かりんとうの小部屋Z

このブログでは趣味や仕事や生活について、まったりと語っています。

型にはめるⅡ

2006年03月13日 23時51分26秒 | 考えたこと
自分で、レゲエやりたいなあと思ってても恥ずかしくてできない。
それはどうしてなんだろう。恥ずかしさってなんなんだろう、って
考えた時にそれは、ただ恥ずかしいんじゃなくて自分の持っている性格を
壊される/壊す のが嫌なんだろうなと思います。

カラをやぶれないっていうけど、どうしてやぶれないかっていったら、
自分自身の性格が不安定で、破ろうとしたら途端に今持っているものまで壊れてしまいそうな気がするからじゃないんだろうか。

僕は数学が苦手だけれど、これは文系科目が得意なのと裏表で、
文系の自負心が数学を苦手にさせてるともいえる。
もし、数学ができるようになったら文系の自分が崩れてしまう。
そんな怖れがあって、理系を克服しようという気が起こらないのではないだろうか。

自分がレゲエしたら裏側の真面目さが崩壊して自分でなくなる。
Bが生じればAが消える。その恐怖のために人は自分を飛び越せない。

でも、自分を型にはめてしまえばそこから脱することができる。

型にはめるということは、裏も表も捨て、肯定も否定もしないことである。
ただただ自分に与えられた世界を受容し、徹底してルールの中に自分を
追い込むことである。
それは不自由のようであるが、決してそうではない。それは真の自由に最も
近いものなのだ。

(型にはめる方法は人それぞれだが、自分の出自や血を深く考えることが近道になる場合が多いのではないか。)

そうして型にはめることができたら、人間におそれるものはない。
揺るがない自分があれば私がレゲエをしようがなにをしようが大丈夫。


というわけ。
まだ言葉足らずだな。あとは実践篇で。
ちなみに私はレゲエはしたくありません。









ゼミなき子

2006年03月13日 22時25分04秒 | むかしばなし
4回生の時のゼミの先生は、5月にイギリスにいったきり戻ってきませんでした。
中間発表も経過報告もなんにもしなくていいー(ラッキー!)
ので、締め切り2週間前まで全くの白紙!なんもかいてない!あはあは!!
でした。
多分僕が卒業できたのは先生がいなかったおかげです。ありがとう!


特権階級

2006年03月13日 08時46分16秒 | 考えたこと
朝からこんな話題は変だなと思うのですが。

どうして、貴族・華族のような特権階級は廃止されてしまったんですかね?
別に害があったわけではないでしょ?僕は、残しておくべきだったと思います。

一億総中流なんてくだらねえ、そんなおばかさんな考え方してるから脳みそが腐るん
だよ。みんな同じ、平等なんて結局はじぶんがばかでもみんなばかだからいいや、
自分はまあたいしたお金もってないけどみんなおんなじだからいいやー、って、
どんどんすぱいらる~に精神の腐敗を招くだけだよ。
貴族・華族ってのはいつでも誇りをもっていた。たとえ家が没落しようとも
家名を汚すようなことは絶対しない。
平民どもにも、特権階級ってのは、仏革命のあんしゃんれじーむみたいな
倒すべき存在じゃなくて、憧れの存在であったはず。
今の皇室をみるような目でみていたんじゃあないのかな。
誇りって自分が「ある集団に属している」ってだけでうまれるでしょ。
ああ、私は長州藩の血をひくものなんだ~とかさ。
それが今は、よくわからん矮小な、県民の誇りみたいなものばっかり
言っちゃってさ。なんだよ県民の誇りって。甲子園かよ。スポーツだけかよ。
だからどんどん人間がちっさくなっちゃうんだよ。ああ、くだらん。
そんなの誰かが勝手に作った捏造の誇りでしょ。うそだよ。
もっと絶対的な帰属に対する誇りをもつべきだったんだよ。昔はそれがあったんだろ。
まさかこんなに世の中がどろみずみたいににごりきると誰も思わなかったんだろな。
ああ、残念。
もういちど、特権階級、地主制度の復活を強く望む。
わけじゃないけど、サ。
ね。