らには申し訳ないのですが
そのお陰で
静かに残りのルートを登り、下り
最後は山を一人占めする時間ばかりで
幸せと感じながら帰宅しました
入山の時間も遅かったのですが
入山するときに
どうか、閉山する時間まで
時間をゆっくり進ませてください
と、お願いしていましたので
ピッタリの時間に
山を降りる事ができました。
感謝と幸せ気分をいただきました。
怒りは何も生まない
と、感じています
今日は
久しぶりにイライラしました
が
イライラの原因が分かった時
あ~そうか
そういう理由でイライラしているんだ
それからは
怒りをコントロールできない自分に
情けなくなり
自分中心の考えで
山に迷惑かけている自分が
本当に嫌になりました
反省することで
怒りが消えたのだと思います。
感情というものは
喜怒哀楽として表現され
どの感情を使うのか
それによって事の流れも変わり
無 というものが
時には必要で
難しい感情である事にも気がつきました
今日は貴重な1日になりました。
地球への感謝をおわすれなく