出張してほしい
と、依頼があり訪問しました
お客様と話を終えた頃
息子さんがお昼時間に帰ってきて
お)
すみません、息子はどうですか?
息子をみてください
仕事の休み時間に
私と会わせたかったようで
どうやら最初から打ち合わせ済みの様子
いいですよ
と、快諾しましたが
息子さんの
心のモヤモヤが酷すぎる
オマケに当人は
物事の加害者なのに被害者意識が強い
と、ありました。
変わりたいと思わなければ
見えない世界からのメッセージは
届きにくく
それを先に話をしたうえで
色々言葉を伝えました。
見知らぬ人の指摘に
戸惑いながら
指摘されたことに納得したい
と、思いながら
理解には届かない様子
仕事の休み時間では
お伝えしきれない
きっと、変わることは難しいと感じました
出来れば
じっくりカウンセリング。。
とは思いましたが
本人が
変わりたいと思う気持ちが薄い。。。
と、感じたので
提案をやめました
とりあえず、注意点だけをお伝えし
終えました。
帰りに
お客様から
息子への言葉を有り難うございます
今まで何を言っても
きいてくれなかったので
少しでも
納得した様子がみれて
よかったです。
とのこと
私)
本人がもっと変わる必要もありますが
先ずは
お母さんが子離れをしてください
お母さんは息子さんへ
息子さんは、お母さんに依存しすぎています
何をしても
お母さんが守ってくれる。助けてくれる。
という甘えが傲慢な態度を産み出しています。
時には痛い目に合うことも必要です
他人へ優しくないのは
自分は出来る。やれるのに
なんで他人はできないのか?
という
自分中心の考え方であり
それを教えたのは親ですよ
と、お伝えしました。
お母さんは
そうなんです。
私も変わりたいんです
物事の見方を色々教えてください
と、言われました。
お母さんが変われば
そのエネルギーにより
息子さんへの影響も変わるだろう
と、望みをかけて
その後も色々お話をしました。
さて、
人には事情があります
事情を知れば
相手を責めることも少なくなります
しかし、
事情を知ったとて
そのときの心の痛みや不安、恐怖
などを理解できるわけではありません
その事情に対し、
私ならこう切り抜ける
私ならこう言い返す
私なら別の態度をする
私ならそんな風には悩まない
等々
私なら
どうするか?
と、かんがえがちです。
それは、
あくまで
自分の主観であり
相手の立場になってみる
という感覚ではありません。
例えば
戦争を体験する、想像する
災害を体験する、想像する
失恋を体験する、想像する
体罰を体験する、想像する
体験と想像では
心の痛みに差があります
映画や小説で擬似体験したとしても
実際は
もっとリアルに感情をえぐります。
他人の事情があったとして
見えない感情を共感するのは難しいものです。
変わりたい。
と、望む出来事があり
変わりたい。
と
望む時は絶好のチャンスです
その時は躊躇せず
その気持ちを大切にしましょう
転機がやってきます
流れはやってくる
それは
先ずは
自分が望むことからです
地球への感謝をおわすれなく