自宅で人生を終える人は、現在12%。
昭和30年代までは80%近くいたが、
今では逆に80%以上が病院で最期を迎えているらしい。
ということは、人工呼吸器の取り付けや、
中心静脈注射による継続的栄養補給で、延命治療を受ける事になる。
延命治療は不必要と言っていても、病院ではお願いせざるを得ないものだ。
食事がとれなくなり、点滴も入らなくなると、脱水状態になるので、
中心静脈注射による継続的栄養補給が必然的に行われる。(その時断れない。)
一旦、人工呼吸器をつけても、改善して一度でもはずせるのならいいが、
ほとんどは、家族とも話が出来ないまま死んでいく。(はずしたら、殺人)
80%以上の人がそうした延命医療現場で、人生の終焉を迎えている。
(母の時も、そうであった。)
当人は、幸せな人生の最期(お迎え)を望んでいる筈なのに・・。
自宅で、静かに、家族の皆に、送ってもらいたいのに・・。
なぜ、管を通され、病院で長い間、苦しまなければならないのか?
(「死ぬ」ためだけに使われる、膨大な終末医療費)
(それは、若い方の健康保険料で賄われている)
「老人」に、『できるだけのことを・・』というのは、
家族のエゴでは・・・・ないだろうか?