【マネ】
エドゥアール•マネは「近代画家の父」「美術界の革命児」とされています。印象派の「創始者」「先駆者」でしたが、本人は、印象派グループ展には、一度も参加していませんでした。マネは、裕福なブルジョワ出身で、粋で、ダンディーなパリジャンだったとされています。そのため、趣味が良く、流行には敏感でした。マネは、皮肉屋でしたが、人付き合いは良かったとされています。小説家のゾラや、詩人のボードレールとは、交流がありました。マネが、絵のテーマとしたのが、近代のパリを生きる人々です。都市の街頭風景など、日常の一コマをとらえ、パリの現実を描きました。マネは、印象派の影響を受けています。そのため、伝統的な様式にとらわれず、アカデミズムな絵画とは一線を画していました。
【草上の昼食】
マネの「草上の昼食」は、近代美術の始まりとされる作品です。「草上の昼食」には、裸の女性と男性が談笑しながら、ピクニックをしている姿が描かれていました。絵の女性は、パリの娼婦だとされています。草上の昼食は、現実の女性の裸を描いたため、サロンからは、激しく非難されました。それまでの常識では、裸婦というものは、理想的に描くべきものであり、対象は神話か歴史上の人物に限られていたからです。
マネは、サロンでの成功を望み、出展を続けていました。そのサロンで、入選したのが「オランピア」という作品です。オランピアも、草上の昼食と同様に娼婦を描いた作品でした。絵の「髪飾りの蘭」「首のチョーカー」「ショール」などは、富と官能のシンボルだとされます。オランピアとは、娼婦の源氏名のことでした。
【笛を吹く少年】
オルセー美術館に所蔵されている「笛を吹く少年」は、マネの代表作の一つです。この絵は、歴史を変えた1枚だとされています。「笛を吹く少年」には、ジャポニスムの影響がありました。ジャポニスムとは、当時のフランスで流行していた「日本趣味」のことです。マネは、日本の「浮世絵」や「水墨画」を模倣しました。そのため、マネの絵は「はっきりした輪郭」と「平面的」なのが特徴です。遠近感がなかったので、トランプのカードのようだと酷評されました。また、この絵の背景には何も描かれていません。それは、スペインのベラスケスの影響だとされています。マネは、遠近法を使わず、コントラストの強い色を用いることで、少年の存在感きわだたせました。
【フォリーベルジェールのバー】
「フォリーベルジェールのバー」は、死の前年に描いた作品です。マネは、この作品を描いた翌年に、51歳で亡くなっています。死因は、梅毒で左足を切断ことです。フォリーベルジェールのバーは、最晩年の傑作とされています。絵には、意識が中央にいる女性に向かうように、人物だけを浮かび上がらせる工夫がされてました。絵のアンニュイな表情をしたメイドも、娼婦だとされています。フォリーベルジェールのバーは、当時の現実に生きた人々を表現した作品です。そのバーは、今でもある実在する有名なパリのミュージックホールです。当時は、バレエやサーカスが行われていました。
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