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エンペドクレスの「四元素」と「愛と憎」

2023-09-12 11:26:00 | 西洋哲学

【エンペドクレス】

 エンペドクレスは、エレア学派の「有」とヘラクレイトスの「成」とを結合しようとしました。有とは「存在」のことで、成とは「生成」のことです。エンペドクレスは、シチリアのアラガス出身で、職業は「自然学者」「医者」「詩人」「弁論家」「予言者」とされています。また、魔法使いだったとされ、自らを神から追放された者として、死すべき者ではなく、不死なる神として徘徊していると公言していました。

 【愛と憎】  

 エンペドクレスは、世界には二つの力があるとしました。万物を集合させる「統一原理」と、反対に一つのものを解体する「分割原理」です。統一原理を「愛」、分割原理を「憎」と言います。エンペドクレスは、この愛と憎によって世界は動かされているとしました。愛とは、異なる多くのものから、お互いを相求め、一つになろうとする力のことです。それは、分散していたものを一か所に集め、個々のものをそれぞれの仕方で結びつけようとしました。逆に憎「争」は、多くのものになろうとして、一つのものをバラバラに解体しようとします。それは、ある一つのものから分かれ、それぞれのものになろうとする働きのことです。エンペドクレスは、この二つの力が、宇宙のあらゆる現象、出来事を操っているとしました。

 【四元素】  

 憎によって分解されたものは、最終的には「四元素」に還元されます。四元素とは「土」「水」「空気」「火」という万物の基本となる構成要素のことです。それらは、消滅することがなく、永遠に存在しています。四元素は、お互いに他から生ずることがなく、お互いに他のものになることがありませんでした。元素は、万物の四つの根であり、その関係性は、まったくの同等です。例えば、個々の動物は、元素の混合のされ具合で区別されます。それは、人間も例外ではありません。他の生物同様、生きている限り存在し、特定の元素の状態を保とうとします。それは、単なる人間と名づけられた元素の混合物にすぎません。世界がどんなに循環しても、この元素自体は常に不変不動な存在です。

 愛と憎が、元素を回転させています。生物の死も、循環過程における内部の変化にすぎません。死とは、一つの生物を構成していた元素が、解体されることです。休みのない変転の過程の中では、永遠に続く生はありえませんでした。

 【時間】 

 変化とは、四元素の「混合」と「分離」であり、それらが場所を変えることです。四元素は、断えず場所を変えて、少しも休みません。変化とは、生成の過程であり、それは時間のことです。その時間が回転すると、それぞれの元素が交互に位置を替えます。永遠の時間の中では「愛」「憎」「元素」は欠けることがありません。それらの力は等しく、年齢も同じで、それぞれ異なる役目、異なる性質を持っています。 

 【生成と無】

 万物は、完全な無から創造されたものではなく、また無と言う完成された状態になることもありません。浅はかな者は、無から何かが生じ、何かがなくなったら無に帰したと思い込んでいます。しかし、それは物事の表面にしかすぎません。まったく何もない状態から、何かが生まれることはなく、また有ったものが、まったくの無になることも不可能だからです。

 この世界の生成は、輪をなしていつでも存在していました。存在しているのは、絶えず繰り返される元素の混合と分割の変転だけです。その変転は、全体が協働して起こります。生成の順序は、必然「運命」によって決めらており、その時期が来れば、それぞれの出来事が起こりました。




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