かりんとうの小部屋Z

このブログでは趣味や仕事や生活について、まったりと語っています。

白浜

2006年03月20日 23時41分46秒 | むかしばなし
卒業旅行。
白浜で食べたお昼ご飯。よくわからん民宿みたいなとこでラーメン食べた。
かなりまずかった。
卒業旅行が白浜ってとこがまた涙をさそいますなあ!

でもかなり楽しかったョ。ほんとに。
帰りの電車で飲んだ地ビールがうまかった。

2度も私をあざむいて

2006年03月20日 22時44分30秒 | むかしばなし
APUの企画をはじめにしようと言ったカグラ部仮名Aちゃんの話。
企画立ち上げ2ヶ月ぐらいで彼女はくじけた。おもいっきしくじけた。
「かりんとうさん・・・APUの学生センターに話をもっていったんですけど、
全然とりあってくれなかったんです・・・」
「神○部のメンバーに話をしたんですけど、みんな聞いてくれなくて・・」
もうだめだから私は降りたい、この企画もなかったことにしたい、と言い出した。
もしかりんとうさんがやりたいなら私抜きで勝手にやってください、とも言った。
APUの学生センターは厳しく、手におえないと涙ながらに言ってた。
毎日のように電話して毎日こんな感じだった。ヒドイネ。
そんときはああ、大変なんだなと単純に僕は思いましたが、
後で気付きました。これらはみんな嘘なんじゃないかな?って。
(多分嘘でした。)
神楽の人にあとで話を聞いたら、Aちゃんから企画の相談を受けたことは一度もないって
いうし、学生センターのひとも、僕の話を初耳~ってかんじで聞いてたし。

どうも彼女は自分がやばくなると簡単に人を裏切るらしいこともあとで聞いた。

でもあんまり彼女を企画の外には出したくなかったんだな、わたしゃ。なんでだろ。
やっぱり発起人をカヤの外に追い出すのはなんとなくしのびなかったからかな。
まあ、彼女が魅力的っだったてのもあるけど。
裏切られても、憎めない子だった。

結局彼女を切るしかなくて、他の交渉人を紹介してもらうことを条件に
企画から降りてもらったんだが、もしあのまま彼女をかばってたら
沈没してただろうな。絶対。

APUが終わってからも彼女との交信はなぜか続いた。
そのあともういっかい、「ああ、またダマサレタ-」のがあったんだけど。
それはまた別の話。

この前携帯をかえたのを知らせなかったから、もう多分話しすることないだろうな。
・・ちょっとさみしい

何の話かさっぱりわからない人ごめんなさい。
大学時代の話なので・・・ご勘弁を


命を支えるメルカゾール

2006年03月20日 20時51分06秒 | 生活のこと
私は甲状腺機能亢進症です。(世間一般ではバセドー氏病として知られています。)
メルカゾールという薬がなければ生活ができません。
この病気は脈拍数の増加、四肢のふるえ、体重の激減、多汗などの症状が出ます。
体のエンジン機能の甲状腺ホルモンが大量に分泌されることによって、
オーバーヒートの状態になるのです。普通に生活していても、毎日マラソンを
しているような感じで、体力を使い果たしてしまいます。
なので、とてつもなくやせてしまいます。私は大学時代55キロまで減りました。
今は薬を飲んでる反動でかなり増えてしまいましたが。
病気が見つかる前、私の脈拍数は120もありました。動悸というか、不整脈に
近い症状もあって、心臓がバクバクいってました。もうすこし発見が遅れていたら
心筋梗塞か何かで死んでいた可能性もあったということです。
最初は心臓病だと思って病院の検査を受けたのですが、すぐにこの病気だとわかって、
その日から治療が始まりました。
毎月1度検診と、2ヶ月に1度血液検査をします。
抗体値というものがあり、(病気の陽性反応)それが10/100を切れば病状はかなり安定してくるといわれています。(陰性になります)
私は今18ぐらいです。最初は抗体値は80もありました。
病気の原因は不明です。ストレスが原因であると書かれた本もありますが、
わかりません。女性が多くかかる病気らしいです。
薬を飲み始めて6月でちょうど2年です。多分もう数年は薬を飲まなければいけない
のではないかと思います。抗体値が安定しない間は、薬をやめるとすぐもとに
もどってしまうのです。先週、一週間わたしの間違いで薬を飲めませんでした。
そうしたら、安定していた脈拍が80まで戻ってしまいました。
この病気はすぐ再発するので、精神的に疲れます。薬を飲まないと体が
すぐ反応する?ので、気分的に落ち込みます。
私は日本語教師として海外に行きたいと思っているのですが、今はこの病気の
おかげでストップがかかっています。
病気は大変嫌なものですが、どうもわたしのことを足止めするために、神様が
病気にしたんではないかと思います。もし病気にならなかったら、地に足の
つかない生活を何年もしたことでしょう。こうして同じ場所に何年も拘束されることで
わたしは自分の生活がいかにちゃらんぽらんであったかさとりました。そして
どう改善していったらいいか、少しづつつかめてきました。
病気が治ったらもっと自分がしたいことをいろいろしたいと思っています。

一気に書いたのでたぶん文章は破綻していると思いますが、お許しください。